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「父さんは人の体に触れると悪い気がどこにあるか分かるから、それをマッサージで流して排出させてるって言ってた。でも、俺のやり方は少し違ってて、自分の手からプラスの磁力を出すんだ。すると、触れたところにマイナスの気が集まってくる」
「う・・・」
ハルちゃんが触れてる手の先が暖かくなってくる。
知ってる、これ、今朝キスされた時もこの感じだった。身体中が毛羽立ってきて、感覚が翻弄されて抗えなくなる。気持ちいい。
「あとは、水分と混ぜて放出させる」
粘っこい水音を立てて、ハルちゃんが僕の指を舐めた。僕はあられもない恥ずかしい声を抑えることができない。体がぶるぶる震えて、いっちゃったけど、いってなかった。
「ハ、ハル、ちゃん・・・」
「これで、もう今日はオナニーする必要ないよ、楓。体がぽかぽかして気持ちいいだろ?」
「う、ん」
ぐにゃりと崩れ落ちた僕をハルちゃんが抱え上げて運ぶ。ぐらぐら揺れる視界の先にあるのはベッドで、僕は、やばい、とか、このままじゃ、とか気持ちは焦るのになにひとつ抵抗できない。体も気持ちいいままだけど、ほとんど何も考えられなくなってる。怖い。
「だからさ、彼女たちは俺といたいわけじゃないんだ。俺を使って、楽になりたいだけだと思うよ。楓、明日は? 学校は?」
「な、夏やすみ・・・」
「じゃあ、明日もここでゆっくり寝てればいいから。ああ、俺も疲れた。楓、一緒に寝よう」
「ハルちゃん」
「心配しなくても、なんもしないから。もー、一滴も出ないし」
あ、そうなんだ・・・。
僕の隣にゴロリと横になったハルちゃんの逞しい肩をじっと見てしまう。背中を向けたハルちゃんが言う。
「楓、恋人は?」
「いない・・・いたことないよ」
「なんで? オナニー依存症になんかならなくても、楓は整った顔立ちしているんだし、恋人を作って寂しさを紛らすことはできただろう?」
「僕のことを、好きになる人なんて・・・そりゃあ、作ろうと思えば作れたかもしれないけどさ」
「けど?」
「そうそう何度も捨てられたら、僕、死んじゃうし」
ハルちゃんがぐるっとこっちを向いた。思わず僕の体がわずかびくっとなる。
「楓は、相変わらずだなあ」
「なにが?」
僕の問いかけには答えずに、ハルちゃんはやにわに僕をぎゅーっと抱きしめた。まるで恋人みたいなことをされて僕はすごく戸惑った。だけどすごくあたたかくて、気持ちよくて、到底振り解く気持ちにはなれなかった。そのあと、すぐに僕は眠ってしまったみたいだ。
結局、翌日も僕は家に入ることができなかった。
僕のことを知る管理人は現れず、代理の管理人さんは僕が不法侵入しようとしていると決めつけて話を聞いてくれない。住人だと言っても、どうやら僕の住んでいる部屋は母さんの名義でなかったらしく、僕が住んでいた証拠がないと言う。そんなことってあるんだ・・・。
なんとか頼んで電話を借りて母さんに連絡を取ってみるも、電話に出ない。ああ、そうだよね・・・母さんはいつも愛人さんのところに行ったら邪魔されたくなくて一切連絡を絶つんだ。知らない番号からの電話ならなおさら出はしないだろう。
はあ、どうすればいいんだ。
手ぶらで家を出たらこんなにも無力になるものなのか。役所で住民票でも取り寄せて訴えてみようか? いやでも今日は日曜日だ。とりあえず、今日はどこで寝よう。
ハルちゃんに頼ろうか。いや、でも、なあ・・・。
ハルちゃんは、怖い。
このままじゃ僕もあの女の人たちみたいに「ハルちゃん依存症」になって二度と離れられなくなる気がする。いや、離れられないのはいいけど、そんなのハルちゃんの親切に甘えてるだけじゃないか。
そうだ、ハルちゃんは僕を好きな訳じゃない。親切なだけだ。僕の周りにいる大人たちと、同じ。僕に親切だ。
なんでだろう、と思う。
「なんで、僕の好きな人は僕のことを好きじゃないんだろう・・・」
僕が想うほどには母さんは僕を好きじゃないことで、自分を責め立てていた時期は過ぎていて、これは巡り合わせなんだろう、くらいには僕は孤独を受け入れることができるようになってきてた。
だから、今は、ハルちゃんの親切が怖い。
誰かの好きな人になれない自分は、もう直視したくないんだ。
ハルちゃんにどう断ろうかとハルちゃんちの前にいたら、警官に声をかけられて驚いた。ハルちゃんの苗字で呼ばれて、僕は違いますと答える。
ハルちゃんは毎日一滴も出ないほどマッサージで忙しいみたいだし、ひょっとしてそういったことについてだろうかと思うと冷や汗が出てくる。警官は連絡が取れなくて困っていると言う。お父さんの手がかりが見つかったから、できれば早く確認してもらいたいと相談されて、じゃあ戻ってくるまで僕が家で待ってます。戻ってきたら連絡します、と返事をした。そのあと、もう少し詳しく聞いた警官からの話に僕の思考がしばらく止まる。
夜になってからハルちゃんはやっぱり一滴も出ないほどヘトヘトになって帰ってきて、僕の顔を見て、家で楓が待っているとホッとするなあ、と笑った。ハルちゃん、と僕は小さく声をかけた。
こんなことを伝えるために僕がいて、ごめん。
「ハルちゃん、お父さんの手がかりが、見つかったかもって。富士の、樹海で」
僕の言葉を聞いたハルちゃんは、静かに顔を曇らせて、ゆっくり椅子に座った。ハルちゃんは、ほんのわずか、悲しいとも怒っているともつかないような表情を見せた。そして、次の瞬間には、おそらくは僕のために努めて軽く言った。
「やっぱり、ダメだったかあ」
「あの、警察が、連絡くれって」
「分かった」
すぐにハルちゃんが警察に電話をする。でもすぐに電話を終えて戻ってきた。
「親父のカバンが樹海の入り口で見つかったってさ。カバンが見つかっただけだから、まだ、生きている可能性はあるかも」
僕はなんて声をかけていいのか分からなくて、みっともなく何度も手を膝に擦りつけた。ハルちゃんはこんな時まで僕の頭をポンポンと撫でて、大丈夫だから、と言った。僕が言う。
「あの・・・僕、ハルちゃんのこと何にも知らなくて、どう言ったらいいのか分からないけど、でも、心配してないわけじゃないんだ、ごめん」
「ああ、うん、でも、まあ、本当に、大丈夫だから。俺、親父のこと嫌いだったし」
「えっ」
「なんだ、楓、知らなかったのか? マッサージの仕事をやめてからの親父は、まあ・・・ひどかったんだよ。挙句にいなくなった。おかげで俺は毎日後始末ばかりで、うんざりもしてる。挙句に警察沙汰とはね」
ハルちゃんの声音はヒヤリと冷たかった。ハルちゃんはすぐに僕の存在を思い出したみたいに僕に顔を向き直した。ハルちゃんが言う。
「・・・ごめん、ちょっと、言い過ぎた。やっぱり動揺してるんかも」
「ハルちゃん、ハルちゃんは、親切だ」
「親切?」
「うん、ハルちゃんも、ハルちゃんのお父さんも僕に親切だった。きっと、ハルちゃんも、ハルちゃんのお父さんも、人に親切にし過ぎて疲れてしまったんだよ。あんなにたくさんの女の人を相手にしたら、疲れてしまうのは当然だよ」
「親切、ねえ」
やっぱり、ハルちゃんの声は冷たい。誰にでも優しくていつも穏やかなハルちゃんの、意外な表情だった。けれど、ひょっとしたらこっちが本当のハルちゃんかもしれなかった。ハルちゃんがボソリと言う。
「彼女たちは、父さんにとってはただの羊だった」
「羊?」
ハルちゃんは僕の問いかけには答えずに、僕の手を手に取った。そのまま僕の指にくちびるを寄せられて、どうしようもなく背中がぞくぞくした。
「なあ、楓。俺はずっと父さんが嫌いだったんだ。可哀想な人たちを集めて撫でて可愛がってそばに置きたがる父さんが気持ち悪くて仕方なかった。確かに父さんは人を癒すことができたけれど、可哀想なものを救いあげて自分を慰めてたのは父さんの方だ。だから、軽い気持ちで俺にやり方を教えて、実は俺の方が上手くできてしまったとき、父さんは荒れ果てて、挙句に逃げ出したんだよ、ぜーんぶ、ほったらかして。仕方ないから、父さんの尻ぬぐいしてたんだけど、退屈だった」
冷え冷えと話すハルちゃんは、ちょっと怖かった。そうか、ハルちゃんは頭も良くてなんでもできて人に優しくすることも簡単だからやってただけで、どうしてもやりたくてやってたわけじゃなかったんだ。
「でも楓は、楓だけは違うかな。楓は俺が見つけた羊だし。他は父さんの羊だ」
「だから、羊って、何・・・」
「羊は、羊だ。生贄」
「いけにえ」
「そう、だってまるでいけにえだろ。可愛そうだからって、俺らみたいなのにつけ込まれてさ」
意地悪に言われて、僕は思わずハルちゃんが持ったままの僕の指を外そうとするけれど、ハルちゃんは引き下がらない。僕も少し意地悪な気持ちで言った。
「ハルちゃん、僕に同情してるの?」
「うん、そう」
「はっきり言うね」
「ひょっとして俺は、楓のこと好きじゃないかもしれないけど、楓を見てるとすごく可哀想で慰めたくなる。最初に会った時から、ずっとだ。大人になった楓を見て、俺は、今、初めて父さんの気持ちが分かる。楓を屈服させて、俺にすがりついて、俺に哀願させたくなる・・・ああ、父さんはこんな気持ちだったのかな。大事ないけにえの女の人たちを俺に取られたんだから、それはつらいだろうな」
いけにえ、とハルちゃんは言うけれど、きっとこの気持ちを愛情だと思う人もいるだろう。けれど、この気持ちをいけにえと呼ぶハルちゃんの気持ちは僕にもよく分かった。
僕はずっと母さんのいけにえだった。
可愛がりたい時だけ可愛がり、自分の方が可愛い時はそっぽを向くような母さんの愛情は僕の心を壊し続けたし、それは心のよりどころを家族じゃなく女性に向け続けたハルちゃんのお父さんも同じことだろう。
自分の魂を削り取られるような愛情しか、僕たちは知らないから、分からないんだ。僕は心に浮かび上がってきた言葉をそのまま口に出した。
「いいよ、ハルちゃん。僕はいけにえでも」
「楓」
「僕がハルちゃんにすがりついてあげる。さみしいときはハルちゃんにだけ慰めてもらうし、ハルちゃんがいないと息もできないくらい、きっと、僕はハルちゃんのことが好きになるれると思う」
「本当に?」
「うん、だからハルちゃんも僕から目を離さないで。眠る時も一緒にいて」
「分かった」
これを恋の始まりだと誰かは言うかもしれない。
けれど僕たちにとって、このくちづけはいけにえの儀式だったんだ。
数日後、ハルちゃんのお父さんは無事に見つかった。
ハルちゃんのお父さんは富士の樹海の近くにある小屋で暮らしていて、疲れて樹海にやってくる人たちを、やっぱりマッサージで癒していたらしい。自分のことを警察が探していることを知って、ハルちゃんに申し訳なさそうに連絡してきたそうだ。カバンはうっかり落として困っていたとも。
ハルちゃんは、やっぱり、ちょっとホッとした顔をしてた。
僕も家に入れた。
僕の携帯電話にいくら連絡しても出ないことに半狂乱になった母さんがマンションの管理人を責め立てたらしい。散々好き勝手やっといてよく言うよ。でも、まあ、助かったかな。
管理人代理に申し訳なさそうに鍵を渡されて、数日ぶりに入る我が家の空気はなんだかよそよそしかった。
久しぶりに窓を開けて、埃を落として、掃除機をかけた。母さんの置いていったからっぽのクローゼットと、がらんと空いたドレッサーがあった場所を眺める。今までの僕なら、すぐさまオナニーをしないと正気を保てたなかっただろう。
それで思い出して、愛用のオナニーグッズを引っ張り出したら、シリコンに埃が溜まってる。一度洗ったほうがいいな。それを持ってバスルームに向かっている時に、僕はそのことに気づいた。
そのあと、ハルちゃんが昼食を持って部屋に来てくれた時には、僕はどうしようもなく泣きじゃくっていて、どうしたんだとハルちゃんに聞かれてもすぐには理由を話すことができなかった。息も切れ切れに僕は話す。
「き、金魚、が、ぼっ・・・くが、ほおっ、た、から」
キッチンのカウンターに置いていた金魚鉢の赤い魚は、ぷかりと水面に浮いていて、僕は今の今までその小さな魚の存在を忘れていたことに気づいた。金魚のまるいお腹を見た途端に走った胸の痛みは息もできないほどで、僕は苦しさにあえいだ。
だって、こんなの、僕は母さんと一緒じゃないか。
僕はハルちゃんと一緒にいることに浮かれて、大事にしていたものを大事にせず、殺した・・・。どうしよう、殺しちゃった。
「楓、過呼吸おきるぞ、落ち着けって」
ハルちゃんが僕を抱きしめている金魚鉢に気付いて言った。
「たかが金魚だろ」
「そんなの誰が決めるの」
「ああ、まあ、それもそうか」
ハルちゃんは僕の背中を撫でながら、金魚鉢をじっと見て、金魚鉢に手を伸ばした。僕は、ばたばたと涙を流しながらも、その様子から目が離せなくなった。ハルちゃんの手が少しまぶしい気もしてまばたきを繰り返してしまう。ハルちゃんは金魚鉢に指を突っ込んで、くるくると指を回した。浮かんだ金魚も水の流れにのってまわって、三度目のくるくるで金魚はくるりと向きを変え、仰向けだったおなかが見えなくなった。
ゆっくりと動き出した金魚を見て、僕はすぐさま立ち上がって新しい水槽を用意した。ていねいに水を準備して、そっと金魚を移すと金魚は泳ぎ出す。エサも食べた。
「ハルちゃん、すごい」
「俺もびっくりした。こんなことができると思ってなかった。いつもと同じ、ちょっと濁った感じがしたから、水に溶かしてみたんだけど。へえ、相手が人間じゃなくてもできるんだ」
「ハルちゃん、ありがとう」
「正直、金魚はどうでもいいけど、楓が泣き止むんならって、やってみただけだよ」
「どうでもいいって・・・」
「泣き止んだな」
ハルちゃんが僕の頬を撫でた。
「やっぱり、俺は楓が喜ぶと嬉しいみたいだ」
そう言ったハルちゃんが見せた少しだけ冷ややかで静かな笑顔は、今まで僕に見せてきた僕を安心させるためだけの笑顔じゃないと僕にも分かった。
そう言ったハルちゃんに金魚鉢ごと抱きしめられて、僕はやっとそのことに気づいた。ここはいつも通りの僕の部屋なのに、僕はもうここでひとりきりじゃないんだ。ああ、きっとこの人は、これから僕と一緒にいつも食事をしてくれたり、一緒に眠ったり、僕のよろこびを一緒によろこんでくれるんだろうなと、すんなりと思えた。
その思いは、僕のこころにあたたかで決して取れない染みをつくった。
ひょっとして、ずっとは続かないかもしれない。ひょっとして、ほとんどは僕の一方的な思い込みかもしれない。でもきっと僕は、この人が僕と一緒にいることを選んだ瞬間があったことを、これからさきも忘れることはないだろう。
「どうした、楓。すごい可愛い顔してる」
ずるずると押し倒されて、僕は驚く。
「えっ だって、ハルちゃん、今日も彼女たちの相手して来たんでしょ? いつも、一滴も出ないって」
「だって、そうでも言わないと一緒に寝てくれなかっただろ」
「えっ」
「彼女ら相手にはいつも一滴も出してない。だから俺の相手はちょっと大変かもしれないけど、頼むよ、楓。まあ、満足はさせてやれると思うよ」
そ、そりゃあ、そうだろうけど。
そう言っている間にもハルちゃんの手が僕に触れるたびに、すごい気持ちよさが身体中を駆け巡ってぐるぐると目が回った。あっさり落ちたひとしずくの涎が恥ずかしい。
くちびるを舐めれば舐め返してくれる。
手を伸ばせば握り返してくれる。
すごい、誰かがいるって、ひとりじゃないって、なんて心地良いんだろう。
僕の奥の良いところを突けば、体が勝手に喜んで頭がぼんやりすることを僕はよく知っているけれど、こんな心地良い状態で、それも生身の温かいもので突かれたら僕はどうなっちゃうんだろう。すごく怖いけど、このままやめられるわけない。
たまらず僕はハルちゃんの下着をずり下げて、それを見た。すごい、ディルドとも、僕のとも、全然違う。
「ハルちゃん、これ、僕の中に入れてもいいかな?」
「いいよ」
滑らかなディルドと違って、ちょっと入りにくかった。でも入口を通り抜ければ僕の中にずぶずぶ入ってった。ああ、あったかい。生っぽい。僕の中でびくびく動いてる。まるで、海から上がった魚みたいだ。可愛い。
ひとりきりで過ごしていた時はカラカラに乾いていた僕の部屋が、今はまるで水がひたひたに浸された水槽みたい。ハルちゃんを飲み込んで、僕はやっと海にもどされた魚みたいに背中をゆらめかした。
僕のすぐ隣にある新しい水槽の中でくるくると金魚も泳いでた。ハルちゃんの手で生きながらえた金魚は、多分、少し、嬉しそう。僕と一緒だ。
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