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第十六章・8
「杏くんは、家政夫をやってるくらいなら、料理ができるよね」
「はい。多少は」
「私に、いろいろ教えて欲しいな。いいかい?」
「僕で良ければ、喜んで」
アドレスを交換し、二人は仲良くキッチンのある部屋へ進んだ。
講師は年配の、髪の白い男性だったが、陽気で気さくな性格だった。
「良かった。緊張が解けたよ」
「そうですね。僕も、おじいちゃんみたいで嬉しいです」
そんなくだけた会話も楽しむほど、三村は杏に近づいていった。
(北條さんには悪いけど、私はこの子がひどく気に入ったよ)
「あ、三村さん。指、もう少し曲げないと包丁で切っちゃいますよ?」
「うん。こう、かい?」
「はい。ゆっくりでいいので、ケガをしないように」
杏はというと、軽やかな音を立てて高速でキュウリを切っている。
(何だなんだ。あれなら、教室になんか通わなくてもいいじゃないか!)
全く、ユニークだ。
あんな子が傍にいてくれたら、素敵だろうな。
ちょっとつまみ食いするつもりが、本気で興味をそそられる。
三村はキュウリなど放っておいて、杏の顔ばかり見ていた。
(つまらないかと思っていた料理教室だが、なかなかに楽しいことになりそうだ)
杏は無邪気で裏のない笑顔を見せていたが、三村はしたたかに彼に忍び寄る算段を練っていた。
真への義理など、考えてもいなかった。
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