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第1話 俺の住む清町の風  

プロローグ 「オンキリキリ」「オンキリキリキリ」 あなたは知っているだろうか? 人の世には日夜惨たらしい事件が起こっていることを 真っ赤な釜茹での地獄穴 厭離穢土(おんりえど)のそこから手を伸ばすのは億ともつかない無数の腕、その中の一本の腕があなただということを。 「オン・キリウン・ギャクウン」 「オンキリキリキリ・ギャクウン」 あなたは知っているだろうか 人の世の数々の惨劇は、人でない魍魎(もうりょう)が人の心に棲みついて起こしていることに 魍魎は人の心の邪を食み、魂の痛みを美味しそうに貪る あなたは人間なのか   それとも魍魎に操られた空っぽの何かなのか 自分でそれを分かる人間は、誰もいない、誰も……… 「ソワカ」 そう、一部の特殊な神通力の持ち主以外は そうでなければ 心を強く持つしかないのだ 邪に入り込まれないよう ただ心を強く持つしか……  あなたは知っているだろうか 内なる赤い神経樹が目覚め初めたことに 宿命の出会いと戦いがすぐそばに待ち受けることに……… 《第一章 目覚めの月》 天上でモズの鳴き声がどこからともなくする。 高い音色の鳴き声が秋の訪れを告げる。 といっても気温はシャツを肌にじんわりと汗ばませるほどにはまだ暑い。 よく耳をすませば、周辺の森にはモズだけじゃない鳥の鳴き声が飛びかっている。 今日は何回忌だろうか。 俺が小さい頃に早くも亡くなったので、既に数えきれない程になってしまった本家のじいちゃんの墓参りだ。 山の麓の森に囲まれた寺での法要は、ここにくるまでの距離がもう暑かった。 同じ町内だからと、車を使わず全員徒歩で来たのだ。 なんでこう、日本の中年は健康的で元気なんだろうな。 下手したら俺よりさっさと前に進んで置いてかれそうになったくらいだ。 到着する頃には昼過ぎをまわっていた。 太陽がもっとも照りつける時間に、こうして一同、墓の周りを囲んでいるわけだ。 清町(しんまち)ー。 正式には清町市という。 人名にちゃんが二つついて二重敬称となっているような、まるで愛子ちゃんさんのような奇妙な感じだが、市として行政区画整理される前から清町清町と呼ばれている地域なのでそのまま採用されたのだ。 元々この街は四方を山に囲まれ酷く蒸している地域だ。 墓前に立てられたお線香がもうもうと立ち上ぼり、時折吹く風に揺られている。 俺の黒い前髪も揺れた。 長過ぎて母から早く切りにいきなさいと言われている。 柏木家勢揃い。 親類一同が神妙な顔をしてじいちゃんの墓に手を合わせている。 俺の両親、本家のおばさん、本家のおじさん、本家のおばあちゃん。 そして渉流(わたる)、の筈だったが、渉流の姿はどこにもいない。 「ちょっとトイレ」 「定児(ていじ)!」 母親に軽く睨まれるも、俺はそそくさと抜け出した。 ここは最清寺(さいしょうじ)というお寺だ。 町外れの吐黒山(とぐろさん)という山に近い、落ち着いた場所にある。 近くにはとある神社もある。 自然の美味しい空気が流れる二酸化炭素濃度の少ない場所だ。 「なんだ、ここにいたのか」 ぐるーりと裏手にまわりこむと広い池の傍らに佇む渉流がいた。 池というか堀というか、そんな巨大な水溜まりだ。 多分昔は外敵を防ぐためにここらのお殿様なんかが掘らせたんじゃないのかな? 「定児」 金髪のミドルロングヘアが俺の名を呼びながらくるりと振り返る。 「何してんの?こんなトコでさ」 「何って……修行」  事も無げにまたそっぽを向きながら渉流は答える。 「修行?何の?」 「じいさんに言われた修行の一つを思い出してな」 「ふうん、相変わらずよくわかんないけど大変だね。本家の一人息子は……」 水に石をポチャンとぶん投げる。 「俺は貰われた子だからなっ」 卑屈ではなく笑いながら俺は言う。 事実俺は養子で良かったと思っている。 この家は大昔から続く特殊な家系なのだ。 遡れば時の朝廷仕えしていた人間に行き当たるらしく、立派な家系図だって本家にある。 そこの長男である渉流には、人には理解できない特殊な力がある。 そのため物心つく内から謎の修行とやらをやらされていた。 もちろん俺は参加などしたことないから、どんな内容かサッパリわからない。 渉流はとても鋭く、突然の来客者がいつ来るかもわかったり、知人や近所のおばさんが病気になるのも度々言い当てて、その度に俺は驚かされている。 なので渉流の力は疑ってなどいない。 俺自身といえばそんな力はさっぱりなんだけど。 柏木のこの家で育てられたことも、渉流と違い俺にそんな能力無いことも、共に気楽で良かったと思っている。 育ててくれている父母は優しいし、学業成績は悪いが、学校生活にも何も問題はない。 不満など特に見当たらない毎日だ。 「ここら辺り一帯は古来から神域だからな。俺の力が具現化しやすい。ほら、あそこに 『神悳神社』(しんとくじんじゃ)があるだろ?」 渉流は山のほうを指して言う。 真悳神社とは、まるで平安の建築の面影を残す広い立派な神社で、足を踏み入れると平安の世にタイムスリップした気になる神宮だ。 神官の数もかなりいる。 「あそこはな、この寺と繋がっている。そして結ばれている。結界が発生しているのさ」 結界?そこらへんのことを言われても俺にはわからない。 「何だかわからないけど君の修行には都合が良いってことか」 「そうだ」 そっけなく答える渉流は、相変わらずのツンとした雰囲気を放っている。 だが幼なじみだから知っている。この人間は心根に情愛が満ちていることに。 「まあ頑張っておくれよ。俺は行っちゃうぜ」 じゃあな、と片手をふりあげて俺は去った。 その晩のことだった。 法要から帰り自分の家につくと、久しぶりに家族揃って思い出話なんかをしながら夕飯を賑やかに食べた。 いつもの手順で風呂に入り、歯を磨き、2階の自室に上がる。軽くテレビでバラエティー番組なんかを流し見てはすぐ消して、ベッドの上でなんとなしにぼんやりとする。 ベッドサイドのスマホからは小音でお気に入りの女性アーティストの曲なんかを流して。 その内に気持ちのよいさざ波が脳髄を寄せては返し浸水してきて、俺の意識は深いところにポトリと落ちる。 その夜、変な夢を見た。 声が鳴り響く夢だった。 「目覚めよ」 「力を目覚めさせるのだ、定児」 じいちゃんの声が真っ暗な辺りに鳴り響く。 月がポッと浮かび上がってきた。 ここは、じいちゃんの墓じゃないか。 目の前にあの墓がある。 満月の下にあるのは紛れもなく今日の昼に赴いた墓。 硬い墓石が同じ顔をして並ぶ真っ暗なここは…… ここは、真夜中の墓地だ。 「目覚めよ、定児」 「お前にも、我が家の者にも、この町にも、そして人間全体に、危機が降注がんとしている」 「悪しき者が近付いている。悪しき者が、お前に……」 俺は叫んだ。 「じいちゃん!」 ハッとそこで目が覚めた。 自室だった。 暗がりに見えるのは墓地ではなく自分の部屋の天井。 浮き世離れした夢だった。なのになぜか生々しい……。 呆然としばらく考えてるも、今度は寝付けなくなった。 法要の日に故人の夢を見るなんて、意味があるようで怖い。 一階のキッチンに下り冷たいお茶を飲む。 親子三人暮らしの3DKの小さな一軒家だ。 飲んでも汗が引かない。 これは暑さゆえの汗ではなく、脂汗か? 胸に何となく不安感が去来する。 台所の時計は深夜の2時を指している。 胸に這い上がる何かをふりきるように、俺はちょっと近場を散歩するため家を出た。 夢と同じ、今宵は満月だった。 人を喰いそうな、煌々とした月灯りだ。 なぜかそう思った。 人を喰いそうな、という月と脈絡の無いフレーズ。 この時間帯、暑くはない。 だが、胸のザワつきに体を灼かれそうな夜だった。 公園まで辿り着いた。 その時、自分を上から刺すような視線を感じた。 鳥か?あの月か? まさか、気のせいか………。 だが、気のせいではなかった。 黒い人影が、木の上から僕を見下ろしていたのだ。 射抜くように。 顔は見えないし声も立てないのに、なぜか気配がこちらを見て笑っているのがわかった。 黒い影は腕をこちらに向けて突きだすように手を開き、何かを俺に向けて放った。 サッカーボールのようなサイズの塊から折り畳み収納のようにうねうねと大きくなる広がり。 それは人間では無かった。

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