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第16話 悲鳴渦
森野芳太郎は、虚ろな目をし、ぶつぶつと呟きながら、熱に浮かされるように、この混乱の社樹学園校舎内を歩いていた。
前山、前山、前山。と呟いている。
当の前山美樹、の姿は見えない。
闇の中の走る足音。
悪鬼怨霊が囲む社樹学園A棟を駆けている渉流の足音が廊下に響いていた。
電灯さえ覚束ない、穏やかな昼間を過ごしていた筈の暗闇の校舎は、今宵冴え冴えと#混凝土__コンクリート__#を表皮とした巨大な怪物と化し、渉流や金龍達を飲み込んでいる。
どこかにあいつが近い。
霊的な感覚が張り詰めて張り、渉流の皮膚をひりつかせ、彼に大きな霊力の気配を、そしてその者の居場所を報せていた。
待ち構えている。向こうも渉流が自分目指して向かっていることを察知している。お互いに。
渉流のいる三階の廊下から眼下に見下ろせる、外の校庭の景色は暗い。グラウンドに植えられた並んだ木の影が、恐ろしげに風に#靡__なび__#かれている。
割れていない窓には風が叩きつけられ、割れている窓からは冷たい夜風が入り込む。
校舎を取り囲んで猛風が吹いている。
怨霊が嵐を呼び、まるで秋台風となって、生徒達の窮地を救う渉流達の活動の条件を益々悪くする。
既にA棟には生徒の姿がもう僅かしかいない。
どうやら無事に生徒達の避難が進んだことに、渉流は緊張を解かないまま安堵をした。走って発熱された肉体。シャツには汗が浮かんでいる。
機洞は寝かされた状態の定児の身体を両腕で横抱き、校舎の屋上から屋上を飛び込え、足元が地面から浮いて移動していた。
定児の目は開いているが、虚ろで何処を見ているか全く知れない。
意識は#靄__もや__#と#霞__かす__#んだ、煙霧の最中にある。
涅槃から吹いているような強くうなる風は、二人を避けるように歪曲した曲線を描いている。
何やら小さな呟き声で、陰陽道の呪文ー道教の呪文と密教の真言が合わさったものーを唱えている。
背後の荒さぶ風は機洞の呪文の詠唱に合わせ、まるで踊るように自在にうねり動く。
鋭く尖る機洞の霊力の光。風は機洞から放たれる霊光にも反応している。
一帯の空気は震え、屋上を覆う曇りの黒天は、暗雲がどよめき、龍の動きを模している。
「オン・~~~~~…………ソワカ……来たか」唱え主が顔を上げる。
屋上の扉が勢い良く蹴飛ばされ開く。
渉流が機洞と腕に抱く定児を確認し、右腕を自分の顔横に持っていき、#雷剛杵__らいごうしょ__#を天に雲を潜り走る龍のように、機洞目指して空中に飛ばす!
光の発光はイナズマ線を描きながら音を立てて走った。
自分に迫ってくる素早い光に、だが機洞はにやりと妖笑する。
「無駄だ。分からんのか。先程跳ね飛ばされた技をそう何回も使いやがる。学習なぞはしないようだな」
手に抱えた定児をくるまった布ごと地に置いて、機洞は立ち上がる。指が形作る呪禁の印。
「!?」
だが技を飛ばすまに、渉流はそのまま機洞目掛けて一勢に駆けてきた。
「ゥ、オオぉッ!#雷剛杵__らいごうしょ__#ッ!」
雷剛杵を撃ち放ちながら、間合いを詰めて駆け走る。
「っ……!!」
撃たれる雷剛杵を弾き飛ばしている内に、いつの間にか渉流に距離を詰められた。
ふわっと浮き上がる渉流。美しい飛翔。地に落ちる浮上の影。
重力に反する大振りの#影法師__シルエット__#が、朧げな月光と機洞の顔の前を遮る。
飛び上がった渉流の脚は助走を付けた蹴りとなり、機洞の横頬を蹴撃した。
乱れなく機洞に背を向け着地する。
っ!?
当たった。にも関わらず、感触が軽い。
振り返った機洞は腕を使ってガードし、上手く頬に響く蹴りの衝撃をさばいたようだ。
こいつ、武術まで……!!
機洞は身に付けている。構えながら立ち上がる渉の顔が益々険しくなった。
合気道には珍しい蹴り技を、だが渉流は得意として磨き込んでいた。その蹴りが#躱__かわ__#された…………。
「……フッ」
立ち姿は崩さず、笑いを#零__こぼ__#す機洞。
ガードした両腕をそのまま交差させ構えを作る。擦り傷程度の衝撃しか与えられなかったことに渉流は舌打つ。
「来いよ……おぼっちゃま」
#頤__おとがい__#を上げ、怜悧な目つきで挑発する機洞。
渉流のこめかみを怒りの血管が走る。
ポーカーフェイスを崩そうとはしないが
顔を横に向け
「…………ブッ殺す」
と呟くと、モーションの大きい後ろ回し蹴りをそのままの位置から放った。
笑い、避ける機洞。だが避けた頭の位置へと放たれる連続後ろ回し蹴り!
同じ時刻。本館奥。コミュニティ・ホール。
巨軀が金龍、青森に素早いスピードで向かい、石棍が風圧をつけ振り下ろされる。
「#飯綱__いづな__#打ち!!」
ドゴンッ!
当たった物体は、衝撃波を同時に発生する石棍により、壁でも机でも床でも粉微塵に破砕される。
「光輪殺法、#逢仏殺仏__ほうぶつさつぶつ__#!!」
先に複数の金の輪……#鳴金__なるかね__#がついた錫杖をグルンと扇状に回し、思い切り振り上げながら石狗に飛びかかる!
だが石狗の石棍が、飛びかかろうとした金龍の勢いごと、金龍の体を打ちのめす!
受け身を取りながら転がり倒れる金龍。
金龍への追撃を防ぐため立ち塞がる青森。
右手で印を作る。
「#陰陽鬼門破邪__おんみょうきもんはじゃ__#……!」
結んだ印を顔の前にかざす。
「#飯綱__いづな__#打ち!」
構わず石棍を振り上げる石狗。
青白い五芒星が宙に浮かび、石狗に向かってレーザーの様に飛んでぶつかる。
衝撃音を立て石狗の体が弾け、重い体の足が浮き何mも後ろに弾き飛ばされる。
「………………」
だが石狗は何でも無かったことの様に、立ち上がり、構わず青森に向かってくる。
二度目の「#陰陽鬼門破邪__おんみょうきもんはじゃ__#!!」
石狗は浮かび上がる青白い五芒星に向かって、石棍を俊速に連突きした。
何百もの攻撃を一瞬にして繰り出す様な、連続の突き。
五芒星は霧散する。
青森の顔に流れる冷や汗。
石棍が青森の顔に向かう。
「八乙女舞系玉串霊打!!!!」
入り口から飛び込んできたひもろぎ!!
玉串の光矢が、目にも止まらぬ速さで、石棍を弾き飛ばす。
弾き飛ばされた石棍は、またヒュンヒュンと、石狗の手に舞い戻る。
ひもろぎは手に、あるものを持っていた。
ひもろぎが神社に取りに行った、あるもの。
それは木の扁平な板に、銀箔のまぶされた白い紙……#紙垂__しで__#がいくつもついた、御幣。
滑る様に石狗に向かう。
ジャンプしながら、振り下ろされる石棍を、薙ぎ、受け流す様に御幣を振っている。
まるで刀同士が打ち合う様な太刀捌きだが、御幣は石棍に触れていない。
ただ、祓っている。
普通ならそんな使われ方をされて耐久性があるわけない御幣は容易に砕け散る筈だが、ひもろぎの強い霊力に補強された御幣は、紙の連なりがバラけもしなければ、軸棒が折れもしない。
ふいに石棍が、石棍を持つ腕自体が、固まって止まった。
ひもろぎはニヤリと笑う。
「邪は祓われた!」
そして御幣を持つ手を逆手に直し、石狗を貫く────
貫通困難の筈の、石狗の石の胸部を、霊力を通した御幣がやっと貫いた。
石を割り突き刺された御幣を、また抜き去る。
御幣の紙垂がとうとうバラけ、はらっと全て地に落ちた。
御幣に伝わせた霊力が、今ので底を尽きたようだ。
単純な木板の棒だけになった御幣を手に持ち、まんじりと見詰めるひもろぎ。
石狗の次の一撃がくれば窮地に陥る。
だがひもろぎは微笑っていた。
石狗はグラリと揺れ、膝をつく。
心臓を外しやや上だった。
もう次の一撃を放てる余力は当分なかろう、とひもろぎは微笑う。
青森、そして金龍が近づく。
石狗は、大きな石の棍を天井に向けてガシャーンと放った。さっき飛び込んだ以上の窓ガラスが上から無数に散らばる。
三人が腕を上げ、硝子から体を守っている内に、石狗の姿はかき消えた。
気配が完全にない。
「そうだ、A棟とB棟の様子は!?」思い出した様に青森はひもろぎに翻し聞く。
ひもろぎは笑う。「A棟なら、渉流が。B棟なら兄さんとカチ合ったから殆ど片付けて来ちゃった。今頃はきっと、兄さんが最後の後始末をしてるよ」
その頃屋上では、俊敏なる二つの影が風を切り交差していた。
戦う機洞と渉流。
渉流の足蹴りを避ける機洞。
「はぁぁ────!!」
呼吸を吐きだしながら、機洞の内側に入り込み、肩や腕を取ろうとする。
それも躱される。
合気の呼吸を最大限にまで使いながら、響く掛け声を上げ、力強い技を繰り出す。だが敵は空気のようにすり抜ける。
──恐らく機洞は俺の思考を読んでいる。
──ならば読ませない速度で!
渉流は蹴りや拳を繰り出している。
だのに鮮やかなまでに、俺と息を合わせすり抜ける。
掴んで投げ飛ばせもしない。
刀の鍔と鍔がかち鳴り合う様に蹴りがクロスしては離れる。
#機洞__きどう__#は強い。
組み合いで分かる。
渉流の合気の#捌__さば__#きをいとも簡単に呑み込み、渉流と同じ様に#躱__かわ__#し、背後を取り、捌き合ってくる。
達人同士で捌き合っている様だ。
それでいて合気に無い当身を早打ちで繰り出す渉流の読めない動きを、一寸足りとも逃さず、ふわっと横にずれ反対に身体を捉えてくる。
「チィィーッ!」素早く身体を反転させ、浮き上がる渉流。
鎌風の蹴りが当たるべき位置にバシッと決まる。しかし感触はない。
躱し、捌き、すり抜け、そして相手がバランスを崩す一瞬を見つけ。
拳に気を込め渾身の一撃を放った。
「……ッ!」
ヒットする。機洞は前髪で顔が隠れながらも顔の振動は小さく、またも#威力__ダメージ__#を受け流したのがわかる。
お返しと視界の死角からまるで飛び込んでくるように、拳が神速を持って渉流の顔を目掛けた。
「……ウぐ!」
体が大きく揺れる。重い拳だ。
軸足で支えてすぐ体勢を整え、拳を変え、飛び込む。
またもや機洞の顔側面にパンチがヒットする。
一瞬グラつくも機洞は「チッ」と血が滲む口元を手の指で擦り上げ、長い足を渉流に向かって振り上げる。
しゃがみ躱す渉流。タイミングを悟られ、しゃがんだ瞬間真上から拳がやってくる。
ガツッ
「……ク……ハッ!」
片足で体を支え二歩飛び退き、口の端から血を滴らせる渉流。
それでも呼吸は整い、間合いをはかって機洞を睨み見据えている。
二人が打ち合う横で、定児は宙を見つめた目つきのまま、渉流達の声がどこか遠くで放たれているように聞こえていた。
真下のグラウンドで小さい、小さい声がする。
男の教師の声だった。
逃げる教師は横幅のある体を引きずって、校庭を飛び出して行こうとしている。
丁度グラウンドの真ん中を通過したところで、黒い風が教師に向かって取り憑いた。
ゴツンとした音と共に教師が倒れる。
手でおさえた頭から血を滲ませ、殴られたような痛みに耐えて入る。
教師に被さる、笑う黒い怨霊の姿。
教師は立ち上がり叫びながら一目散に校庭を駆け抜け校門から脱出した。
黒い怨霊はそこまで追ってはいかず、また風となりグラウンドを吹き消えた。
「ど……どうなってるのォ……社樹学園、どうなっちゃったのぉ……」
心細い声が屋上の入り口からした。
「も、森野くん、しっかりして……」
「ウ……ウワ……ウワ……」
森野はゾンビのような白い顔色をして、ぼんやりしている。どうやら気力の抜けた森野を庇い歩き、避難しきれなくて、怨霊に追い詰められ屋上まで来たらしい。
森野は前山に腕を引っ張られやっと歩かさせられている。前山も、森野を引っ張っていないほうの腕が、制服が破け擦過傷を負っていた。
渉流と殴り合いをしている最中の機洞が前山に目を向けた。
目を細める機洞。
機洞は胸元から黒い#札__フダ__#を取り出した。
「……陰陽#呪符__じゅふ__#。#黒麒麟畾__こくきりんらい__#」
呪符は前山に向かって弾かれ飛ばされる。瞬間、凄まじい黒い雷の光が発生し、プラズマの青い電磁を発生させながらバチバチと放電し前山に向かう。
前山の方角に気を取られる渉流。隙をついて、渉流の顎を殴り、腕をとって身体を押さえ込む機洞。
前山に向かった黒と青の電流は直撃した。
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