熱っぽい身体を叱咤し、サリネは椅子に座っている。 　予定通り、発情期が始まった。本当は薬を飲んで、発情を抑え、休んでいる方が良いのだが、今夜はそういうわけにはいかない。 　ラヴィには頼んでおいたから、ニコラスは必ずサリネの部屋を訪れるだろう。そして発情期なので、オメガの使用人と侍女しかサリネの屋敷には立ち入れなくなっている。ベータのラヴィは大事を取って別の建物にいた。 　いつも発情は薬で抑え、それでも重い時は自慰でもすれば疲れて寝てしまう。その自慰もサリネは前でしか欲を発散させたことがない。後孔は使ったことはなかった。 　しかし今日は使ったことがないそこへ、ニコラス自身を挿入しなければならない。 　初めてはいくら発情期と言えども痛いと聞く。 　熱に浮かされ、後孔がじくじくと濡れ始めても、まだ自分の身体を蹂躙されるという恐怖心が拭いきれていない。サリネは自分で震えている自分の身体を抱いた。 「ああ、私の恐怖などなんだ、ニコラスを誰かに奪われるくらいなら、そんな無駄な恐怖など犬に食わせてしまえっ」 　肉欲を伴う思いであるはずなのに、その肉欲に恐怖している。この矛盾はサリネを苦しめた。 　ううん、と唸り、項垂れていると、戸をノックされた。 　ニコラスが来たのだ。 「は、入ってくださいっ」 　戸のところまで行く元気がなかった。サリネは椅子の肘置きを固く握りしめる。 「入りますよ、サリネ様っ」 　ニコラスの声も余裕がなさそうに聞こえる。どうやらサリネのフェロモンが廊下まで行き渡っているらしい。 「へ、陛下っ」 「大丈夫ですか」 　サリネは立ち上がり、よろめいたところを入ってきたニコラスに支えられる。 　以前嗅いだニコラスの体臭がダイレクトに鼻腔を突き、身体が切なくなる。 「私、その……」 「だいぶ具合が悪そうだ」 　ニコラスはベッドの方へ歩いて行こうとしない。 　サリネはニコラスの手を引き、自らベッドへと誘い、押し倒そうとする。だがニコラスはそれを拒否し、ベッドへは近づこうとしなかった。 「ダメです、貴方はきっと無理をされている」 「無理ではありません、私は陛下と、ニコラスと、こうなりたくて今夜部屋に呼んだのです」 　サリネは夜伽用だという薄いガウンしか羽織っていない。ニコラスも以前とは違い、サリネと似たような服装をしている。 　どうにかベッドへ誘うと、サリネはニコラスの上に跨り、自らガウンの紐を解いた。もちろん下着は付けていない。ぽちりと勃ち上がった胸も、先走りで濡れているサリネ自身も全て晒す。 　ニコラスの水色の瞳に欲が混ざり始めたのが分かった。生唾を飲み込んだのか、喉仏が動いたのが見え、サリネは緊張を更に高めていく。 　ドキドキしていると、細い腰を強い力で掴まれた。 「あっ」 　その瞬間、サリネの天地がひっくり返った。 　一瞬、何が起きたのか分からなかった。だが、強引に腕を掴まれ、シーツに手首を縫い留められ、上にのしかかられた時、押さえ込もうとしていた恐怖が蘇ってきた。 「あ、待って、い、嫌だ……」 「発情期にアルファを誘惑しておいて、嫌だはないでしょう」 　逡巡した一瞬を突かれ、強引に唇を塞がれた。 「んーっ」 　初めての口づけだ。口内をニコラスの舌に蹂躙される。逃げても逃げても、絡まれ、吐息ごと飲み込まれた。 　息がうまくできなくて、苦しくて、引き剥がそうとするが、身体にのしかかられてしまうとろくな抵抗もできない。ただガウンの上からずっとニコラスの背を引っ掻いていた。 「サ、サリネ……」 「あ、痛っ」 　仰反った隙に晒された白い首筋に噛みつかれる。噛みつかれた歯の感覚が妙に生々しく肌に響く。実際は皮膚を突き破るほどの力は顎に込められていなかっただろう。だが、ほとんどパニックのように慌てていたサリネはそのわずかな痛みで、心のタガが外れてしまいそうになる。　　 「いや、怖いっ！」 　涙が止まらない。けれどニコラスを拒んで、これ以上傷つけたくもない。どうしたら良いかわからず、サリネはしくしくと頰を濡らす。 　それは発情期と性欲に支配された部屋の中ではあまりにも場違いな光景であった。 「いきなりしないでくださっ、私、私っ……」 　掴まれていた手首が離される。そしてニコラスは苦しそうに顔を歪めた。目を瞑り、唇を噛み締めている。 　やがて、絞り出すように低く言った。 「……わかりました。最後まではしません。サリネ様の熱だけ発散させましょう。それが終わったら、僕は帰ります」 「か、帰らないでくださいっ！」 　『帰る』という言葉に反応したサリネがニコラスの服を掴んだ。 　帰らせてはダメだ。このままニコラスが帰ったら、側室を取らされて、サリネ以外をニコラスが抱く。 　それはどうしても嫌だ。 「帰らないで……、私以外とこういうことを二度としないでください、頼むから、側室や妾なんか……取らないで」 「……サリネ様」 「サリネ、と呼んでください陛下」 「ならば、僕のこともニコラスと呼んで」 「……ニコラス」 　真剣な目で見つめられ、サリネは一瞬だけ目線を合わせたものの、恥ずかしくなり、すぐに顔を伏せた。 　性行為にも応じていないのに、何が側室や妾を取るな、なんだろう。勝手が過ぎる。 「サリネ、僕は貴方が好きだ、貴方だけだ。だから側室やお妾という存在はいない、これまでもこれからも」 　ニコラスの言葉には遠慮や嘘はない。 「でも今日、家臣たちに『側室をとれ』と詰め寄られているのを見た」 「やはり聞いていたのか」 　こくり、と頷く。また涙が溢れそうになり、サリネは顔を背ける。 「これは貴方が母にあげようとした物だろう、近くに落ちていた」 　ニコラスが差し出したのは、サリネがニコラスのために作り、捨てた押し花の栞だった。 　まさかニコラスに拾われていたとは思わず、サリネは慌てる。うまい言い訳も思いつかず、素直に口にしてしまった。 「それは……っ、違う、母のためじゃない、本当はニコラスのために、けど側室の話を聞いて、いらないと思って……」 「僕のため？」 　ニコラスは驚いたような声を上げた。 「大切な人にもらったとかいう押し花の栞を持っているだろう……私は、そのお前の大切な人、に嫉妬して、だから同じものを……」 　ほとんどニコラスに告白しているようなものだ。サリネは顔を真っ赤にしながら口をぱくぱくとさせる。 「嫉妬っ⁉︎　貴方が嫉妬っ⁉︎」 「何度も言うなっ、恥ずかしいっ」 「嬉しい……」 　思い切り抱きしめられ、息が詰まる。 　そしてすぐに身体が離され、真っ直ぐに見つめられた。 「サリネ、もう一度口付けても？」　 「ええ、んっ」 　先ほどとは違い、優しく唇を啄まれ、徐々に深いものに変わっていく。サリネはその口付けにすぐに溺れていった。 「んぁ、ぁ、やっ」 　ひとしきり口内を優しく舐められ、キスの余韻に浸っていると、首筋、鎖骨、胸、腹、へその順に唇が降りてゆく。時折、ちゅ、と音を立てて吸われ、サリネは身体をびくつかせた。 「口淫は？　されたことは？」 「なぃっ、んんーっ」 　返事をすると、ニコラスはサリネ自身に唇を寄せる。そして、そのまま既に勃ち上がっていたサリネ自身を口内へ収めていった。口とはいえ、他人の粘膜に包まれたことは一度もなく、その心地よさにサリネはあっけなく達する。 「あ、あぁっ」 「早かったね」 「あ……、まさか飲んだのか？」 「ええ」 　事もなげに言い張ったが、普通飲むものではないだろう。サリネは顔を真っ赤にした。 「サリネ、性行為の経験は？」 「ない、あるはずがないだろう、ぅっ」 　ニコラスの指がサリネの後孔に触れる。中には挿れていないが、ぐるぐると円を書くように縁の周りで動かしている。 「今日は指だけにするよ、それはできそうかい？」 「……する、できる」 　少し考えてから、サリネは返事をした。いずれはガウンの隙間から見え隠れしている長大なニコラスのものを受け入れなければならないのだ。指ぐらいどうってことはないだろう。 「足を開いて、そう、よく濡れてる。発情期はいつもこうなのか？」 「わからない、いつもは薬で抑えている」 「そうか」 　いきなり襲われるととても怖いが、何をするのかいちいち口に出されると、心の準備がすることができて、安心する。 　それに先ほどまでとは違い、今のニコラスは理性的に見え、それも安心感を覚える一つの要因となっていた。　 　サリネは仰向けに寝て、ニコラスが弄りやすいように膝を立て、足を開く。その間へニコラスが入り込み、指で後孔に触れている。 　顔や身体から火が出るほど恥ずかしい格好だ。だが、できることはしなければならない。 「指を挿れるよ、一本だけだ、力を抜いて」 「わかっ、た……んっ」 　愛液の力を借りて、ニコラスの指がゆっくりと中へ入り込んでくる。言われた通り、身体の力を抜く。苦しくはないものの、違和感は覚える。快感も何もない。 「苦しくないか？　痛いところは？」 「っ、ない」 　サリネは首を横に振った。心配なさそうだ、と言いながら、ニコラスは中を探り始めた。 　ある一点を指が捕らえた時、サリネの腰が跳ねた。 「あっ、な……」 「ここか」 　腰の奥から快感が迫り上がり、強制的な快楽がもたらされる。こんな感覚は初めてだった。 「い、嫌だっ、やめてくれっ、怖いっ！」 「怖くないサリネ、ほらおいで」 「はっ、あぁ」 　怖い、嫌だ、と言えばやめてもらえると思っていたので、ニコラスの返事には少し驚いた。 　だが、指を中に埋め込まれたまま、身体を抱き起こされ、言葉が詰まってしまい、文句が言えなくなる。膝立ちになり、仕方なくサリネはニコラスにしがみついた。 　ニコラスは見つけたそこを執拗に弄った。 「嫌だぁっ、知らないっ、なんだそこっ」 「サリネが中で気持ちよくなれるところ」 　知らない、と言って頭をふるが、腹側の一点を押さえられたり、指で擦られたりすると、どうしようもない射精感に支配される。それはニコラスによって強制的に与えられるもので、再びサリネは怯えた。 「ここでイったら終わりにする、だからもう少し頑張れるかい？」 「あぅ……わ、わかった、頑張る」 　一度イったら終わりが来る、とわかり、サリネはこくこくと頷いた。 　指の動きに合わせて声が漏れた。ニコラスは慎重に触れ、弄っているので、慣れてくるとだんだん焦ったく感じてしまう。 「は、ぁ……あぁっ、ニ、ニコラスっ」 　無意識に腰が揺れる。それはサリネには止められない動きで、勃起した自身をニコラスの腹に擦り付けようとしてしまった。 　もうイきたい。けれど、いくら発情期とは言え、そんな浅ましい願いは口には出せない。「ニコラスっ、んっ」 　泣きそうな声で名前をもう一度呼ぶと、顎を持たれ、口づけられた。サリネは口内へ入ってきたニコラスの舌を夢中で吸い、自身の舌を絡ませる。激しい舌の動きに口の端から唾液が垂れた。 　指の動きが激しくなった。もうなりふり構っていられない。力を抜け、と言われたことを無視して、後孔に埋められているニコラスの指を引き絞る。 　するとだんだん指では届かない、更に奥が疼いた。 　指ではなく、もっと別のものが欲しい。 　ニコラスのものが欲しい。 「んあ、あぁっ」 　腰を突き出し、埋められた指をこれでもかと言うくらい強く締め付ける。びくびくと身体を跳ねさせ、ニコラスにしがみ付き、サリネは自分ではどうにもならない快感を必死で受け止めた。 　ニコラスの腹が濡れていた。サリネが放った白濁だった。 「ん、んふ、ふぅ……ぅあ、ぁ」 　後ろで絶頂に達するのは初めてで、まだ余韻が身体に残っている。なかなか高みから抜け出せず、生理的な涙で頬を濡らしながら、ニコラスにしがみつく。 　とても気持ちよかった。わけがわからないうちに達し、全力で駆けた後のように全身が気怠い。 「今夜はこれで終わりだ、サリネ」 「あ、帰らないでっ」 「帰らない、ここにいるから安心して」 　その言葉に安堵すると、次に眠気が襲ってきた。寝てはいけないと思うものの、射精後の怠さと、ニコラスがまだここにいてくれるという安心感で瞼が落ちかけてくる。 　良かった。今夜、ニコラスは誰のところにも行かない。サリネの側にいてくれる。 「ん、眠い？　いいよ、おやすみサリネ、今日はよく頑張った」 　小さい子にでも言い聞かせるような言葉だ。 　それには少しムッとして、子供扱いするな、と言おうとしたのだが、それは結局言葉にはならなかった。サリネはそのままニコラスの胸に顔を埋め、眠ってしまう。 　発情期はきっかり四日で終わり、その間はなるべくニコラスはサリネの側にいてくれたのだが、結局最後まですることはなかった。