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第14話
◇◇◇
喫茶『湯沢堂』のシックな黒木の扉には準備中の札がかかっていた。構わず開けると、いつものようにカランと温かみのあるドアベルの音に迎えられた。
「いらっしゃ……って、なんだ、おまえかよ」
「客に向かってなんだとはなんだ」
マスターの暴言に苦笑し言い返す僕は、カウンターの中、隆の隣に立ち洗い物をしている、小柄なエプロン姿の女性に目を見張った。
「あれ、理恵さん!」
「こんばんは潤也さん。お久しぶり」
隆よりは二回りは小さい清楚な婚約者は、可愛らしい笑顔で僕を迎えてくれた。
雨降って地固まる、なんて結婚式のスピーチでは定番のことわざだが、この2人は正にそう。僕に泣き付き叩き出された隆は俄然スイッチが入ったのか、翌日から彼女の実家に日参し、許しを請うためにお父さんにアタックしまくったという。最後には娘はくれてやるから一発殴らせろ的定番の修羅場を経て、めでたく結婚を許可されたのだ。
きっと職業云々ではなく、お父さんにも湯沢隆という人間の熱意と真っ直ぐな人柄が伝わっての結果だろうと僕は思っている。
「まぁ、あれだ。最近ちょくちょくさ、店手伝わしてやってんだ。俺はいいっつってんのに、こいつがどうしてもって」
ごつい店主が柄にもなく照れまくりながら言い訳している。理恵さんは笑って、可愛い拳固で隆に空パンチをくらわせる。
「俺一人じゃ店が回らないから手伝ってって、泣き付いたのはどこの誰よ?」
「バッ……泣き付いてねーって!」
ガタイのいい男が小さな彼女に押されている。これはどうやら結婚してからも尻に敷かれそうだ。
僕と隆だけだった空間に、隆の大切な人がいる。以前なら到底耐えられなかった状況でも、今はともに笑っていられる。そこはかとないほろ苦さは胸に残るけれど、しょせんは成就しないとわかっていた昔の初恋の思い出みたいに、遠く懐かしい切なさだ。
「それでな、今日おまえが佐伯さんと晩飯食いに来るってメールみて、わざわざ準備中にしといたんだよ。頼みがあってさ。披露宴でおまえ、俺の友人代表でスピーチやってくれ」
「えっ!」
隆としては当然の人選だろうし、普通ならたいしたことではないのだろうが、そういうことが苦手な僕は素直に青ざめてしまう。
「だーいじょうぶだって、そんなに人呼ばねぇし。マイクもあるから下向いてぼそぼそしゃべっててもちゃんと後ろまで聞こえるぞ」
僕の狼狽を予想していたのだろう。隆のヤツ完全に面白がっている。さらにいたずらっぽい目をクルクルさせて、
「あ、それとも歌とか演芸の方がいいか? 俺は別にそっちでも……」
「スピーチでいいよ。喜んでやらせてもらう」
溜息混じりの苦笑で受ける僕に、隆は声を立てて笑った。
「潤也さん、よろしく」
理恵さんにも頭を下げられ恐縮してしまう。
さあ困った。この僕が大勢の人の前で原稿を見ずにちゃんと話なんかできるだろうか。とりあえず『雨降って地固まる』の一言は、軽く仕返し的な意味も込めて入れておかなくては。
ドアベルの音がして、少し急いで来たらしい彼が飛び込んできた。
「あ、らっしゃーい!」
「どうも! ごめん、遅れた」
最初のは隆に、後のは僕にだ。僕が大丈夫というふうに片手を上げると、佐伯さん――今は僕の秘密の恋人の晃一さんは、安心したように微笑して隣にかける。そして、初めてカウンターの中にいる女性の存在に気付いたらしい。
「あれ? マスター、バイトさんが入ったの?」
「ああっ、いや、あのー、実はこいつ俺の嫁になるヤツなんです」
隆が照れながら頭を掻く。普通なら笑っておめでとう、と言う場面だけど、晃一さんは僕の方が焦ってしまうほど動揺を見せた。
「えっ、あっ、そうなのか……!」
「理恵、こちらのイケメンは常連さんで潤也と同じ会社の佐伯さん。……おい?」
理恵さんはといえば隆に肘でつつかれるまでボーッと晃一さんに見惚れていたが、弾かれたようにあわてて頭を下げる。
「は、はじめまして! 竹内理恵です。よろしくお願いします」
晃一さんと至近距離で接した女性の典型的な反応だが、僕としては内心ちょっと穏やかではなかったりする。
「こちらこそよろしく。マスター、やるなぁ。こんな可愛い人どうやって捕まえたの」
「またまたぁ、口がうまいんだから」
晃一さんは一瞬見せた動揺を完璧に隠して隆をからかい照れまくらせると、僕に顔を向ける。その瞳が語ってくる。大丈夫か、と。
ライバルである隆が彼女とよりを戻し、二人の仲のいいところを見て安心するよりも、僕の心の傷の方を心配している。
本当に優しい人だな、と思いながら、僕は彼だけにわかるようにそっと微笑みを返す。大丈夫だよ、と。そして意識して明るく言った。
「今ね、結婚式のスピーチ頼まれてたんだ。そういうの初めてだからドキドキだよ」
「君がスピーチするの? それはまた今世紀最大の聞きものだなぁ」
「でしょ? 我ながら最悪の人選ですよ! 須藤潤也ほど、人前でスピーチという役割が似合わない男もいまい」
「ちょっと二人ともさ、親しき仲にもなんとかって知らない?」
僕は半分本気で唇を尖らす。そんな僕を見て3人が顔を見合わせて笑った。
「でも本当によかった。マスターも理恵さんも、おめでとう」
そう言って2人を祝う晃一さんは、心から純粋に彼らの幸せを喜んでいるようだ。
「さぁ、次は2人の番ですよ」
その隆の一言に僕は一瞬ギョッとしてしまったが、「果たしてどっちが早いかな」と続いた言葉に胸を撫で下ろした。
「どうだろうなぁ」
晃一さんはすっとぼけて笑っている。
「潤也はともかく、佐伯さんは当然いるんでしょ? 恋人」
潤也はともかくとは何事だと突っ込もうとする間もなく、晃一さんの「いるよ」の一言に僕は少々冷や汗が出る思いがした。
「だよなぁ、こんなイケメンエリート、女が放っとかねぇよな。やっぱすげぇ美人?」
「美人というより、目立たないけど可愛いタイプかな。そもそも俺の一目惚れで猛アタックしてようやくゲットしたんだ。癒し系で、一緒にいるとホッとするんだよ。結婚ってことなら、その人としか考えてないな」
「しまった、のろけられちまったよ」
「こっちだってさっきから見せつけられてるんだから、少しぐらい言わせろよ」
3人は笑っているけれど、僕は恥ずかしさにいたたまれず俯いてしまう。
顔もろくに上げられないでいる膝の上の手に、彼の手が重なった。もちろん、カウンターからは見えない位置だ。
顔を上げると、優しく微笑む彼の瞳とぶつかる。雨降って地固まるとは、僕達のことだったのかもしれない。
「はい、じゃーメシの前に特別サービス」
僕達の前に、透明な液体で満たされた洒落たグラスが置かれた。隆と理恵さんもそれぞれ同じものを手にしている。
「スパークリングワインで乾杯といきましょう!」
「あ、ライバル社のだ。会社には内緒にしておいてくれよ」
晃一さんはそう言って笑いを取った後、グラスを掲げる。
「お2人の婚約を祝して」
「俺達4人の永遠の友情を誓って」
隆が珍しく真面目な顔で受け、乾杯、と全員で唱和する。大切な人と触れ合わせたグラスが、幸福な音を高らかに響かせた。
◇E N D◇
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