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仕立て屋Long tail
春斗はこの春、服飾専門学校を卒業した。
学校から推薦された留学の話を蹴って、二年ほどアルバイトをしている赤字ギリギリの仕立屋に居座る事にした。
その宣言をした所、店主である深月という男は奨学金つきの海外留学を蹴るとは何事か、人生を何だと思っているのかと説教を始めた。
春斗としては、やりたい事が留学にあまり関係が無く、この赤字にはならない程度の店に居続けた方がやりたい事がすぐにできそうだから。という、至極単純な理由があった。
「僕の夢は子供の頃から決まっている。お金が沢山欲しいわけでも、人に称賛されたいわけでもありません、夢を叶えられる環境はこの店しかないと思っています。」
「そんな言い方したって無駄です、ただ単にあなたのマゾヒズムを満たす為でしょう。」
グウっと言葉に詰る。
その通りである。
「だいたい、このデザインはヨーロッパに行くのがやりたい事への最短ルートじゃないか?ヨーロッパで一生続けなくても、より高い技術を身に着けて、デザイナーとして周りからのインスピレーションを受けて、繋がりを作って、より洗練させて帰って来たらいい、学校を卒業したってまだ一人前とは言えない。」
「勉強は当然します。まだまだ駄目です。けど、愛する女王様達からインスピレーションを受けて、彼女達を事細かに全身くまなく採寸してその人の為だけに僕の手で服を作る。それがやりたくて勉強してきた。やっと卒業したのに今からまた別の事をやる気は露程も無いんです!」
言いながらその情景を夢想して恍惚としてくる、それと反比例するように、深月の顔がしかめられていった。
「純粋に気味が悪い……」
軽蔑の眼差しを向けてくるが、実際は同じ穴の狢である。
「深月さんだって割とお客さん選ぶじゃないですか。婦人服なんて特に。どっちの方が気持ち悪いかなんて不毛な問答はしたくありません、今まで通りこのまま最低賃金で雇っておいてください。僕の服が売れたときだけ委託販売として5割でも頂ければ良い。それで充分です。」
これはきっと、悪い話では無いと確信しながら詰めていく。
手縫い仕立てや、祖父の代からマニア的に収集した古い製法や型紙での制作などのマニアックな注文や、お直しは定期的に入ってくる、突発的に舞台衣装などの仕事もある。
仕事を一人で任せられるレベルには無くとも、使い慣れた人手は逃したくないはずである。
当然、深月が自分のキャリアと社会性を心配をしているという事が春斗にはわかっている。
それでも、このまま続けたい。
雇われる以上は自分の食い扶持は自分で稼ぐ気はあるのだ。
深月自身の仕事の在り方も、自分が暮らせる事である。
「委託販売分は今まで通りちゃんと7割で払う……」
大きなため息と共に、深月は折れてくれた。
「ありがとうございます!これからもよろしくおねがいします!」
この店『Long Tail』は、深月の祖父がやっていた紳士服の仕立屋だった。
本来の屋号は『テーラー長尾』である。
先代は現在、養老院で御婦人達と編み物に興じて楽しく暮らしている。
服飾関係のお店や事務所の多い駅からかなり歩いた外れの方の隣駅との間にあり、通りすがりに来店する人は少ない。
木の扉を入るとすぐ左手にはカウンターがあり、カウンターの奥は分厚い臙脂色のカーテンで区切られて作業スペースと更に奥には生地の倉庫への扉がある。
店舗部分の方が狭い位だが、その三分の一はフィッティングスペースとして区切られ、ショーウィンドウからの日が最も入る所に男女のトルソーには少々細すぎる青緑の華美な婦人服と、ストライプのシンプルな紳士服が飾られている。
先代の頃から使われている生地の見本が収められていた正方形が連なる棚の半分は小物の陳列に変わっている。
それは、深月が趣味に合わない生地を片付けてしまったからであり、若者に堂々と苦言を呈する割には己の気の赴くままに商品を作る道楽者である為だ。
春斗はしっとりとしたお店の雰囲気と、深月の神経質で古臭い縫製と偏屈な仕事ぶりを尊敬し、愛している。
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