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第28話 思惑と真実 3

暗い空間を一希は走っていた。 逃げなければ、殺されてしまう。 追いかけて来るのは、黒い靄にかかってよく分からない。多数というのは分かるが、実態が分からない。 でも彼等は自分を殺そうと追いかけている。 それだけは分かる。 「だっ・・・!」 走っている途中、誰かに足を掴まれ受け身が取れず一希はそのまま転倒してしまう。 それを好機だと、一希を追いかける集団は一斉にナイフや銃を出す。 彼等は口々に叫ぶ。 悪魔に魂を売った男娼が! 悪魔に身体を売った穢らわしい餓鬼が! ここで死んでもらわねばお前は将来、人間を消滅させるのだ! 殺せ!殺せ!殺せ! 彼等からの何の根拠もない罵声は、一希を恐怖に駆り立てる。 違う! そんなんじゃない! 立ち上がろうとするが足は強く掴まれ逃げられない。 このままじゃ、殺される! 突如、一希と彼を追いかける集団の間に一筋の閃光が走る。 それに一希を追いかけていた彼等はたじろぎ、後退していく。足を掴んでいた手も光の強さで消滅してしまった。 光が徐々に消え、中から現れた人物に一希は目を見開いた。 彼は転んで力なく座り込んだ一希を抱きしめる。 愛おしそうに一希の名前を呼んだ。 一希。 暖かい腕が自分を抱きしめている。 この腕はどこか安心する。 そう一希は感じた。 一希。 また、自分を呼ぶ声が聞こえる。この声と暖かい腕には覚えがあった。毎日自分を抱いていた男の、大きくて逞しい腕だ。 でも、自分の名を呼ぶこの声は安心できると分かる。 自分の名を呼ぶ声に意識が浮上していく。 その先に、自分に向けて誰かが手を伸ばしている。 一希・・・。 伸びてくる手を取りたいと、一希も手を伸ばす。その手は一希の手を掴むとそのまま引き上げるように急浮上する。 引き上げられていて、最初に気づいたのは艶のある長い漆黒の髪。 次に見たのは、美しいサファイアブルーの瞳。 長躯で、美しい肢体。 でも、彼は人間ではないとわかる。 そして自分は、この美しい男を知っている。 私の・・・大事な・・・一希。 手を引き上げられ、そのまま流れるように彼の腕の中に取り込まれた。 徐々に男の輪郭が分かってくる。自分に向けてニコリと優しく微笑み、強く抱きしめる。 彼は。 淫魔王・ヴィンセントだ。 ※※※ ゆっくりと、一希は目を開けた。 起き上がった一希は、暗がりで目が慣れないまま辺りを見回した。 ここは畳の部屋なのか、畳独特の匂いがする。襖で外が締め切られているが、月の光が部屋に入っている。押し入れがあり、締め切られているが壁に掛けられている掛け軸は、何かの漢字が二行の行書体で流れるように書かれている。 日本の和室に、自分は寝かされていた。 なら、中世期ヨーロッパの要塞城だったヴィンセントの城ではなさそうだ。自分の下には布団の感触がある。自分はここに寝かされていたのか。でもここは、一体どこなんだ? ふと、誰かの気配を感じた一希は暗がりだが目が暗闇に慣れ徐々に輪郭が分かってくると、その人物に驚いた。 「真矢・・・?どうして?」 セミロングの髪が彼女の寝顔を隠すように覆っている。彼の隣で寄り添うように穏やかな寝息を立てているのは、自分の妹・有坂真矢だった。 寝落ちしたのだろう。背中から布団がかけられていた。 真矢はうつ伏せになって深く眠っている。状況がよく分からないが、真矢がいるという事は、ここは人間界で、自分は魔界から戻って来たのだろうか。 一希は、布団から脚を出して立ち上がった。真矢を起こさないよう、ゆっくりした足取りで歩き、襖を開けると部屋を退室した。 外は満月だった。 巨大な月が此方を照らすように、月自体が此方に向いているように見える。 目の前に広がるのは綺麗に整備された庭園だ。所々で草木が伸びている所があるが、庭自体が広くてその先は整備されていない鬱蒼とした木々が見える。 一希は、外に出ても肌寒さを感じない事に気づいた。ヴィンセントの城にいた時には薄いシルク製のガウンしか着せてくれなかったから、少し肌寒さは感じていた。そのため彼の抱擁は暖かく感じていた。 しかし今着ているのは、上はチェック柄の長袖のトレーナーに、紺色の少しダボっとしたスウェットだ。下着も履いているから、性器が直に分かる格好じゃない。しかもこのトレーナーとスウェットは自分の物だ。 一体どうして、自分はこれを着ているのか。 どうして真矢がいるのか。 一希は、廊下を歩く。 庭先にはスズムシやマツムシ、コオロギ達の鳴き声が木霊している。一定の音波で鳴く彼等の声にどこか感傷に浸っていたい気分になる。 穏やかに冷たさを感じる夜風を身体に受ける。秋の夜風は冷たさを運んで来るが、この冷たさは自分にとって丁度良く、寒気は今のところ感じていない。夜だからか、起きているのは自分だけのようだ。 一希は自分を照らす月を見上げた。 綺麗な月だ。 欠けた部分がなく、今夜は満月のようだ。 この月の光と夜風、そして秋虫達の鳴き声は、魔界では感じられなかったものだ。数日しかいなかったが、ドールハウスの地下生活やヴィンセントの城内にいると懐かしさや新鮮さを感じてしまう。 そうすると、やはりここは人間界なのだと一希は理解した。 ふと、身体の力が抜けていく。 一希は、立ち続けるのが辛く、そのまま欄干に背中を預けズルズルと座り込んだ。立ち眩みのように視界がフラフラしていて、足に力が入らなくなっている。 水が飲みたい。 身体中が水分を欲している。 ゆっくり深呼吸をしながら、一希は自分を照らす月を見た。 「綺麗だな、月は」 一希は人間界戻る寸前の出来事を思い出した。 ヴィンセントの城にいた時、彼から尋問を受けた速水は、激昂したヴィンセントに首を絞められ殺されそうになったところをかろうじて自分が助けた。 その時、強い光に包まれ気づいたら先程の部屋で寝ていたのだ。 彼のあの顔は、恐ろしく正に鬼の形相そのものだった。いつも冷静で余裕のある彼とは違った顔。 なぜ彼はあんな顔を見せて速水を殺そうとしたのか。 彼は、速水がソフィア姫が自死したと言った途端、形相を変えて速水の首を締め上げた。 そして速水も知っていた、自分と彼の繋がり。 ヴィンセントはソフィア姫の息子。 自分は彼女の婚約者ユーリィの子孫。 ヴィンセントは嬉しそうに自分達は運命の番だと言っていた。 自分の瞳の色は、日本人として生まれたのに、すごく珍しいと言われた事があった。両親は心配して医師に見せた事があったが、目の見え方も問題なければ病気でもなく、成長したらもしかして色が変わっているかもしれないと言われた事があった。 でも、ずっとこの色だ。ヴィンセントと同じあの瞳の色。この瞳の色が彼との繋がりを示していたのかもしれない。 彼の言った運命の番とは、本当に淫魔王の彼自身が選んだからなのか。 そして、彼と自分の関係性を速水は知っていた。 なぜ速水が知っていたのか。 それもこれから聞かないといけない。 「あれ?」 そういえば、渇きの症状が現れていない事に一希は気づいた。 苦しさも、あのヴィンセントを求める衝動さもない。 ヴィンセントの体液を、特に彼の精液を身体に取り込まないと渇きの症状に襲われてしまう事は一希は魔界とドールハウスに収容されてから知っている。自分が人間界へ戻ってどのくらい時間が経過したのか分からないが、だいたい丸1~2日経つと渇きの症状が現れ、満たされない苦しみを覚えてしまう。今までヴィンセントに抱かれていたから症状が出現してもすぐに鎮静する事ができた。 症状が出ていないのは、人間界に戻ったからなのか? 一希は、誰かの足音に気づいた。 足音の方に顔を向けると、奥の部屋から長身の先輩退魔師・速水が部屋から出て来た。彼は一希を見つけると、立ち眩みで座り込んでいる彼に向かって微笑んだ。 「一希、起きたのか。水を飲むか?」

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