29 / 30

第29話 思惑と真実 4

誰かの足音が聞こえた一希は、足音の方向を見ると速水が近づき、ニコリと微笑んでいた。 座り込んだままの一希の隣に速水も屈んだ。 「速水さん」 「起きたのか、一希。ここは冷えるから、部屋に入ろう」 「すいません、立ち眩みがして、今立ち上がれなくて」 「じゃあ、俺が支えるよ」 一希は速水の肩に手を回した。速水も一希の腕を肩に回すと、ゆっくりと立ち上がった。そのままゆっくりと部屋に向かう。 「大丈夫か?」 速水に支えられている一希は足に力を入れようと意識して彼に続くように立ち上がった。立ち上がった途端、足がもつれた感じを覚えたが一希は意識して踏ん張った。 「はい。まだ足に力が入らなくて」 「そりゃそうだろ。お前、人間界に戻って2日は眠りっぱなしだったんだ。このまま俺が支えるから、心配するな」 「ありがとうございます」 速水は一希を支えたまま、部屋へ向かう。 自分のトレーナーにスウェットと違い、速水はベージュのジャケットにカーキ色のスウェットだ。髪は前髪を下ろしており、フレームの細くて丸い眼鏡をかけている。 速水の服装から外出するかのような服装だと連想できた。 「どこかに出かけていたんですか?」 一希は聞いた。速水は、ああ、と頷く。 「寺の周りの結界の護符を確認していたんだ。もしまた淫魔王が現れても、しばらくは凌げるからな」 あれ?と一希は思った。 「寺?ここは、あの修練場の?」 「ああ。ここはお前と照史がまだ俺の助手だった頃に使っていた所だよ。俺の屋敷じゃ、もし淫魔王がやって来てもご近所の目があるからさ。ここなら人目につかないし、木々が俺達の気配を消してくれるから、そう簡単には見つからない」 なりたての頃、まずは自分の身を守る術を身に付けるようにと照史と速水で高校の授業終了後、寺通いしていたのを一希は思い出した。今はあまり行かなくなったが当時は速水に護身術を教えてもらいながら、彼の助手として妖魔退治を3人でやっていた。 昔からこの寺は雑木林で囲まれていて、妖魔達も中に侵入する事はできなかった。最も、自分達も慣れるまで散々迷ったが。 一希を支えたまま速水は灯りがついた襖を開けて部屋の中へ入った。 中は奥に流し台と冷蔵庫、コンロが設置されている。速水は一希をゆっくりと降ろすと、冷蔵庫から冷たい水が入ったピッチャーを取り出しコップに注ぎ一希に渡した。 「一杯飲みなさい。かれこれ2日は眠っていたから」 「あ、ありがとうございます」 速水から水を受け取ると、一希は水をそのまま喉に流し込む。喉を冷たい水が通過していく感覚が気持ちよく、血液と混じって身体中を巡回している。水分を摂っていない時間が長かったせいなのか、また水が欲しくなった。 「もう一杯入れよう」 一希からコップを受け取った速水は、ピッチャーからもう一度コップに水を注ぐと再度一希に渡した。 「おいしい」 飲み終えた一希は、空になったコップを速水に返した。 「大丈夫だったか?」 速水の問いに一希はゆっくりと立ち上がった。少し歩いたからか、先程の立ち眩みは消失していた。 コップを流し台に置いた速水を見て、一希は彼に尋ねた。 ヴィンセントの城に速水達が来てくれたのは覚えている。激昂したヴィンセントから速水を守ろうと彼の腕にスティレットナイフを刺した事も覚えている。 でもその後どうなったのか、どうして自分が人間界に戻って来たのか、それがわからなかった。 「どうして、俺は人間界に?」 速水は一希の問いに答えた。 「お前は俺を庇って淫魔王ヴィンセントの腕にナイフを刺したんだ。奴が怯んだ隙に、光が俺達を包んで人間界に帰ることができた」 速水の話によると、人間界へ帰還したのは一希と照史、ディーンとサム、そして自分の五人だった。一希以外の四人は人間界へ帰還してすぐに目が覚めた。しかし、一希はなかなか目が覚めず、さらに身体が男性体から女性体へ変化しており、照史に一希の荷物を取って来てもらおうと自分のマンションへ赴いた際、真矢と合流してこの寺に戻ってきたという。ちなみに一希の着替えをしてくれたのは、真矢だった。 「すまないが、お前の身体を見た時既に女性化が進んだ状態で、俺達男ではとてもじゃないが出来なくて・・・」 申し訳無さそうに速水は謝罪する。 実際、人間界へ帰還してすぐ、シルク製ガウン1枚とヴィンセントの魔力がかけられた首輪が装着された一希は扇情的な姿をしており、自分達では着替えを行うだけでも躊躇いを感じていた。タイミング良く真矢がいなければ、一希の着替えもできなかっただろう。 「ありがとうございます。でも、真矢には俺の身体の事」 「ああ。俺から伝えた。隠し通す事もできなくて、真矢ちゃんにはそりゃあ問い詰められた」 当然といえば当然だよな。 速水は力なく笑ったが、妹がやって来て説明を求められたのは速水も照史も大変だっただろうと思うと、一希としては申し訳ない気持ちになった。 でも、家族には自分の身体が両性具有となった事は知られたくなかった。 真矢には、退魔師の仕事は伝えていなかった。もちろん両親にも伝えた事はない。家族に話したところで反対される事は分かっていたし、両親は恐らく霊感がない体質の人間だ。説明しても理解してくれるか怪しい。 怪奇現象や妖魔や魔族の類いは実のところ、霊力のない人間では分からない。ヴィンセントのような美丈夫の魔族を見たら、モデルのように綺麗な人だと思うくらいだろう。 たまに霊障がある土地に行っても体調が変わらないという強者もいるが、繰り返しその場所を訪れるとやはり霊障により心身の不調をきたしていた。自分と照史は、始めは言わば速水の助手として手伝っていただけだ。始めは土地に入っただけで体調を崩していたが、場数を踏んで徐々に耐性を付けていった。やはり何の耐性もない人間が霊障のある土地には行けない。 本格的に退魔師として活動を始めたのは高校を卒業してからだ。それ以降、耐性が付き霊障による心身の不調はなくなったが。 しかし今回のように淫魔に攫われ、身体を変えられた事は家族になんて伝えたらいいのだろう。 トレーナー越しから、一希は自身の胸を触った。 だいぶ膨らんでいる。速水は遠慮がちに言っていたが、ガウンしか着ていなかった自分の身体を見た時すごく驚いたんだろうと思う。 ドールハウスにいた頃、ヴィンセントに指摘され気づいた時にはまだ膨らみ始めという状態だった。 でも、これはもう隠しきれない。トレーナーの上からでも大きく膨らんでいる事が分かる。 「ヴィンセントは・・・」 「恐らく、また来るだろうね。近いうちに。そんな身体になったお前を、そう簡単に手放すとは思えない」 一希も確かにと同意した。 ゼルギウスの講義から、淫魔王ヴィンセントと情交を重ねた一希は、ヴィンセントの子供を妊娠できる身体にされてしまったと断定できる。そんな一希を簡単に手放さないし、近いうちにヴィンセントは一希を連れ戻しに来るだろう。 人間界に戻ったところで、状況は変わらない。 でも、と一希は速水を見た。 ヴィンセントに魔界に連れ戻される前に、どうしても速水には聞きたい事があった。 なぜ速水は、一希の家系図を調べていたのか。 「速水さん、聞きたい事があるんです」 「もちろん。お前には話さないといけない事だ。お前の体調が回復次第、必ず話すつもりだった」 一希は自分より長身な速水を見上げる。 フレームの細い眼鏡を掛け直すと、速水はゆっくりと語った。 「まずは、話は7年前に遡る」 それは一希と照史が高校1年、速水が25歳の話だった。3人が知り合って日が浅い頃、低級妖魔がひっきりなしに襲って来た。一希と照史はなりたての事もあり、速水に守られるしか術はなかった時代だ。最初にヴィンセントと一希が出会ったのも、ちょうどこの頃だ。 「あの頃、お前と照史はなりたてとはいえ、今よりは霊力は脆弱だった。だがお前は当時から潜在的に霊力が高いのは分かっていた。あの時低級妖魔が狙っていたのは、お前だったんだ」 「ーーっ!?」 一希は驚いた。さらに速水は続ける。 「実は俺も始めてお前に会った時、その瞳と霊力の高さに違和感があってな。速水家は曽祖父の代からカトリック教のエクソシストと繋がりがあって、お前の事を調べてもらった」 日本人には珍しい一希の瞳の色と潜在的な霊力の高さに疑問を感じた速水は、過去の記録を調べると似たような事例が中世期にあった事を突き止めた。 「それが、ソフィア姫、ですか?」 一希の問いに速水は頷いた。 「彼女は、現在のウクライナ地方の生まれだった。彼女もお前のような瞳の色に潜在的に霊力が高い方だったらしい。だから彼女は幼い頃からずっと妖魔に狙われていた」 速水が言うには、当時はイギリスとフランスとの戦争が長期に渡った事、有名な疫病ペストが蔓延した事によって彼女を護衛できる者が死に絶えたという。そこで、彼女の父は従兄弟でエクソシストに入団したばかりの青年ユーリィと結婚させて生涯彼女を妖魔から守るよう手配していた。彼女に限った話ではないが、当時のウクライナ地方には霊力の高い女性が多く、上級貴族なら他国へ嫁入りさせて身の安全を守っていたという。 「でもなぜヴィンセントの父さんの番に?」 本来なら彼女は従兄弟のユーリィと結ばれる筈だった。だが彼女が18歳を迎えた頃、転期が訪れたという。 「彼女には15の頃から雇い入れていた楽師がいたんだ。ユーリィは戦や疫病で死人が出る度駆り出されてな。彼女の家族もペストで亡くなっていて、周囲には誰もいなくなっていた。自然と彼女は、その楽師と親密な関係になっていったそうだ」 その楽師の正体がヴィンセントの父、淫魔王アレクサンダーだった。 ユーリィ不在の間、彼女とアレクサンダーは関係を築いていた。アレクサンダーはユーリィとも親しい関係で、自分が不在の間に彼女の傍にいてくれていた事にユーリィは感謝していたという。 「そして、ユーリィとソフィア姫の結婚式当日、アレクサンダーは彼の目の前で彼女を攫い、彼女を番にしたんだ」 「えっ!?」 驚いた事実だった。ユーリィは、彼が淫魔王というのはこの時知ったという。 「魔界に連れて行かれた彼女をユーリィは追った。だが彼がアレクサンダーのもとへ到着した時には、彼女は自死してすぐの事だった」 ユーリィは、仲間のエクソシスト達と共に彼女の遺体を人間界へ運んだ。彼女を埋葬した後、彼はひたすら旅を続け最終的に日本へ辿り着き子孫を残して生涯を閉じたという。 アレクサンダーが彼女の遺体を渡すよう彼女の国を消滅させたのは、彼が出奔した直後だという。 「エクソシスト達の見解はそうだった。だから息子のヴィンセント王がお前を番に選んだ時、同じ悲劇が起こる事を予想して俺にお前の家系図とスティレットナイフを渡した。二度と同じ過ちを繰り返さないようにと」 しかし一希には納得しづらい部分があった。 じゃあなぜヴィンセントは、あのように激昂したのか。 「一希、淫魔王から離れるには奴の番を拒否するしかない」 速水は一希の両肩に手を置いた。 「お前の家系図やスティレットナイフは、全てお前を守るためなんだ。信じてくれ、一希」 「速水さん」 「数時間後にエクソシスト達がここに来る事になっている。そうすれば、お前の身体も元に戻してくれる筈だ。彼等はその術を知っている」 ふと、誰かが襖を開ける。その人物は銃を速水へ向けてこう言った。 「おう、速水。一希もいる事だし、その話の続きを3人でやらねぇか?」 短髪の黒髪をクルーカットにしたアメリカ人・ディーンが速水に銃口を向けていた。

ともだちにシェアしよう!