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第6話

 ***  ここのところ、天気が悪い日が続いた。  赤竜の加護を受けているアリステリア王国は、雨の日、曇りの日、晴れの日がバランスよくやってくる。  よって木の実はよく実り、小麦は田畑を黄金に染め、野菜もすくすくと育った。  その上、地下に埋蔵された資源も豊富で、それらを他国に売り、本来なら国民全員が潤った生活ができるだけの収益を上げていた。 「――今日も洗濯物が乾きませんね」  そばかすが可愛らしいシーナが、寂しげな声で窓の外を見た。 「そうだね。もう十日も雨が降り続いてる……」  二人で食堂室のテーブルに座り、温かいミルクティーを飲みながら、窓の外を眺めた。  世話係といっても、ノエルはシーナを友達だと認識しているので、仕事がない時は一緒にお茶を飲んだり、精霊の間で流行っているゲームなどをして遊ぶことがよくあった。  このことに長は目を細め、なんの忠告もしてこない。 「ノエルはノエルが感じるまま、思うままに生きなさい。それがあなたのさだめ」  長のもとを訪れるたびにそう言い聞かされ、ノエルも素直に首を縦に振った。 「うん、僕は友達がたくさんほしい! だからシーナも友達。それでも構わないでしょ?」 「あなたがシーナを友と呼ぶのなら、それはきっと間違いのないことよ」  長からの返答に、ノエルは喜んで頷いた。  だから、今もこうして二人でお茶を飲みながら、最近天気が悪い……と世間話の合間に窓の外を見ていた。 「ノエル様のお洋服もお洗濯したいんですけどね。シーツだってそろそろ限界です。枕カバーと一緒に洗いたいですわ」  シーナは「家事が好きだ」といい、これまで洗濯も掃除も料理も、文句ひとつ言わずにこなしてくれた。  地を這って花を探すのが好きなノエルは、いつも服に土汚れをつけて帰ってきた。  それを苦笑しながら受け取り、シーナは真っ白に洗濯してクローゼットにしまってくれるのだ。  だからノエルはいつもシーナに感謝していたし、休める時は休んでもらい、ともに楽しめる時間があるのなら楽しみたいと考えていた。 「シーナはお洗濯も好きなの?」 「はい、頑固な汚れほど『綺麗に落としてやる~っ!』っていう闘争心が燃えて、真っ白になった時の快感は、他に得難いものがありますわ」 「そうなんだ」  これまで一度も洗濯をしたことがないノエルは、尊敬の眼差しでシーナを見た。  しかし、本当に雨が止まない。  生まれてまだ数年しか経っていないが、それでもこんなに雨が降り続くのは、ノエルの記憶にないほどだった。 「先日ばば様が、赤竜の女王様とお話をしたのですが……お返事がまだ来ないそうなんです」 「お返事が来ないって、赤竜の女王様と連絡が取れていないってこと?」 「はい」 (ファルタは、一体どうしちゃったんだろう?)  出会った日からファルタとはずっと仲良くしていて、彼女の温かいガーネットの身体に寄りかかっては、いつも一緒に会話を楽しんできた。空を飛ぶ練習だってしていた。  しかし、ここのところ雨続きなので、彼女にも会っていない……。  雨の日は会えないことが自然であると思っていたが、ここまで彼女の優しい顔を見ていないと思ったら、急に不安が襲ってきた。 (赤竜の国で、何か良くないことでも起きてるんだろうか?)  そんな嫌な予感がした時だった。 「失礼します!」という言葉とともに木戸をノックされ、シーナが開けに行った。  するとそこには長に仕える青年が立っていて、頭を一つ下げると、慌てたように天を指差した。 「大変です、あの黒い塊を見てください!」 「あれは一体何!?」  あからさまに顔が青くなったシーナに驚き、ノエルも玄関まで走っていって、彼が指差す方向を見上げた。 「あの黒い帯状のものは?」  低く垂れこめる雲の間を、長く太い列がうねるように続いていて、ノエルは濡れるのも忘れて外に出た。 「ばば様の話によると黒竜の大群だということです。黒竜はとても凶暴で、精霊や人間を襲っては食べると言います。その黒竜が、大量に赤竜の国へ攻め入っているものと考えられます」 「そんな……」  この話に、ノエルは一気に青ざめた。 「どうぞお二人とも精霊の国へお逃げください。あそこは結界が張ってあるので、黒竜でも入ることはできません。それに高台にあるので、もし川が決壊しても安全です」 「決壊するの? 川……」  現実味を帯びた恐怖が急に襲ってきて、ノエルの背中に冷たい汗が流れた。 「わかりません。でも大事を取って、平地に住んでいる精霊たちは、ばば様の館へと非難させました」  実は精霊たちは、人間界から離れた土地にそれぞれ家を建て、好きな場所に住んでいる。  ノエルも同様で、王子のような存在なのだが、多くの者が傅く長の館が苦手で、好きな土地を選んで、自由気ままに暮らしていた。長の許可を得て。 「わかった。シーナはお家へ帰って。そしてお母様と一緒に館へ逃げて」 「ノエル様は?」  なおも不安がる彼女に、ノエルは安心させるように微笑んだ。 「大丈夫、僕も国へ逃げるから」  この言葉に頷いた青年は、持ってきてくれたのだろう雨合羽をシーナに着せると、走って帰る彼女の背中を、ノエルと一緒に見送った。 「私が責任を持ってばば様のもとへお送りいたします。さぁ、ノエル様も逃げる準備を!」 「はい!」  ノエルは頷くと、大きな袋に服などを放り込み、家を出た。  すると青年がもう一枚持っていた雨合羽を着せてくれ、精霊の国の奥深くへと二人で向かった。  途中途中で大きな水溜まりができていたり、道が土砂で塞がれていたりしていて、しばらく家から一歩も出ていなかったノエルは、この状況に戸惑うばかりだった。  それでもなんとか青年と一緒に長のもとに辿り着くと、雨合羽を脱ぎ、白く光る石で造られた大きな館に入る。 「ばば様!」 「あぁ……ノエル。無事だったかい?」 「はい。ばば様たちは?」 「私たちは大丈夫だよ。それより、川下に住んでいるお前たちが気になってね」  彼女が言うが否や、先ほどとは違う青年が、長の座る高座の前で片膝をついた。 「ご報告いたします。平地や川下に住んでいる者たちは、全員避難が完了しました!」 「そうかい、そうかい。それは安心した。それではこの館の部屋をすべてを開放して、その者たちを受け入れてやっておくれ」 「かしこまりました」 「あと、お前たちはありったけの小麦粉を集めて、硬いパンを焼いておくれ。とにかくたくさんね。甘いものやしょっぱいものなど、味つけも様々に」 「どうして硬いパンを焼くの?」  仕える女性たちに指示した長に、ノエルは問いかけた。 「硬く焼いて乾燥させたパンは、日持ちするからね。国中の小麦粉を使っていいから、できるだけ非常食の用意をしておくんだよ。あぁ、それと砂糖を使って、飴も大量に。子どもたちのおやつになるからね」 「はい、かしこまりました」  年老いて、歩くことも困難な長を支える少女たち以外は、みな忙しく動き回っていた。  精霊たちはエーテルの泉か精霊夫婦から生まれ、エーテルに癒されて日々を生きているが、食事は人間と同じような物を食べていた。  大地から溢れるエーテルを吸って、生きながらえることもできるが、育ち盛りの子どもたちはきっとそれだけでは足りず、「お腹が空いた」と泣き出す者も出てくるだろう。  そのような時のことを考えて、長は指令を出したのだ。 「ねぇ、ばば様。川が決壊するほど雨が降ったことって、これまでにもあったの?」  彼女の横に正座しながら、ノエルは風も強くなってきた外の様子が、不安で仕方なかった。 「そうだね……私がまだお前ぐらいの時に一度あったね。でもその時は、赤竜の女王が彼らを追い払ってくれた。だから私たちは無事だった。だけど今回は……」 「今回は?」  言葉の先を渋る長に、ノエルの表情もだんだん険しくなる。 「今回はわからないね。赤竜の女王様ももうお歳だ。二千年以上は女王を務められている。だから今回は、どこまで黒竜を退けることができるか……」 「ファルタって……っていうか、女王様ってそんなにお歳だったの?」 「そうだよ。竜は長生きだ。私たちの想像を遙かに超える時間を生きている。だから女王様の本当のお歳を、誰も知らないんだよ」 「それぐらい長い時間を、女王様は生きてきたってことなんだね」  ノエルは俯くと、ますますファルタが心配になってきた。  城の中は相変わらず慌ただしく、シーナも仕える女性たちに混じって、忙しそうに動き回っている。  そんな彼らを見て、ノエルは自分の力のなさを痛感していた。  いつも家のことはシーナにしてもらっているので、パンひとつ焼くことができない。  三十センチしか飛ぶことができないので、崖崩れで逃げることができなくなった精霊たちを、空を飛んで助けに行くこともできなかった。 (ファルタ……)  そして何より、親友が現在どのような状況なのか、そのことが一番心配だった。 「どうしたんだい、ノエル」 「僕、ちょっと女王様に会ってきます」 「なんてことを言うんだい。そんなこと無理に決まって……」  ファルタのことしか考えられなくなっていたノエルを引き留めようと、長の腕が伸ばされた。しかしその手は、すんでのところでノエルの服を掴み損ねる。  ノエルは走るのが速い。  なぜなら、半分宙に浮いているからだ。 「ノエルを捕まえておくれ!」  仕える少女たちに声をかけたが、あっという間に館を飛び出してしまった彼を、少女たちは捕まえることができなかった。

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