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第41話

 神など信じたこともないくせに、いまは誰でもいいからその存在に縋りたい思いだった。眠っている少年を驚かせないよう、やさしく話しかける。そうしていないと、恐怖に凍り付いてしまいそうだった。 「いまからしばらくの間お前を一人にする。必ずお前を助ける。だから待っていてくれ……」  崇嗣はマルの手に唇を押し当てると、迷いを振り切るように身を起こし、寝室の扉を閉めた。普段は彼の目の届かないよう、隠しておいた武器や装備などを取り出し、必要なものすべてを詰め込むと、リュックを背負った。これから自分がすることは、常識では考えられないことだ。わずかなミスが命取りになる。  ヴィオラが崇嗣のようすをじっと見ていた。そのシニカルな瞳に、この猫はときどきこちらの考えていることがすべてわかるのではないかという気になる。 「なるべく早く戻る。マルを頼む」  崇嗣の言葉に何を思ったのかわからないが、ヴィオラはふいと顔をそらすと、寝室の扉の前で丸くなった。  REX社は元々は小さな清掃業から始まった会社だった。その始まりが回転式の掃除機を扱う会社であったことを覚えている人間はほとんどいない。  創業者のKAZUTOSHIは日系の移民で、彼は後に世界有数の大企業のトップにまで上り詰めるが、REX社の名を世界に知らしめたのは、革命的とも呼べる、他に類を見ない高度なロボット技術だった。高い知能を持ち、その肉体は人間とまったく変わらない人工生命体、アンドロイドの誕生は、それまでの人々の生活を大きく変えた。数年前にトップが代替わりしてからも、そのロボット技術は圧倒的で、他の追随を許さなかった。  一般的には知られていないが、REXの本社とは別の場所に、ごく一部の人間しか入ることのできない研究所がある。周囲を森に囲まれた建物には、開発ラボやシュミレーター、飛行場まであるが、その存在はあくまで秘密にされている。セキュリティーは完璧なまでに守られ、侵入はほぼ不可能、まさに森にできた小さな要塞だ。崇嗣はその東棟の森の中に身を潜めていた。腕時計を見つめ、心の中でカウントを唱える。  ――3、2、1……。  突然、けたたましいアラーム音が鳴り響くと共に、周囲の明かりがぱっとついた。その瞬間、先ほど仕掛けておいた時限装置が発動し、きっかり60秒間、周囲に張り巡らされたフェンスに流れる高圧電流が一時的に遮断される。崇嗣はひらりとフェンスを乗り越えると、滑り込むように建物の陰に隠れた。セキュリティーにアクセスし、建物全体の防犯カメラ映像をループさせ、侵入に気づくのを遅らせる。  今ごろ正面ゲートでは崇嗣が雇ったキャンパーたちが酒を飲み騒いでいるはずだ。しばらくして問題がないとされたのか、辺りは闇に包まれた。崇嗣はある事情から、REX社の建物内の構造を熟知していた。ただ、自分が知る情報は十年以上も前のものだ。当然セキュリティーや警備は、崇嗣の知るころよりも遙かに強化されているだろう。いくら小手先の誤魔化しをしたところで、侵入者がいることがすぐに知られることはわかっていた。あとは時間との勝負だ。  マルの身体を調べたとき、崇嗣は彼のチップが壊滅的なダメージを受けていることに気がついた。マルの本体であるPG12417型は初期モデルなため、使われている技術も素材も、現在と比べて遙かに劣る。元々、老朽化で限界に達していた上、自分を助けるときに無理をしたことで、致命的な損傷を受けてしまったのだと考えられた。  マルを助けるためには、REX社のホストコンピューターから新しくデータを書き直す必要があった。そう、崇嗣が考えた作戦とは、REX社の研究所に侵入することだった。崇嗣がふ、と息を吐いたときだった。 「動くなっ! そのままゆっくりとこちらを向くんだ。いいか、おかしな真似をしたら撃つぞ。――アルファから本部へ。東棟に侵入者あり。繰り返す、アルファから本部へ。東棟に侵入者あり」

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