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第1話 四度目の春
その日は、朝から最悪なスタートだった。
気がついた時には朝になっていた。寝た気がしない、身体に残ったアルコールが頭をガンガンと叩く。
壁の時計に目をやると既に七時をまわっている。昨日の夜の接待のせいだ。あんなに飲ませるなんて、このご時世にと苦々しく思う。
それでも染み付いた習慣で、会社に間に合うよう淡々と支度を進めていく。いつものようにレジメンタルのネクタイを締めてワックスで髪を整える。
洗面所の鏡に写った疲れきった自分自身に、今日で今週も終わりだ、あと少しだと声をかけてやる。
食欲も無いし時間も無い。冷蔵庫からゼリー飲料を取り出し、とりあえず胃袋に流し込む。他に入っているのは水と缶詰、ひどいものだ。何も入ってない冷蔵庫は食器棚の代わりにもなっている。置き場の定まっていないグラスや割り箸まで冷蔵庫に入っている。
所詮、食欲があったとしても食べるのはコンビニのおにぎりがいいところだ。特に代わり映えする訳でもない。
こんな生活をしているのを知ったら、また母親がぐちぐちと言い出すのは目に見えている。
『独りで生活しているからそうなるでしょう。そろそろ家庭を持った方がいいのよ。田辺さん家はもうお孫さんが二人目ですって』
延々と続く恨み言のような小言。それが聞きたくなくて、だんだんと実家からも足が遠のいてしまう。
別に家庭を持つ事に否定的ではない。そうするのが普通なのなら、いつかそう流されるのだろうと最近では思い始めている。
もう誰も愛せない。そう思った四年前の春、あれ以来だれかと時間を分かち合うということはない。
身体の熱だけなら、取る方法はいくらでもある。一晩限りの相手を見つけるのは難しいことではない。特に今の生活に不便もない。けれど、母親がそう言うのなら誰か適当な相手を見つけて、家庭を持てばいいのだろう。
ただ、会社に行き仕事をこなして、とりあえず生きる。そもそも、目的をもって生き生きと生活している人なんてほとんど世の中にはいないんだと思う。自分がなぜ生きているのかなどと大仰なことを考えているわけじゃない。小さい楽しみや、小さい躓きはこんな生活の中にもある。
とりあえず、今日を過ごして明日を迎える。その単純作業の繰り返しで一年を過ごし歳を重ねる、それだけのこと。
思考がマイナス方向へと向かっている。今日は心がささくれだっている。自分の気持ちの中にあるどうしようもない苛立ち。その原因が分かっているだけに余計情けない。
昨日の夜の夢のせいだ。飲みすぎた酒のせいなのか、ここしばらく見ることのなかった夢を見た。夢の中で、俺の腕の中にいたのは……。
思い出しても仕方ない。あれ以来一度も会っていない。通っている大学も知っていた。それでも、会おうと努力しない限り社会人と大学生とでは生活時間も違う。会うのが怖かったのかもしれない。もう俺の居場所はないと告げられるのが。
長い休みには、ふと何をしているのか考えたこともあった。携帯に手を伸ばしたのも一度や二度じゃない。
なんで今頃。四年も経って、最後の清々しい笑顔しか思い出せないのか。憎むことができたらこの執着から離れられる気がする……。
「……奏太、どこで何している?」
捨てきれない思いが声に出た。耳に戻ってきた自分の声に誰かに捻じられたように胃がきりきりと痛んだ。
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