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第18話 踏み出す
「何飲む?」
意識して明るく声をかける、瑞樹が何も言わないのが怖い。
「奏太、きちんと話をしよう」
その声のトーンから良い話でないことは明らか。
「腹へった、食事を頼んでからにして」
そう伝えると、瑞樹は無言で視線を落とした。居酒屋の小さい個室で、向き合って座る。
……久々に正面から瑞樹の顔を見たなと思う。
壁に出来た何らかの染みが、ヤモリのように見える。
家の守り神だったよなと、ぼんやりと考えた。その守り神の見守る小さい空間には変な静寂が満ちていった。
居酒屋の喧騒の中、その空間だけが水の底にあるようだった。遠くから聞こえる笑い声も水の中で聞こえるこもった音のようになり、響いてくる笑い声も気泡の弾ける音にしか聞こえなくなってきた。
沈黙を破ったのは、俺でも瑞樹でもなく店員の勢いのある言葉だった。
「お飲み物は何になさいます?」
ガラリと個室の引き戸を開け、ひょいと顔をのぞかせた。その瞬間に部屋いっぱいに満ちていた水がザッと開いた扉から流れ出たような気がした。
足りなかった酸素を肺一杯に満たすように大きく呼吸をした。
「とりあえず、生ビール二つお願いします」
聴き慣れた言葉が口からついてでた。「とりあえずって何だよ」そう思っていたのに。いつの間にか覚えてしまったフレーズが口から出た。
店員が扉を閉めると、こぽこぽと湧き上がるように静寂がまた部屋を満たしはじめた。
瑞樹がため息をついた。
仕方ないんだよなあ。うん、諦めたくはないけれど仕方ない。
わかっていたこと、せめてもう少しだけでも楽しい時間を過ごしたかったな。
「わかってる、ちゃんと聞く」
幸運を呼ぶヤモリが壁で笑っている。
「奏太、この前は本当に悪かった」
なんで謝るかな、俺が悪いのに。
「瑞樹、きちんと説明する。勘違いしないで、大丈夫。何もなかったから」
そう、何も出来なかった。結婚するんだってね。心の中で声にならない言葉を繰り出す。そして、もう一度言葉を紡ぎ出す。
「少なくとも瑞樹は何もしていないから安心して。俺があわよくばって変な考え起こしたけど、瑞樹が寝ちゃって何も出来なかったから」
「奏太、俺……」
「あ、わかってるから言わなくていいよ。またお友達ってわけにはいかないことも。結婚式にも、もちろん行くつもりはないしね」
「いや、まだ。その話は」
「俺に遠慮しなくていいからさ。まさか、一生側にいるなんて思っていないよな。お互いにね。」
「奏太、聞いて」
「瑞樹、勘違いしないで。もともと俺が瑞樹を置いて出たんだから」
精一杯の強がり、そのくらい許して欲しい。そう、振られたのは瑞樹、お前だから。俺じゃない。
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