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第3話

今、目の前で繰り広げられている光景は――まさに修羅場だ。 私も、親友のモブ実もなんて場面に居合わせたのだとハラハラと少しのドキドキを込めて物影でひっそりと事の成り行きを見守った。 「花!!!!」 聞きなれない、青くんの怒号に件の花くんは肩をすぼめ、黒鉄くんと花くんの後輩くんは青ざめて硬直していた。 一体何が起きたのか、普段穏やかな彼から想像の出来ない表情に皆、息を飲んでいた。 「これ、どうしたのかって聞いてるんだけど」 刺すように冷たい声だ。花くんの胸元を掴み、首元に巻いてあったマフラーを引き剥がし、睨みつけている。 一体に何があったのか、どうしたのか、そこになにがあるのか。気になって仕方がないが、この距離では残念ながら見ることができない。 どうしたんだろうか。モブ実と顔を見合わせて息うをひそめていれば、相変わらず冷たい声のまま青くんが花くんの後輩を見た。 「花が自分で言わないなら、桃井に聞く」 「!」 「……何があったか、知ってるって顔してるもんな」 にっこりと笑ったが、目が全然笑っていない。後輩の桃井くんが困ったように花くんを見ている。 胸倉をつかまれたままだった花くんが、意を決したように青くんの手を掴んだ。 「ちゃんと話すから、桃くん睨まないで」 いつもより震え、困ったような声に青くんはようやっと少しばかり怒りを解いた。 「転校生が来たんだけど……その、なんていうかスキンシップが過多というか、過激で」 ポソポソと話し出した花くんの顔は青いようで、耳の縁などはじんわりと赤い。 青くん含め、私達は花くんの言葉をそっと聞いた。 **** 数日前、教室に先生と共に入ってきた転校生は立派な体躯と似つかわしくない程、おどおどと自身なさげで、 まるで自分の従兄弟を見ているようだった。 艶やかな唇に大きめの垂れ目が可愛らしい印象の彼は、酷く照れ屋で人見知りなようで、自己紹介はぽそりと短く簡潔だった。 篠倉 雨と名乗った彼は少し長めの髪を後ろでまとめ、前髪にはヘアピンをつけていて、顔だけ見れば女生徒のようだなぁと教壇の前に立つ彼を見て思った。 生徒会長でもあったので、事前に担任の先生から転入生がくるから頼むと言われていたので、僕の隣は空席で、挨拶を終えた彼がそこにちょこんと座った。 「篠倉くん、これからよろしくね」 「えっと……」 「あ、僕は緑地花撫です。生徒会長してるから、分からないことがあったら聞いてね」 そう言って微笑んでみれば、彼はマジマジと僕の顔を見たあと、こくんと小さく頷いた。 そんな自己紹介をしてから随分と打ち解けてくれた篠倉くんはまるで大型犬の様に自分の後をついてくるようになった。 顔立ちも綺麗だし背も高いので女生徒にも人気があるのだが、かなりの人見知りなようで、そんなついて回る姿が少し可愛かった。 花くん、花くんと呼びながらクンクンと袖を引く仕草はまるで幼子のようで放っておけない。 先輩、その人甘やかしすぎじゃないですか?とよく後輩の桃くんが怒れば、大きな体を縮こませて僕の後ろに隠れ 「おれ、甘えすぎ?」と心配そうに見て来くる。そんな顔をみるとつい、彼の柔らかい髪をなでてあげずにはいられない。 母性本能、いやこの場合僕は男だから父性みたいなものを刺激されてしまうのかもしれない――と怒る後輩を宥めながら思う。 そんな風に関わりをもつようになった今日、篠倉くんが放課後の教室でぽつんと一人残っていた。 いつも僕は生徒会の仕事を終えてからソラを待って帰るので、彼の下校についてはよく知らなかった。 手っきり誰かとかえっているか、今日も帰ったものだと思っていたから酷く驚いて、篠倉くんに声を掛けた。 「雨くん、どうしたの?帰らないの?」 「花くん」 そう言えば、今日は朝からあまり元気がなかったような気がすると項垂れてる彼の髪を撫でてあげれば、 大きな目をさらに垂れさせて、涙を滲ませていた。 綺麗な顔に不安そうな涙が浮かぶ姿は、不謹慎ながらも綺麗だなと彼の顔の良さを改めて感じた。 「何か、悩み事?僕でよかったら聞くけど」 チラリと時計を見る。ソラの部活が終わるまではまだ時間があった。 僕の声賭けに、篠倉くんは立っていた僕の腰元にぎゅっとしがみ付いてきた。 僕は不安そうなその背中を慰めるようにそっと撫でてあげれば、ぽつり、ぽつりと篠倉くんが語り出した。 「痴漢に、あったんだ。朝」 思わず驚いてしまった。男でも遭うものなのか……と。普段徒歩通学をしているし、経験上記憶になかったので咄嗟に返答が出来なかった。 その僕の反応に「情けないと思ってるんでしょ」とまた泣き顔になってしまったので、慌ててしがみ付いている彼の腕を引き上がし、その頬を両手で包んだ。 「思ってないよ。怖かったね」 「こわ、かった……声とか、出なくて。おれ、ヤダしかいえなくて」 「……そっか」 「帰るも、電車だし。またあったらと思ったら、やだなって」 そう言って彼の目がどんどん潤んでいく。そうとう怖かったのだろう。 恥ずかしさもきっとあって、助けも呼べない状況だったのだろう。自分がその立場になったら間違いなく固まってしまう。 この学校は自分のような徒歩通学もいれば、電車通学の生徒も多い。 誰か、彼と一緒に帰ってくれる人がいればいいんだけど……そう考えていると、頬を包んでいた手がやんわりと外され、ぎゅっと握られた。自分より少し大きくて肉厚な手は、じんわりと温かい。 「雨くん?」 どうしたの?と声を掛けようとした体はぐんっと引かれ、座っていた彼の膝に勢いよく尻もちをついた。 それと同時に、僕の身体はすっぽりと篠倉くんに背中側から抱きしめられてしまった。 驚いて、目を瞬かせる。何が起きたのか、理解がなかなか出来なかった。 自分の家族も、従兄弟もおんなじようにくっついてくることが多いから、突如行われたスキンシップは対して気になるものではなかった。 そう、なかったのだけど。 「あ、あの、雨くん……えっと、その」 さっきから、篠倉くんがクンクンと首元の匂いを嗅いでくる。 流石に、流石にそんなことはされたことがないし、恥かしい。急にどうしたのかとか、そんな所の匂いを嗅がないで欲しいとか、伝えたい事はたくさんある筈なのに、頭が全然整理できなくて言葉にならなかった。 人間は本当に混乱すると放ちたい言葉もままならなくなるようだ。 「花くん、いい香りする」 「そ、そうかな?あの、でも、一応僕も普通の男子だから……その、あんまりその辺嗅がれるのは、ちょっとかなり、恥かしいっていうか、ひっ、ゃ!?え、まって、待って、あ、雨くん?何して、るの?」 ベロりと生暖かい濡れた感触がして、思わず体が硬直する。その感触はたぶん、見えないが彼の舌だったのだろう。 なんで?いきなり?何故???と整理しきれない頭が余計にパニックを起こす。 ぎゅっとお腹の所に回って離れない腕に、心臓がバクバクと音を立てた。 「電車の中、すごいオッサン臭かった」 「そ、そっかぁ」 「きっと、おれのこと痴漢したのも気持ちわるいおじさんなんだと思う」 ぼそ、ぼそと耳に吹き込むように離されて肌がぞわっと粟立つ。妙な感覚に、ひぃっと思わず悲鳴を上げてしまいそうなのをぐっと堪え、それは考えると嫌だねと相槌をうった。 「花くん、いい香りだから。ちょっとだけ、ね?ね?だめ??」 「うっ、あの、でも……」 「花くんの匂い覚えてたら、電車乗れる気がするから。ね?お願い?だめ、かな」 上目遣いで泣きそうな顔でそんなことを言う友人に正直、どうしたらいいのか分からない。 たぶん、抜け出さなくちゃだめなんだと思うけど、涙目でだめ?と聞いて、縋ってくる幼子のような仕草に断わり切れなかった。 そもそも、回る腕が思ったより堅牢で、正直、自分の力では引きはがせないような気もして、半ば諦めた気持ちでもあった。 だめじゃないと伝えてあげれば、キラキラと嬉しそうに笑う。その顔は本当に幼子のようだからズルい。 だけど、そこに絆されたのが間違いだった。 「ひぅっ、待って、やっぱ、やっぱダメっ、なんで、何で舐めるの?」 「花くん、甘いから」 「甘くない、甘くないってば。勘違いだよ。ちょっ、も、離して」 「花くん、いいっていった」 我儘をいう子どものような仕草なのに、なぞられる舌がどうにも落ち着かなくさせてくる。 困ったように、なんどか腕を引き剥がそうとしてみるが、やっぱりビクともしない。 「い、言ったけど。これ、は、ちが……あの、わ、わ、だめだよ、歯当てない、で」 「花くん、白くて柔らかいよね。筋肉質なおれと違って。おかしみたい、可愛い」 「そ、そんなことは、ないと思うよ?ない、ない。僕、一応、ちゃんとね、男子高校生だか、っ、イッた、ちょ、雨くん、噛んだ?だ、だめだよ、なんで噛むのさ、お菓子じゃないから」 あぁ、もうなんでこんなことに。 恥ずかしいし、なんだかいけないことを学校でしているような気がして、顔も耳も首も熱い。 距離が近いことには慣れているけど、こんなこと、従兄弟たちにも、ましてや幼馴染のソラにだってされたことがない。 いや、そもそも、こんなことを誰かにされたことがない。 誰かの唇が、首筋に触れるなんてこと、あまりに経験がないことで気持ち悪いとか怖いとか、そういうことすら感じる余裕がなかった。ただ、ただ、何とも言えない心地がしてしまう。 無意識に腕から逃れようと前のめりになったせいで、余計に首筋を剥き出しにしてしまって、首にまた歯が当たる。 まって、まって、だめだからと制止したのに、カプカプと篠倉くんはじゃれつく犬のように甘噛みを繰り返し、鈍い痛みに困惑する。 一応、自分もそういうことに興味があるいたいけな少年なわけで、そこが人によっては気持ちが良い場所だという知識がぼんやりとはあったけど、まさかそれが自分にあてはまることに動揺する。 このままされていると、自分とは違う声が出てきてしまいそうで、僕は慌てて口元を抑え込んだ。 痴漢されて怖がっていた彼を慰めているだけだったのに、これじゃぁ、僕が痴漢されているのでは?と冷静ではない頭でようやっと現実を見れたが、篠倉くんを制御する言葉が見あがらなかった。 「花くんの声、かわいいね」 「も、ほんと、恥かしいし、だ、だめだよ、こういうのは。あの、ね、僕達友達だし、男同士だし、これはさすがに」 「花くんだったら、おれはいいけど」 「へ?な、なにが」 「うぅん、なんでもない。もうちょっとだけ」 「ぇ、ぇ、まって、も、だめっ」 そうやってまた彼の舌が首筋を舐めようとしたところに、桃君が入ってきてくれた。 知らない人の登場に、いつもの人見知りが発動した彼が、手を離してくれたのでようやっと抜け出すことができた。 僕は慌てて立ち上がり、行かないでと縋る顔をする篠倉くんの頭を撫でた。 「これ以上遅くなると、電車も混むでしょう?僕は歩きだから、あの、付き添ってあげれないけど気を付けてね」 「ぅん、ありがと、花くん」 一緒に下駄箱に行けばよかったけど、なんとなく気まずくて僕は桃くんの手を引いて逃げるように教室を出た。 助かった――と思ってしまったことを少し申し訳なく思い、だけどすごく驚いたからそれ位は許してもらいたい。 そんな心地でソラの学校の正門まで走っていた。 **** 「……花、それは」 黒鉄くんが目元を手で押さえる。たしかに僕らファミリーは親も祖父母も従兄弟たちもみんなスキンシップ過多で距離が近いけどとブツブツ呟いている。 後輩くんにいたっては顔が火照り、花くんの方をまともに見れてはいない。 青くんにたいし「あの、僕がもうちょっとしっかりしてれば」と何故か謝っていた。それほどまでに青くんの怒りがすさまじいのだろうか。今は背中を向けられていてどんな顔をしているのか、分からない。 「悪いけど、今日は二人で帰らせて」 「ソ、ソラ?」 「……帰るぞ、花」 ぐっと青くんが花くんの手を握り、二人の顔もしっかりと見ず歩きだす。 慌てたように黒鉄くんが二人を追いかける。 「待って、待って、青ちゃん!!落ち着いて」 「五月蠅い」 「っ、ソ、ソラ。な、なんでそんなに怒ってるの?ユキにあたらないでって」 「……おこ、ってない」 「怒ってる。彼にとったらちょっとした悪戯だと思うから」 「……悪戯で、んなとこ噛むか」 花くんの問いかけに、青くんがグッと唇を噛む。怒っていないと言ってはいるが、どうしたって怒っている。 これは、所謂嫉妬というやつなんだろう。私とモブ実は息を飲んでしまう。 これは、もしかすると到頭ことが動きだすのではなかろうか。 ついつい気分は競技実況者のような感覚で、申し訳ないが内心は祭り状態だ。 「……まぁ、それは青ちゃんに同意だけど、さ」 「アイツは、花先輩に甘えすぎなので、花先輩が無防備だったのは否めないですけど」 そこまで怒ります?と後輩くんの言葉に、花くんを引っ張っていこうとしていた青くんの動きが止まる。 皆を見回し、もう一度花くんをみると眉根をグッと寄せた。 「いや、だって、こんな歯型ついてたら、普通心配する、だろ」 「心配?嫉妬じゃなくて?」 後輩くんの明け透けな言い方に青くんが固まる。 黒鉄君が、盛大な溜息をつきそれから花くんの肩をぽんっと叩いた。 「青ちゃんがフリーズしちゃったし、今日は二人で帰って。オレも行くのはやめとくから、その、ゆっくり話し合って」 「う、うん。なんか、ごめんね?」 そういって花くんは固まる青くんの手を今度は自分から握った。 ソラ、帰ろう。そう声を掛けられた青くんは困ったように眉根を寄せたまま、こくんと頷いて、珍しく幼子のように花くんに手を繋いだまま連れていかれた。 その後ろ姿を見つめて、私とモブ実はつい鼻息が荒くなる。 もしかしたら、これはもしかしちゃうのではなかろうか。そう思うと赤飯がたきたい。 「お仕置きプレイとかしちゃう、かな」 モブ実の脳内が怖ろしい。だがしかし、ちょっとだけ見たいと思ってしまった私も大分沼っている。 「青さんに自覚されるのは問題だけど、尊敬する先輩が腹黒い先輩に食われちゃうのは見てられないんだよなぁ」 「……無自覚な先輩をもって桃ちゃんも苦労するね」 「それは、お互い様でしょう」 「ね、疲れちゃったからおちゃしていかない?」 黒鉄くんはどうやら花くんの後輩とも打ち解けたらしく、人見知りをするそぶりはなくナチュラルにお茶に誘っている。 二人の背中をしばらくみつめていた後輩くんは、パフェ食べ以降と二人とは反対方面に黒鉄くんと歩いていった。 「ね、これって黒桃ありじゃない?」 「王道に恋してる外野がくっつくあるあるじゃん、それ」 でも、それはまぁ、いいかもしれない。 そう思った私は、後から冷静になっていやだったらどっちか女子とくっつけよ!と寂しい青春をなげいた。

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