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第一章 災厄の神子と呪われた王子
プロローグ
「みおちゃん、お母さんきたよ。挨拶をしよう。」
ピンクのカラー帽子を被って、母親の迎えが来るまで隣の友達と話をしながら座っていた幼稚園部の女の子が、大好きなさくら組の先生に声をかけられ、先生に笑顔を向ける。
その笑顔に答えるべく、担任もにっこりと微笑み、手を差し出す。
二人は手を握りあうと、お決まりの挨拶をする。
「お母さんが来たので帰ります。さようなら。」
「はい、さようなら。また月曜日、一緒に遊ぼうね。」
お母さんが来てくれた嬉しさと、月曜日にまたこども園で遊べる期待をもち、女の子は担任の瞳を覗く。
女の子の瞳に映る担任は、男性保育士らしく清潔そうな、さらさらと風になびく黒く柔らかな前髪の下から、優しげな瞳が映っていた。女性的ではないが、やや線の細い、その年齢にしては童顔で小さめな体格に見合った顔のパーツは整っており、ママ達からは目の保養(癒し)と人気も高い。
「さて、と。やりますか!」
今日は金曜日。明日の保育はあるものの、保育園部と預かりの子達だけになるため、人数はずっと少ない。そのため今日は週末に向け、戸外などに置いたままになっている遊具を室内に片付けたり、排水溝など洗剤で丁寧に洗ったりと、やることが多い。
担当する最後の園児も無事保護者に引き渡し、ホッとしつつも、出入口から保育室に戻るために踵を返した海里の瞳は、これからの作業に気合いを入れた分、やや大きく開かれ、口角もやや上がった。
そうすると、園児に対する時の優しげな雰囲気から、どちらかと言えば気の強そうな、やんちゃな印象へと変わる。
保育士足るもの、自分なりの理想を目指して、個性豊かな子ども達を束ね、ママ達とも渡り合い、同僚と共に企画運営、実行するに当たり、優しさだけでは仕事にならない。
海里 は保育士として就職し、三年目になる。
要領も得て、こんなことやってみたいと言う理想も少しずつ実現できるようになってきた。
仕事は忙しくもやりがいをもち、楽しく感じている。
海里は手慣れた動作で園庭の片付けから掃除や消毒へと作業を進め、日誌を書き終わると、退勤準備を始めた。
今週は土曜日保育の担当ではないため、久しぶりの連休になる。週末は何して過ごそうか、やっぱり土曜日の朝はのんびり過ごして、日曜日は友達を誘って釣りに行こうか、などと考えながら、2連休への期待から、子ども達ではないが、自然に笑顔になる。
「あら、海里先生うれしそうね!」
「はい!やっぱり週末は良いですね!もちろん月曜日も好きですけど。土、日になにか楽しいことできるかもって、ワクワクしちゃいますよね」
「あはは、元気ね。私なんかやっと週末って感じちゃうから、ダメねぇ。海里先生の元気を分けてもらわなくっちゃ。」
「僕の元気で良ければいくらでも分けちゃいますよー。仁美先生、お疲れ様でした。また来週からがんばりますね。」
「はい、元気でよろしい。良い週末を。お疲れさまでした。」
保育士は女性の多い職種だが、仕事に責任をもち、真面目に取り組む姿勢に、同僚として受け入れられている海里。ややもすると弟枠として親しみをもって可愛がられるのは、誰に対しても笑顔を向け、物怖じしない、それでいて節度をもって接するその人柄だからこそだろう。
海里が住んでいる所は、県境付近にある小さな市。そのため公共交通機関はあまり発達しておらず、何事にも自家用車がなければ移動に不便きわまりない。
小、中学校は片道3kmを毎日歩き、高校は駅まで自転車で片道10kmの道のりを晴れの日も雨の日も走ったものだった。そのためか、細身ながら筋肉がしまった身体で健康にも恵まれ、幼馴染みの趣味に付き合い、トレイルランニングと言うスポーツを楽しめるだけの体力があると、自負している。
就職とともに購入したボックス型の軽自動車は、海里をどこにでもつれて行ってくれる相棒として愛用していた。
明日は休みだから、今日はお酒とおつまみを買って、夜は録り溜めていた映画を見ちゃおうか…、と考えながら、愛車に乗り込むと不意にスマホの着信音が鳴った。海里がスマホを取り出すと、親友の雄吾からの電話だった。
地元で生活している海里は、幼馴染みや友達も多い。その中でも、一番の仲良しと言えば2人いて、海里が幼稚園の時からずっと一緒に遊んだ雄吾 と蒼士 だ。
父親の家業を継ぐために修行に精を出している雄吾と、医者の卵として頑張っている蒼士。昔は良く3人でつるみ、いたずらという名の冒険をしていた。地元で生活している海里と雄吾と、街でまだまだ勉学に勤しむ蒼士は、生活圏こそ離れてしまっているが、蒼士の時間が空けば必ず一緒に集まるほど、幼馴染みとしての絆は深い。
「おう、雄吾、お疲れー。どうした?」
海里はスピーカーをオンにし、スマホをホルダーに設置すると、車の座席に座り、シートベルトをかけながら通話をする。
「明日の確認だ。」
雄吾の落ち着いた声が聞こえてくる。雄吾は寡黙で必要最低限の言葉しか話さない。そんな雄吾の性格を熟知している海里も蒼士も気にしない。
「え?あし…あ、あぁ、覚えているよー。トレランだろ。明日だったよな!」
「今日は映画を見ずにしっかり寝ろ。」
「やー、忘れていたんじゃないからね。準備もしていたし。」
焦る海里の声に、動じず落ち着いた声が返ってくる。
「分かっている。明日の5時に迎えに行くからな。」
「うんうん、ちょーっと来週と明日が混乱しちゃってさぁ。へへへ、迎えよろしくね。蒼士も行けると良かったんだけどね。残念だよな。」
「あぁ、参加できるときにすれば良いことだ。」
「だよね!。蒼士は勉強頑張ってるんだもんな。明日の夜は、山中泊だろ?蒼士に写メ送ろうぜ。俺、今からコンビニで明日必要なもの買って帰るわ。」
「明日はそう暑くならないと思うが、夜は冷える。飯は用意してある」
「いつもありがとう。じゃあ、インナーを余分に用意しておくな。」
海里は、何かに夢中になると、時間や曜日感覚、生活感覚が曖昧になることが多い。自称天職の保育士として就職してからは、特にそれが顕著で、日にちを押さえた予定日を1、2週取り違えることはざらだった。
それを承知していて、事前に準備やフォローをしてくれるのが、雄吾と蒼士でもあった。雄吾はメールでは見落とされることも承知していて、電話をかけ、言葉で知らせてきていた。
「!。」
スマホの向こうで、珍しく雄吾が焦る気配がした。
ちょうど海里も出発準備ができ、エンジンをスタートさせるため、会話を切り上げようとしていたところだった。
「雄吾?、大丈夫?。」
スマホを覗いても仕方がないと分かっていても、つい見てしまう。覗きつつエンジンをスタートする動作は、そのまま実行され、車のエンジンがかかった。
「「え、うゎ!」」
それは海里の声だったのか、雄吾の声だったのか。
海里の視界にはいく筋もの光が見えた。あまりの眩しさに耐えきれず、目を瞑り、予測のつかない衝撃に耐えるよう、身体を縮ませることしかできなかった。
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