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第5話 森で遭遇したものは

 何かが、俺の脇近くを移動した。  ガサガサッと言う音が響く。  「ウサギか?、リスか?、まさかのヘビ?。」  ヘビだったら逃げようと思いつつ、俺は音がした原因を探らずにはいられなかった。  だって、こんな森の中、正体不明なものが近くに居ることが怖かった。  桜の巨木のある頂は陽も差して明るいのに、そこから一歩森に入ると、木々が重なりあっているからか、薄暗くて空気も重くてちょっと怖い。  絶対に夕暮れまでには森を抜けるか、ここに戻って来ようと、心に誓える。 「あれ、居ない。やっぱり素早いかぁ。」  影が動いて茂みの中、木の後ろ、追いかけても既にそこにはなにも居ない。いつの間にか森の中、深くまで入って来ていた。  これ以上は方角を見失ってしまうと、諦めかけたその時だった。 「なんだ!?」  俺の右前方に嫌な気配を感じる。ぞわぞわとする感覚に鳥肌が立ち、心臓の鼓動が跳ねる。思わず両腕をクロスして心臓を庇い、振り向く。  何かが来る。そんな気がしてならない。  何故だか、逃げ出したいと感じてしまう。  あの桜の巨木まで戻らないと、ヤバい。  車の中に、隠れなければ。  そう感じて、後ずさる。  みるみる間にぞわぞわ感が強くなり、頭の中にヤバいと言う文字が連打されている。  ここに居てはだめだ、早く逃げよう。  俺は身体を反転させ、桜の巨木を目指して走った。  速く走りたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。これではあの嫌な気配との距離が縮まらない。  ザザッザザッ、ザザザッ。  何かが走る音が聞こえる。  だめだ、追い付かれる。 「ゆ、雄吾!、蒼士!。」  俺は懸命に手足を動かした。だんだん明るくなってくる。もうじき頂に着くはずだ。 「ハッ、ハッ、ハッ。」  獣の息づかいも聞こえてきた。  とたんに詰められる距離。  気配が真後ろからする。 「助けて!。」  もうダメだと思いながら、森を抜けた。  頂に着くと、そこには俺の車を乗っけた桜の巨木だけがある。隠れるところはなくて、避難するなら木の上だ。ロープを手繰って登らなければ。  でも、その前に確実に捕まる。  俺は、焦りから平地に出た瞬間、足が絡まり態勢を崩してしまった。  勢いが殺せず、俺は前に転がり尻餅を着いた。  あの気配のする方を確認せずにいられなくて、顔をすぐにあげる。  ガザ、ガザ、ガサ、ガサ。  そいつも走るのをやめたのか、森の中をこちらに向かって歩く音がする。 「!」  俺は息を飲む。  でかい!。  木の後ろから現れたそいつは、狼のような目の鋭い野犬だった。怒ってるのか牙をむき出し、こちらを見ながら近づいてくる。  銀色の毛並みのそいつは、サイズだけなら犬というよりはトラかライオンだろう。  こんなでかいの反則だ!。 「グゥルル…。」  唸りながら近づいてくる。  俺は尻ばいに後ずさる。  背筋が冷え、歯がなるのを我慢できない。 「く、くるな。」  俺の言葉なんか聞くはずもなく、俺に狙いを定めて近づいて来る。 「う、うわぁー!!、うー!。うーわぁーぁー!!。」  恐怖に耐えかねて、俺は叫びながら四つ這いになって身体を無理矢理引き起こすと、両足を踏ん張って立ち上がり、無我夢中で桜の巨木目指して走った。  俺の頭の中では、俺が野犬に押し倒される場面、野犬が俺のおなかに噛みつく場面、俺が血みどろで倒れる場面がよぎる。  もう少しで桜の木に着く、と言うところで背中に衝撃を受けた。  俺はバランスを崩して倒れながら、背後が怖すぎて、振り向こうとしたからか、仰向けに倒れた。腰を地面に打ち付けてしまったが、痛がる余裕もなく後ずさる。 「グワッ。」  野犬の唸り声に俺の身体は震えあがる。  俺の視界に銀色の大きな野犬が迫る。  もうだめだ、おなかから喰われてしまう。 「ひっ。」  俺は手と足を曲げて、顔とおなかを守った。 「ハッハッハッ。」  野犬の息づかいが、かかる息が、俺に絶望を与えてくる。  無情にも、野犬は俺の両肩に前足を乗せてきて、顔をかばっていた腕が、野犬の力に負けてはずされる。 「ひっ。」  野犬が俺の首をベロリと舐めた。  お、おなかを喰い破られると思っていたけど、喉かららしい。  俺は、観念して身体から力を抜き、足のかかとも地面に着けた。  震えは止まらない。これから喰われるんだ。痛いのは、早く終らせて欲しい。  野犬は、人間というご馳走に興奮しているのか角度を変えて何度も首を舐めてくる。   舐めた後が濡れて、獣の匂いがきつくなってくる。  獣の匂いに混ざって、どこかで嗅いだことのある匂いがしていることに気がついた。清涼感と言うか、少し甘くて優しい匂いだ。誰かの柔軟剤の匂いに似ている?。  そうこうしている間に、俺の心臓はますます早鐘をうち、身体が熱くなってくる。命の火が最期を迎える準備をしているのだろうか。 「も、やめ。」  首を喰いちぎるなら、早くしてくれ。俺を楽に死なせてくれ。  そう思うのに、野犬は俺の首をベロリベロリと舐めあげてくる。  絶望のなかで俺は、その舌の強さに負けて、後頭部を地面に沈まされた。背中のバックパックの厚みで背中が反る。  そうして無防備になってしまった俺の喉仏は、野犬に全開で曝される羽目になり、俺は生を諦めて目を閉じた。

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