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第1話

「なんだよ西岡、三次会行かねぇの?」  久しぶりに顔を合わせた大学時代の仲間たちは、そろって次の店に向かうため駅とは反対方向へ足を向け始めていた。 「あー、俺、明日早いんだよ。また今度な」  ほろ酔いの黒い塊から離れると、西岡は襟元のネクタイをむしりとった。シルバーグレイのそれを乱暴にポケットへねじり込むと大きく深呼吸する。左手にぶら下げた大きな紙袋がうっとおしかった。 「終わったなー」  学生時代から片想いの相手が、結婚した。相手は社内でも一番人気の新人社員だという。なるほど雛壇で微笑む新婦の顔は、晴れの日に合わせて磨きに磨いたことを除いたとしても、アイドルのように可愛らしかった。ゲイの西岡にとっては、一ミリの魅力も感じなかったが。 「アタマ悪そうな女じゃん。趣味わりぃよな、あいつ」  思わずこぼれた呟きに、すれ違う年配女性が怪訝に振り向く。慌てて西岡は歩みを速めた。このままこのイライラモヤモヤする気持ちを持ち帰るのは耐えられないと、目についたショットバーへと飛び込んだ。  ほの暗い店内。スツールに腰かけようとした西岡の目に、カウンターを抱え込むようにしてグラスをあける黒い塊が映った。「おかわりください」と上げた横顔に見覚えがある。西岡の視線に気づいたのか、フォーマルスーツの男が軽く会釈した。  確か披露宴で会社関係の席に座っていた男だ。ほっそりとした首筋と涼しげな目元が印象的だった。着飾った女性たちの顔など一人も覚えていないが、ほかのテーブルの男連中の品定めは怠らなかった自分に苦笑する。 「披露宴でご一緒だった方ですよね?」  よっこらしょ、といった様子で男は立ち上がり、フラリと西岡に近づいてくる。足元が頼りない。披露宴が終わって数時間。直後から飲んでいたとすれば不思議じゃないが。 「えぇと、僕は新郎新婦の同僚で、野原と申します」  おぼつかない手元で名刺を差し出され、西岡も仕方なく自己紹介をする。 「西岡です」 「西岡さんは、どういう?」 「あ、新郎の大学の同級生で」 「そうなんですか。僕は会社の同期なんです」 「はぁ」  なにに乾杯すればいいのかわからないままグラスを合わせた。気さくに話しかけてきたわりにはそのあとの会話もなく、野原は黙って煽るように酒を流し込んでいる。居心地の悪さに腰を浮かせかけた瞬間、ポツリとしたつぶやきが聞こえた。 「終わったなぁ」  ハッとして見つめた野原の目元は、酔いのせいだけではない赤らみと潤みを滲ませているように思えた。 「野原さん、もしかして?」  この人も自分と同じく、傷心のまま披露宴に出席したクチか? 居心地の悪さは途端に同士を得たような心強さに変わった。 「嫁さん、社内イチの人気者だったそうですね。ライバルも多かったんだろうに、あいつめまんまと仕留めやがって。狙った獲物を逃さないのは昔から変わってない」  心の傷が少しは癒えるだろうと、友人を悪者に仕立てる方向にベクトルを向けたのに、野原はキョトンとした表情を返してくる。 「ああ」  西岡の意図を察したのか、野原が破顔した。端正だがそっけなく感じる顔立ちが、180度回転したように人懐っこくなる様に西岡は一瞬見惚れた。 「片想いだったんですよ。新郎の方に……。みっともないですよね、こんなふうに飲んだくれて」 「いや、そんなことない」  この人は性の嗜好も男の好みも、自分と同じ方向だ。人生最悪の日に起きた偶然に、西岡の顔も自然と綻んだ。 「もう一度乾杯しましょう」 「え?」  再び目を丸くする野原のグラスにカチンと自分のをあてたあと、透かすように掲げてから西岡は片頬を上げてみせた。 「俺も片想いでした。学生時代からの」 「ええ?」  野原も西岡と同じ気持ちになってくれたらしい。それからは新郎の思い出話や会社での様子、いいところ悪いところ、嫁の悪口まで話題は尽きることなく、気付けば時計の針は深夜を指していた。 「野原さんの美貌に気づかないあいつはバカだっ。大バカだーっ」 「西岡さんこそこんなに魅力的なのに、想いが通じないなんて世の中間違ってるっ」  肩を組んで店のドアをくぐるふたりは、端から見れば旧知の仲にしか映らないだろう。こんなふうに好きな相手について心ゆくまで語ることは初めてで、野原の聞き上手な性格は西岡にとてつもない解放感を与えてくれた。二次会で学生時代からの友人たちと飲んだときよりも野原との時間の方が遥かに楽しく感じたのは、過ごす時間の長さに関係なく、波長があうということなんだと陽気な脳みそで考えていた。 「お客さまー、忘れ物です」  たった今閉まったドアから従業員が走りよってくる。両手に下げられた乳白色の紙袋。上品な金色の模様。幸せの押しつけ。  ──ああ、あいつは人のもんになっちまった。  襲ってきた寂寥感にしばし呆然とする西岡の隣で、同じように立ちすくむ野原の肩をひとつ叩いた。振り返った野原の、色を失ったような表情が切なくて、西岡はことさら明るい声を出した。 「あー、あいつら今ごろヤリまくってんだろなー。一応今夜は初夜ってやつだもんな。どうせ飽きるほどヤッてんだろうけど」  ビックリしたように顔を上げた野原に、ニカーっと笑ってみせる。けれども野原は唇を結んだまま一点を見つめている。  やべぇ、逆効果だったか。失敗しちまった……。どうにかフォローしなくてはと口を開いた瞬間だった。野原の放ったひとことに、今度は西岡が固まった。 「セックスしましょう、西岡さん」 「は?」 「僕たちもヤリまくりましょう。負けないくらい」  野原の表情は真剣で、そのすがるような瞳に西岡の喉がゴクリと鳴った。    

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