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第1話
α×β
アルファ 木村 貴宏
好きな物 平穏
きらいなもの 派手なオメガ姉(海外在住)
片想い 八年
ベータ 多田村 正
好きな物 うつくしいもの
きらいなもの 目立つこと
片想い 五年
この鏡は何でも答えてくれるらしい。
「鏡よ鏡。世界で一番――」
さて、何を聞こうか。
「……失恋をして、未練たらたらなのはだれだ?」
おそらくだ。いや、おおよそ見当はつく。答えは判 っていた。鏡に映っているのは、自分に決まっている。
俺は左手に持った鏡に問いかけるが、返答はない。あたりまえだ。鏡がしゃべるわけがない。安物買いの銭失いというのは、こういうことだ。せんべろ飲み屋を梯子してべろべろに酔っ払って、へんな露店のおやじから声をかけられて調子のって鏡なんて買ってしまう自分がわるい。
舌打ちをして、ウオッカベースのレモンサワーをぐびぐびとあおるように呑んだ。もう三十路にちかい。なのに、まったく成長してない。そんな自分に笑ってしまう。
ローテーブルには、さきほどコンビニで買ってきたスナック菓子やあたりめ、プリン、空き缶が散乱している。コンビニの店員の訝 しげな視線が痛々しくかわるほど、俺は酔っぱらって帰宅した。
帰ってすぐに、ビニール袋をあさり、プルタブをひらいていまにいたる。テレビに視線を投げるが、見る気力もなくリモコンも見当たらない。
……あの部屋よりマシだけど、つまらないな。
この部屋は、広いくせになにもない。二部屋もあるのに本棚とテレビ、ベッドしかない。背凭れがわりにするベッドなんて、毛布はくしゃくしゃにめくり上がり、起きたばかりのほら穴がぽっかりと黒くできている。
会社に行って、帰って寝る。そんな場所だ。
くそ、やっと忘れたと思ったのに……。
憂さ晴らしにチューハイを叩きつけるように置いた。気分は晴れない。お気に入りの酒がプルタブからほんのすこしだけ飛び散った。
ほんとうに、なんでこうなった。
また、缶を口に運ぶ。炭酸の泡ごと呑み込む。レモンの酸味が喉を通り、ぐらぐらとした酔いに加算されていく気もしない。
やっと、やっと、忘れたと思ったのに、なんでだよ……!
左手をだらりとおろすと、鏡らしきものがゴトリと床に落ちた音がした。
俺は考えたくなかったことを、考えることにした。
そもそも、俺には同期、兼セフレがいた。
月曜日、そのセフレだった男が都心の一等地ど真ん中にある銀行本店に戻ってくる。たまたま耳にしてしまった自分。めずらしく残業もせずに、動揺も隠せないまま安い居酒屋に駆け込んだ。レバテキ五九〇円に対して、ハイボール二五円という破格の値段につられたわけじゃない。
いや、まて、その前にふたりのパーソナリティともいえるキャラ分析からはじめよう。
俺は地味で、黒髪だ。目つきもすこしわるい。もさっとしている男だ。名前は多田村 正 。あだ名は『ただっち』。おごられたことは一人しかおらず、大抵は割り勘だ。メガバンク本店の総務部に身を置いて、そこそこに働く。バースはベータ。隣にいた後輩の香ちゃんすら、陰で自分をカオナシと呼んでいるのを知って、やっぱりそうかなと思うぐらい存在感がうすい。でも、それでいい。目立つことなんて苦手だし、仕事もバリバリとこなすこともなく、趣味だって読書というなんともふつうなところが自分らしくて気に入っていた。そんな可もなく不可もない生活を送っている。
それに対して、二極化ともいえる存在がいた。
木村 貴宏 。男。バースはアルファ。祖父はキムラヤというファッションビルの商業施設を展開する木村グループの創立者だ。父は現社長。兄が跡を継いで、長女は海外でモデルをしているらしい。で、次男の貴宏は銀行本店に入行を決めたようだ。
旧帝国大学卒業、背が高く眉目秀麗。穏やかな性格に、柔らかな栗毛。馬で例えるとルドルフだ。競馬史上最強の馬であるルドルフだと思う。たまにディープの名を出してくるやつもいるが、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられたともいえる最強馬には誰も勝てない。そんな存在感のある男だ。
とにかく、オメガやベータ、アルファというバースの垣根をぶっ壊し、男女ともに大人気だった。上司からも気に入られ、仕事でも率先力で活躍する期待のホープだった。
ちなみに、ここはオメガバースというなんとも複雑なベールに包まれている。性別が男と女。そのほかにバースが三つに分化される。アルファが二割、ベータが八割、オメガは残りひと握りと希少な存在だ。
さらに詳しく説明させていただくと、アルファの二割がどのくらいか?ということだ。年収三千万以上稼ぐひとは0.3%未満。旧帝国大学である東大が全国に十五万人。それは人口比0.15%。そのうちの富裕層は百五十万人。人口比、1.15%とされている。つまり、そのぐらいおみかけできない。最近では数少ないオメガですら、ベータよりも優秀なやつがいる。
だから、俺たちは目立たない。仕事はほどほどにこなし、陰でカミキリムシのようにオメガバースというやつらの物語を支える。カブトムシのようなアルファ、クワガタムシのようなオメガ、いつだってそのふたりにあまい蜜を与える存在でしかない。
そんなやつが、どうしてベータの俺と親密な関係にまで進展したかというと、答えは簡単だ。同期だからだ。
天と地ぐらいちがう格差があっても、同期というだけで、いとも簡単に顔を合わせることができる。内定からたびたび行われた同期会と名づけられた飲み会で、俺は親しみを抱いた。完璧な美貌に酒がすすみ、焼酎割り五杯はつまみなしで呑める。呑みながら、一方的にパーフェクトな美形に片想いという不毛なものを五年もこじらせてしまっていた。
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