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第4話
ここまではふつうのセフレだ。どうやって別れたんだっけ?
——……ああ、そうだ。電話だ。
別れなんて、簡単だ。
あいつの海外転勤がきまって、たまに電話した。食べてるものが違うとか、言語がちがっても皆優しいとかそんなたわいもない内容を交換する。でもそれも段々と少なくなってきた。忙しいに決まっている。時差だってある。電話すると、あっちはいつも朝だ。ほんの数十分の会話がうれしかった。
それが、同期のある一言でぶち壊された。
『あいつ? そうそう。向こうで、ナイスバディのオメガ令嬢と一緒に住んでるらしいよ。あっちのオメガは性格もきついし、押しに押されたんじゃないか? 上司のすすめも断ってきたのにめずらしいよな。ま、あっちで大型案件受注してて、調整で忙しいのもあんだけど癒しを求めたんじゃねえの?』
と、同期の口から聞いたのがきっかけだった。きわめつけがコレだ。
『ああ、あと運命の番 いにでも逢ったんじゃね??』
ゲラゲラ笑っていた、あの余計なひと言。
ガーンと、後頭部を殴られたようなショック。
ああ、俺はなにをやってるんだろう。もう、自分から電話するのをやめよう。そう思った。メールひとつ、来ないじゃないか。
五文字打つのに何秒かかるんだ。
それに、運命の番いってなんだ。リュウグウノツカイしか知らない。うそ。俺はずっと前に買っていたオメガバースの教科書を手にとって、アルファとオメガの関係性にいまさらながら考えさせられた。
正直いうと、歓送迎会で見送った、あの、ゆかりちゃんの幸せそうな顔が忘れられなかった。
四百ページもある本を、ビール片手にめくる。
アルファとオメガ、おまけのベータ。おまけってなんだ。番い関係がないおれたちは、そもそもつき合ってもいなかった。はたと、そこで重大なことに気がついた。そもそも番いにもなれないじゃないか。
それで、しばらくたった、ある日、やっとかかってきた貴宏の電話に言ってやった。
「——……オメガの彼女とうまくやれよ。じゃあな」
ハイボールを八本吞んだあとだった気がする。ゴムみたいな記憶で電話をきった。
ベータがアルファを振れた。ざまーみろだ。
オメガじゃないし、男だし、そもそも好きじゃなかったし、つき合ってなかったし……と電話越しで言ったとき、あいつの声は冷たかった気がする。ああ、知ってた。そうじゃないかなって。俺から言わせなくとも、自然消滅だった。未練たらしく言って悪かった。でも、こいつはなにも感じやしない。それも知ってた。
その日をきっかけに、端末を変えた。かかってくる内線も外出を理由に後輩の香ちゃんにかわってもらう。そのせいで、たまにだったランチ代が増えてしまった。会社も辞めようかと考えたが、このご時世そう簡単に決められない。馬鹿らしいほどに凹んだけど、失恋ごときでそこまではしたくない。
でも、あいつの噂を耳にするたびに肩を落としてしまう。目立つことがきらいだが、うつくしいものが好きな自分にとって、あの顔と体格はなかなかお目にかかれない。
それで、関係を断ち切れた、はず。
俺たちには番いという関係は、ない。だからつながっているすべてのものをぶった切った。そういえば、写真も一枚も撮ってなかった。
ひらくことのないドアを眺めるのも悲しい。いつも過ごしていた部屋に週末閉じこもっているのも淋しくて、俺は引っ越しもした。狭いワンルームから、少しだけ広い2DKにした。
やっと心が落ち着いて、ちょっとマッチングアプリで一発やろうとしたけど、待ち合わせ場所を前にしてすぐに逃げてしまった。相手が悪いとか、そういうのじゃなく、なんとなくあいつのきれいな顔が浮かんで、その場にいられなくなった。べろべろに酔って、だれかに電話した気がする。着信はこわくて見ていない。でも、だれに電話したのか知っている。指が覚えている。
そしたら、すぐにあの内示だ。ほらみろ、おれ。よくないことは続くということだ。本人のつよい希望らしいと誰かが口にしていた。つよい希望なんてあるんだ。日本が恋しくなったか、バカやろう。穏やかなあいつでもそんな気持ちがあるんだとちょっと心の中で笑った。
そんな記憶が蝕んで、いまだにひきずっている。半年もたつのにだ。つき合ってもないのに、どうしてこうも自分は未練たらしいのだろう。
「そういえば、あいつの好きなヤツは誰だったんだろうな……」
また、酒をあおる。
たぶん、結婚したオメガのゆかりちゃんだったんじゃないか。とにかく、かわいい女の子のだれかだ。
まぁ、戻ったらもどったらで、モテるはずだし困ることもない。向こうでも引く手あまただっただろう。それとも、同棲なんてしちゃってるから、顔合わせに帰ってくるのかな。
そのまま両親の承諾を受けて、結婚して、社内報に家族写真なんて載っちゃうんだ。子供なんてできたときは『イクメンアルファ』なんて特集記事を書かされて、俺はそれをうっかりなんども読んでしまうんだ。
よくないことはぽんぽんと、自然に浮かんでくる。これは俺のいいところだ。危険察知能力ともいえる。
俺はアルコール度数九%とかかれた缶をまた一気に呑んで、床に視線を落とす。鏡にはなにも映っていない。ぼんやりとあいつの顔が目に浮かぶ。焦茶色の柔らかな髪の毛に、澄んだチャコールグレーの瞳。シャープな顎。
そんな感じ。明日はひまだし、もう寝よう。寝てることにしよう。来週から、なにごともなかった感じにふるまおう。そうしよう。
鏡を大事にベッド脇において、向かい合うように寝た。あぁ、この顔が好きだった。好きで、好きで、いまでも愛してる。未練たらたらなのはいつまでも変わらない。
そして、あいつはずるい。社内のメール便で、一通の手紙をよこしてきた。今日、深夜に空港に着くらしい。そこから、まっすぐそっちにいくから待っててほしい。という内容。ご丁寧に住所まで書かれている。合ってなかったらごめんって。なんだよ、それ。合ってるよ。なんで新住所を知っているんだよ。
聞くと、同僚が『あいつが尋ねてきたから教えたよ? おまえ、引っ越したんだろう?』と、悪びれることなく返してきた。まったく余計なことをしてくれる。本当にやっかいな同期だ。
もう少しで、約束の時間かもしれない。
酔いはさめてる。窓からは冴えわたる中月が冷えた光を放つ。いつも、この時間に電話をしていた記憶がよみがえり、のろのろとほら穴にもぐった。寝たふりをした。かちゃりとドアがひらく音が響く。
だめだ、だめだめだめ。
また、愛していると言われたら、ほだされる。この先の将来を考えても、どうしても別れた方がいいにきまっている。俺のいない、あいつの輝かしい未来はたくさん想像できた。俺は、アルファを振ったんだ。そうだ、βがαをふったんだ。αのプライドを傷つけたんだ。ざまーみろ。こんなやつ、いやになる。きっとそうだ。
ひたひたとあるく音がして、毛布ごと抱きしめられた。ぎゅうっと力いっぱいに腕に抱かれる。
だめだ、と思った。
俺は、こいつから離れられない。
振ったはずなのに、離れてくれない。
噛んだ唇があつい。
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