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第18話 あの月
とある大オフィスビルの地下に、特別な通用口、厳格なガードマンが堅く封じる入り口に静脈から虹彩、足紋に至るまでくまなく瞬時に自動照合する全身認証の設置された通用口、を経て通過する。
エイドが待ち受けていた。
黙って睨むとエイドは忌々しくサングラスの下に笑顔が溢れる。
「こい」
入り組んだ迷路の様な内部。あちこちには監視カメラ。配置されたガードマン。
下手な動きはするべくも無い。
ある一室の灰色の扉の前。
エイドに案内される部屋に入った。
「…………ウッ…………!!」
そこには腕が逆方向にぐにゃりと曲げられた朔が横たわっていた。
床に頭をつけ目を閉じ、失神しているようだ。
「おい!!……これは……痛いだろう…………?」
まるでそこにいやしない誰かへと問いかける様に、呆然とした終わりに向かって小さくなる声をひねり出してしまった。
恐らく失神するまで、ずっと耳を塞ぎたくなるような絶叫を喚起する、非情な激痛に朔は襲われていたはずだ。
拷問だろう。
早くこの骨折を処置しなければ、朔の腕が腕の機能を果たさなくなることは目に見えていた。
エイドはそんな僕の挙動を思惑有りげに眺め、黙って消音銃を俺の手に放り投げる。
掌のズシリと重量あるそれは。
長い銃身が#サウンド・サプレッサー__サイレンサー__#と一体化した銃だ。
「楽にしてやれ」
忌々しい声に、心臓がドクドクと脈打つ。
いつもなら、納品して流した後の人間の行方なんて、どうだって良かったはずだ。
これまでに自分が流した誰もが、似たり寄ったりの末路のはずだ、きっと。
今更、朔が特別どうのこうの、位置が置き変えられるわけはない。わけはなかった。
銃のグリップを握り、セーフレバーを弾いて解除した。
自分の膝に朔の頭を乗せ、明るい茶色の髪の側頭部にコツンと銃口を充てる。
「…………」
閉じた室内に黙り込む時間が続く。
ドクン……ドクンと、心臓の脈音がいつになくエキセントリックに鳴り響く。
まるで肺が血脈にねじりあげられているようで息が詰まった。
◇◇◼️◇◇
どこからか体に空調の風の当たる感触がして。
長い長い夢を長時間見続けていたような頭の重さの中から、やっと瞼を弱く開けた。
頭がグラングランとした。
俺は、寝ていたんだ。
や、寝てたんじゃなくて、気絶していたんだ。
かなり酷い目に遭わされた。
正夜の倉庫から車に乗せられたら、あのサングラスのスーツの男が途中で目の色を変えて襲ってきて、レイプされて、着いたら着いたで、また別の男がレイプして来ようとしたから指先を歯で思い切り力を入れ咬んで噛みちぎった。
そしたら殴られ蹴られ腕を捻じり折られ、気絶するまで叫びが止まなかった。痛みは慣れたり、麻痺することなど一切無く、意識が絶たれる瞬間まで激痛の谷底に落とされた。
見るだにここは、診療所のような内装をしている。
人のいない診察机、椅子、そして俺が寝かされているこの簡易医療ベッド。カラカラ回る空気清浄機。
閉じられていないカーテンがかかる窓の外も部屋の中も暗く、顔を向けると満月が浮かぶのが見えた。
腕を見たらギプスが嵌められ処置されている。手術されたのだろうか。
まだ全然動かせない。きっと麻酔がかけられている。
電灯の消えた俺一人の診療室。
奥の扉がカチャリと開いた。
「起きたか。おっはよ」
正夜が廊下から入ってきた。
「まさ……」
「朔、良かったねぇー。売られずに済んで。僕、買っちゃったよ君のこと。思いっきりボラれたけどな」
言葉の後半を忌々しげに彼は喋る。
「ここは闇医者のようなもんだ。免許無し、ヤクザ御用達の。どんな異常な怪我を持ち込んでも警察に通報されない。……そんなわけだから、一年は僕んところに最低いてくださいよ。家に帰ったら口外を恐れて君はまた殺されにかかる。家族と君が今繋がるのは大変危険なんで」
ペラペラペラペラと一気に早口だった。
「じゃ、後はゆっくり寝ててくださいよ。明日帰るから、僕のウチへ」
手をひらひらさせて俺と反対方向にすぐ向き直り帰ろうとした。その様子はとても足早で、俺の気に食わないものだった。
「待てよっっっ!!!!このアホ野郎っっっっっっ!!!!」
正夜が帰ろうとした足を止め、振り向く。
「何か言えーっ!!!もっとっ……もっと……さぁっ!………馬鹿!アホ!なんだよおまえーっ!」
「何か?…………月が綺麗だね……」
「はあ!?……凄まじくアホなの??」
正夜は歩いて俺を通り過ぎ、窓辺に立ち、窓の外に浮かぶ満月を、仰ぐように見上げて喋り出した。
「一番印象的だったのは、売られてから初めての日の窓から見上げる夜空の月だ。
僕のウチと同じように、逃げられない、高い窓だ。
月だ……。見上げる月がどんどん欠けていっていた……。
満月から毎日どんどん欠けていって、どんどん「自分」が少なくなってゆく。
満月が日毎に自分の体を失わせていた……。
見上げながら僕の心も同じように一日ずつ、自分の中から欠け、喪失っていった。
大切なものが僕の中からどんどん立ち去っていったんだ。
月が完全に欠け消えてしまってからは、それからはもう、辛くても、夜空なんかは見上げなかった。だって、ここには、何も無いから、辛さなんか、一切、無いんだからね」
胸に手を当て呼吸をつきながら、不自然な文節で区切って、正夜は唱えるように言葉を吐いた。
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