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第20話
★★★
今年の冬は例年より平均気温が低いらしく、2月の終わりになっても身を切られる寒さが続いている。駅前の待ち合わせスポットに立った清はかじかんだ両手に息を吹きかける。
今日は清の27回目の誕生日だ。奮発して駅前に新しくできた、ちょっとグレードの高いイタメシ屋で外食しようということになって、仕事を終えてくる月峰を待っている。
誰かと誕生日を祝うなんてこと、もしかしたら初めてかもしれない。厳しい実家にはそんな浮かれた習慣はなかったし、五代は清の誕生日なんか覚えてもいなかった。
その五代は今頃、遠方の海でマグロを捕っているのだろうか。たまたま前を通りがかったときに見たビルの入口からは、『リリア化粧品』の看板は消えていた。
五代には天性の詐欺師の才能がある。その船とやらがどんなに劣悪な環境であれ、彼のことだから誰かをたらしこんで、結構うまくやっているかもしれない。そんなふうに思ってしまう。
いずれにしても清にはもう関係ないし、気にもならない。
町行く女性達が清を振り返って見ていく。以前とは違う熱っぽい視線だ。ここに10分立っていただけで、もう2人に逆ナンされた。
捨ててしまった派手服の代わりに、月峰が新しい服を何着も買ってくれた。高価ではないが清に似合いそうな物をいろいろと吟味して嬉しそうに買ってきては、着て見せてやると手放しで喜んでくれるのがこそばゆかった。
今着ているのも月峰が買ってくれた茶色いウールのピーコートだ。派手なだけの偽毛皮よりもよほど温かい。シックな色のものを身につけることも、アクセサリーをポイント程度に抑えることも、最近やっと慣れてきた。
体を売る仕事からはすっかり足を洗って、今は週4日宅配便の配送センターでバイトしている。夜型生活が長く体力のない清には昼間の肉体労働はきつかったが、ひたすら一生懸命やっていれば自然に周囲がフォローしてくれることを知った。そんな清のことが月峰は気が気ではないらしく、つらかったらすぐに辞めろというが、彼によりかかってばかりではなくこれからは対等にがんばりたい。
世界一周のために貯めた金で、春からは定時制の高校に通い始めたいとも考えていることを、思い切って今夜話すつもりだ。
月峰はなんと言うだろう。きっと応援してくれるに違いないけれど、結構やきもち焼きな恋人はバイトを始めたときと同じように『外なんか出ないでずっとうちにいればいいのに』などと、馬鹿なことを言って唇を尖らすかもしれない。
「ごめん、待った?」
恐縮し頭を掻きながら速足で歩み寄ってきた男を見て、清は目を見開いた。
月峰はいつもの工場の作業着ではなかった。グレーのダサいつなぎが濃紺のカットソーとスリムのデニムパンツに変わっただけで、見た目の印象が相当違う。均整の取れた長身に、普段はタンスの肥やしになっているトレンチコートがよく似合っている。
うっかり見惚れてしまった清は、我に返り照れ隠しに軽く逆切れる。
「な、何だよ、遅いよ。それにおまえ、何一人でめかしてきてんだよっ」
「あ、こ、これ……だってほら、今日は特別だからさ。変?」
照れたように笑う月峰が眩しくて、なんだかまともに見られない。
「へ、変だよっ。全然似合わねーもん」
俯いたままの清の天邪鬼な憎まれ口に、月峰は声を立てて笑う。
「やー、俺も今夜はね、ちょっとちゃんとしたかったっていうか。その、正式にあげたいものもあるし……」
そう言いよどんで、コートのポケットに突っ込んだ右手が中のものを握り締める。丸ごとポケットに入ってしまうような、結構小さな箱か何かだ。
――こいつもしかして、ものすごく恥ずかしいベタなことをしようとしてるんじゃないんだろうか……。
そう思うといたたまれなくて本当に帰りたくなったけれど、実際そんなことをされたら一体どのくらい嬉しいのか体験してみたい気もして、清はますます俯いた。夜でよかった。おそらく頬が真っ赤に染まってしまったのを見られなくてすんで。
「じゃ、行こうか」
軽く腕を取られ、素直に歩き出す。
「わぁ、今夜は空が高いなぁ。星がすごい綺麗だよ、ねこちゃん」
星、と聞いて、思わず天を振り仰いだ。
「!」
本当に、星が出ていた。
以前と同じ街から見上げる空のはずなのに、今は大きいものや小さいもの、白いのや黄色っぽいもの、強い輝きやか弱い輝きと、数え切れないほどの星が瞬いている。
「ほ、星が……なんで、こんなに見えるんだよ……」
足を止め、呆然と天を見上げる清を、月峰が振り返る。
「冬は大気が澄んでるからね。ほら、オリオン座。わかる?」
「だって……だって、今まで全然そんなん、出てなかったのに……!」
「どうして? ねこちゃん」
月峰の驚きを込めた声が下りてきた。
「星はいつだって綺麗に見えてたよ」
視線を下ろすと、清にとってのかけがえのない地上の星が、目の前で優しく微笑んでいた。
熱いものがこみ上げてきて、急速に視界が霞んだ。
突然泣き出した自分を見て、どうしたのかと恋人はひどくうろたえるだろう。きっとものすごく心配をかけてしまうに違いない。でも今は、少しだけ許して欲しい。
戸惑いながら慰める優しい声と温かい腕を感じながら、清はいつまでも泣き止まなかった。
★E N D★
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