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第1話

ポルノスターの朝は早い。ピジョンミルク生搾りから始まる。 目覚まし時計を叩いてベルを止める。 「ふぁ~あ……」 パイプベッドにむっくり上体を起こすハタチ前後の青年。 ピンクゴールドの猫っ毛と赤茶の瞳が組み合わさった清潔そうな顔立ちは地味に整ってこそいるが特筆するほどのものではない。美男美女がありふれたこの街では容易に群衆に埋没できる容姿、どう頑張っても中の上といったルックス。 しかし脂肪と筋肉のバランスが絶妙な裸身は、眼力を備えた者が見れば垂涎の色気を放っていた。 のろくさベッドから出ようとして、下半身にわだかまる疲労に辟易する。 「だる……」 片手で背中を支え反対の手で叩く。 腰痛は職業病だ。昨日もハードスケジュールで帰りが遅かった、満足に寝れた気がしない。 瞼をこすってシャワーを浴びに行く。温かい湯に打たれると少し頭がスッキリした。 バスタオルで身体を拭いてリビングへ行き、窓にかかったカーテンを開く。 すると向かいのビル屋上の馬鹿でかい看板が、小鳥の囀りと眩い朝日が祝福する世界をぶち壊す。 湯上りだろうか、全裸に純白のバスローブ姿の青年がシャイな笑顔を浮かべ、片手に1ガロン入りのボトル入り牛乳を掲げている。反対の手にはコップを持って乾杯していた。 それだけならなんてことないが、問題なのは看板の右上に踊るたちの悪いジョークさながらの文句。 「史上最低のキャッチコピー。センスが死んでる」 厄介な頭痛がぶり返し、こめかみに人さし指をねじこむ。 ポルノスターの肖像入り看板を牛乳の広告塔としてでかでか出す、この街は狂っている。 ショッピングカートを押してスーパーを闊歩する主婦層に下ネタがウケるとは思えないのが……。 ここはヘルウッド、女優や俳優をめざす若者が集う街。 とはいえ、夢を叶える者と夢破れた者なら圧倒的に後者の割合が大きい。 スターのオーラなどかけらもない平凡な容姿からは想像できないが、青年は前者に属する。 即ちヘルウッドにおける恵まれたマイノリティ、幸運な成功者の一人。 されど看板を見詰める目には忸怩たる色が滲む。 「撮影中ミルクの飲み過ぎで腹下したっけな……」 しらじらしい笑顔と睨めっこに嫌気がさして窓辺を離れる。 CMに抜擢されたのは喜ばしいが、企画の趣旨はピジョンが思っていた方向性と食い違った。 てっきり愛くるしい子牛と戯れたり麦わら帽子にオーバーオールに着替えて乳搾りができると浮かれていたらとんでもない、企画書に目を通して驚いた。 「俺の股間に蛇口付けて、それを捻ってがぶ飲みって……どんな発想だよ」 実情を知っていたらオファーなんて受けなかった……と言いたいところだが、どちらにせよ敏腕マネージャーにゴリ押されていたに違いない。芸能プロダクションに所属する手前、ピジョンの立場は弱いのだ。 おかげで近所の子どもたちにミルクタンクと囃し立てられさんざんだ。あの悪ガキどもときたら、隙さえあればピジョンの股間をひねりあげようとしてくるからたまらない。 あの看板ができるまでこの部屋はピジョンのお気に入りだった。今はできるだけカーテンを開けたくない。 朝の爽やかな気分を台無しにしてからキッチンへ行く。 冷蔵庫の扉を開ければ例のボトル入りミルクと紙パックのオレンジジュースが並んでおり、迷わず後者を選ぶ。 果汁100%オレンジジュースをコップに注いでからフライパンに無脂肪ベーコンを敷いて炒め、胡椒と塩で軽く味付けしたスクランブルエッグを用意。 トースターから軽快な音をたて、香ばしいキツネ色のトーストがとびだす。 「おっと、忘れるとこだった」 行儀悪くトーストを咥えて玄関ドアへひとっ走り、郵便受けを確認。ゴムで括られた分厚い手紙の束が来ていた。 回収した郵便物をテーブルに投げだし、一通一通几帳面にチェックして選り分けていく。ファンレターの男女比は6:4。 『新作見ました、今回もよかったです。顔はフツーなくせに脱ぐとなんでそんなエロいんですか』 『ヤりたいです。会ってくれますか』 『やっぱりリトル・ピジョンはSMものが一番輝くと思います、全裸で縛り上げられて泣いて嫌がる顔がたまりません、俺の股間がミサイルショットです』 『イけないハウスキーパーの続編お待ちしています』 『セクシーコップ24時の手錠プレイ最高でした』 『次の撮影はペニスにローターアナルにバイブ固定、服の下はシースルーのエロ下着で来てください』 「早く捕まればいいのに」 なんとも微妙な表情で熱狂的なファンレターを脇に積んでいく。 返事はきちんと出すのが信条だが、たまにスルーしたいのや焼却処分したいのが混じっている。事務所の怠慢かなんなのか、検閲は働いてない。ストーカーじみた怪文書も大量に届く。 「ん?小包か」 中に膨らんだ封筒がまざりこんでいた。好奇心から無防備に開封、中身を取り出す。広口の小瓶だ。中には白っぽくべとべとした物が入っている。 嫌な予感。 『リトル・ピジョンの事を考えながら作ったミルクジャムです。食べてください』 ねじぶたを開けて小鼻をうごめかせる。次の瞬間最高に嫌な顔をし、小瓶ごとゴミ箱に落とす。 食べ物を粗末にするのは心が痛むが、これは間違っても食べ物じゃないので問題ない。 哀れゴミ箱に直行した小瓶のせいで食欲は綺麗さっぱり失せてしまった。朝食は一日の栄養源なのに…… ドンドンとドアを蹴飛ばす音が響き渡る。 足でノックする知り合いは一人しかいない。ピジョンは即座に腰を浮かす。 「いるのはわかってんだよ、とっとと開けろ」 「取りたてかよ」 続いて炸裂する怒鳴り声で自分の勘は正しいと確信、やれやれとチェーンを解錠する。 ドアを開けるなり大股に乗り込んできたのは、スタジャンを羽織ったハイティーンの少年だ。イエローゴールドの無造作ヘアーはウルフカットに近く襟足を覆っている。 どことなく雰囲気が似ているが、こちらの方はすこぶる付きの美形だ。 「相変わらずシケた部屋」 「うるさい」 「稼いでんだからもっといいとこ引っ越せ。まあ住所変わってなくて助かっけど」 「連絡もせずどこ行ってた?電話にも出ないで」 「たった一週間だろ、大袈裟なんだよ」 「たった1人の弟を心配して悪いかよ」 「過保護だって言ってんの」 少年の名前はスワロー、ピジョンと二歳差の異母弟だ。母が死んでからピジョンが養ってきた。 真面目で謙虚なピジョンと正反対に刹那主義な性格で、現在は地元のギャングに出入りし、飲んで騒いで女を抱いて好き勝手にやっている。家にはめったに寄り付かず、たまに来る目的は遊ぶカネの無心だ。 ピジョンを無視して窓辺に直行。 「笑えんなアレ。ミルクタンクゴーゴーか」 親指の腹で看板をさしニヤケる弟にピジョンは赤面する。 「う、うるさい。俺だって好きでやってるわけじゃ……ほんとはやだったんだ、でも仕事で断れなくて」 「下手に拒めば業界で干されるってか、ポルノスターも大変だね」 ピジョンは主にゲイ向けポルノビデオの受け専として活躍する俳優だ。女性とすることもないではないが、竿役との絡みの方が圧倒的に多い。 「朝飯は?まだなら作るけど」 「もーできてんじゃん」 スワローはテーブルの傍らに立ったまま、ベーコンエッグの朝食を瞬くまにかっこむ。 「ああ……」 食欲失せてたから別にいいけど……。 「脂身がねェぞ」 「健康を考えた」 「脂身がねえベーコンなんて炭酸の抜けたコーラと一緒だ」 「ピリピリするの苦手だからそっちの方が有り難いけどね」 食べきってから不満そうにぼやきジュースを一気飲みする。 弟の口周りにこびり付いたケチャップをティッシュで拭き取り、ピジョンが嘆く。 「せめて座って食えよ、せっかちだな」 「カネは?」 「やらない」 「よこせ」 「女遊びに使うんだろ」 「わかった」 ピジョンの横を素通り、戸棚を引っかき回す。 引出しの小物をポイ捨て、カードや通帳をあさるスワローをあたふたと羽交い絞めで制す。 「やめないと警察呼ぶぞ」 「できもしねーくせに」 「こないだ持ってたってのは?使いきったのか」 「あれっぽっち足しになんねーよ」 「返してもらってないうちから貸せない」 「スロットで倍にして返すって言ってんだろシツッけーな!!」 うざったげに振り払われてすっ転ぶ。 バスローブに大股開き、腰を打って「いてて……」と呻いていると、開けっぱなしのドアから悲鳴が迸る。 「なんてこと、うちのスターをキズモノにしたら賠償金と慰謝料がっぽり請求するわよ!?」 この声は。

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