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第21話 【2年前】(10)

「……まいった」  サキは書架に寄り掛かり、暗い天井を見上げて呟いた。こんなはずじゃなかった。  レンはまだ、希望を持っている。周囲を、世界を変えることを、サキを変えることを。  だが世界は変わらない。変わらないということが重要なのだ。今まで、人類は何度も戦争を経験してきた。疫病だって流行した。数多の国が成立し、栄え、滅びていく。この国もまた、今滅びようとしている。それを歴史の一部として、所与のものとして受け入れなければならないことを、サキは理解しようとしていた。  世界は変わらず、人は愚かで、自分ができることは何もない。その諦めを自分の体に叩きこまなければ、次の世界は作れない。自分が去った後に、誰かカリスマ性のある者が、『政府』の残りカスを蹴散らして、新しい統治システムを作るだろう。自分はその基盤を作っているつもりだ。  戦争を引き起こした時代の思想が残っているうちは、変えることはできない。  その絶望を、サキはずっと考えていた。もしレンの興味を、自分ではなく本に向けさせることができたら、あるいは自分は再び心穏やかに日々を送れるだろうか。  目の前ですぐに何かが変わることを、自分は歯を食いしばって諦めなければならない。この小さな図書館の隅で。次の世代を育てるだけで、自分の人生は終わるだろう。毎日、サキは考える。『政府』の連中のことを、タカトオのことを。  力づくで自分の権益を手に入れることしか頭にない者が敵である限り、サキは何もできないのだ。タカトオは自分の利益以外に何も考えない。サキの両親と弟を死に追いやったあの瞬間も、タカトオはためらわなかった。あのサイコパス野郎に勝つ見込みなど、万に一つも見つからない。それが今のサキだった。  そしてまた、サキには絶望を友とすべき理由があった。小さなこの場所にやってきた者たちを守らなければならない。自分のライセンスペンダントが奪われれば、今の状態は消滅する。誰も、懐に入れるわけにはいかないのだ。他人を信用することは許されない。  なのに、レンはあの夜、するりと自分の所へやってきた。サキと同じ匂いをまとって。あの茫漠とした眼差しの奥に、柔らかい官能を潜ませて、レンはサキを見つめてくる。あなたを知りたいと、あなたを変えたいと。  レンを特別な存在にしてはならない。  そう思いながら、サキは気づけばレンの唇を思い出している。サキを見ると、いつも何かを言いたそうにうっすらと開く唇だ。  そして……。  考えを振り払うように、サキは懐中電灯のスイッチを入れた。通路の奥へ大股で歩く。今日読んでいたのはD・H・ロレンスだった。刑事訴訟法なんて嘘だ。本を変えるべきだ。  自分の芯を熱く締めつける、レンの体を思い出すべきじゃない。

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