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第22話 蒲田にて(11)
「答えろ。怜 。君は2年前、誰に何をした?」
ゆっくりと、木島は同じ質問を繰り返した。
震える声で怜は答える。
「それを知って……あんたはどうするんだ」
「そうだな。あらゆる可能性を考えている。君は一体何者なのか、というのが私の本質的な疑問だ。もし君が父親の言いなりに動く人間であるなら、君をここで殺してもいいが」
冷たい目でそう言われて、怜は唾を呑み込んだ。この男なら、無表情なまま自分の首を絞めるのではないかという不安は確かにあった。
「あんな奴……」
「君が父親を憎んでいることは理解できる。私が調べた限りでは、君は本当に2年間、奴には会っていない。だから場合によっては君と手を組むことを考えて私は来た。君が自発的に私の切り札として動く可能性だ。だが……その場合、君は自分自身が信頼に値する人間であると証明しなければならない」
怜は目を覆い、深く息を吐いた。
正直なところ、あの父親を排除できるなら喜んで木島と手を組む。だが自分を解放する手段を提示されても、怜は乗るわけにはいかなかった。
これは罰だ。あの夜の自分の愚かな行動を話すことは、なにがどうあっても怜にはできなかった。心を開くことができない以上、木島は怜を信用しない。だから、怜は死ぬまで高遠に足枷をはめられたまま生きていかなければならない。
「証明は……無理だ。オレはあんたに2年前のことを絶対に話すことはできない。協力はする。だけど……」
木島が身を起こし、体を離した。脅迫じみた態勢はやめることにしたらしい。枕を軽く叩いて背中にあてがうと、木島はヘッドボードに寄りかかった。
「そうだな……。今のところ、私が欲しいのは高遠に近い者たちからの情報だ。君は奴の息子であること以外に、特に利用価値はない。現時点ではな」
眠くなってきたのか、木島は下にずれて枕に頭を載せ、腹の上で両手を組んだ。怜より背が高く、足先はベッドのふちギリギリだ。
「一応、協定を結ぼう。君は高遠に関する情報で新しいものが入ったら私に流す。私は君の体が気に入ったことで高遠に懐柔されたふりをするが、事を起こした場合、君の安全は確保する。どうせ長期戦だ。警察機構の配置を奴に知られないように終わらせてから、本格的に仕掛ける」
これ以上危害を加えられる可能性はないらしいと判断して、怜は足元に落ちた掛布団を引っ張り上げた。布団の半分を木島の方に乱暴にかぶせると、できるだけ木島から離れ、おそるおそる横たわる。
「あんたは協定っていうけど……、オレに新しい情報は入ってこない。ここは三鷹からも離れてるし」
「そうだな。ま、これから入ってくれば私に寄越せ」
のんびりと木島は答えた。このまま寝てくれればいい。怜はこっそり思う。こいつが寝てしまえば、ベッドから滑り下りて帰ってしまえる。
木島が目をつぶった。自分なりに結論を出して、今日のところは満足したらしい。ゆっくりした息がかすかに聞こえる。木島の寝つきがいい方であることを祈り、怜は様子を伺いながらじっとしていた。
5分、10分。木島の胸が規則正しく上下する。怜は息を詰めすぎて苦しくなってきていた。限界だ。枕元の小さな灯りと入口ドアの常夜灯を消したいが、スイッチパネルは木島の頭の上にある。諦めるほかなかった。
上半身を動かさないまま、そろそろと足をベッドの下に出す。床に爪先がつくと、掛布団の中に潜り込むふりをしながら、怜はずるずるとベッドから抜け出た。床に降り、四つん這いでベッドの足元を回りこむ。
服は……ダイニングテーブルの椅子に、自分の服が畳まれて置かれているのに気づき、怜は密かにほくそえんだ。完璧だ。部屋の中で着替えるのは時間がかかるから、これを持って出て廊下で着替えればいい。
服を胸に抱き込むと、怜は四つん這いのまま入口を目指した。ベッドから見えない角度に入れば立ち上がれる。そろそろとバスルームのドアを通り過ぎ、ミニキッチンへたどり着く。
よし! ここまで来れば立ち上がっても……。
「帰っていいとは言っていないんだが」
後ろから低い声が聞こえて、怜は飛び上がった。胸に服を抱き締めたまま、おそるおそる振り返る。
木島は壁に頬杖をつき、面白そうに怜を見下ろしている。
「いやその、協定はできたわけだろ? これ以上別に話し合うこともないだろうし、オレは明日も仕事があるし」
話しながら靴の位置を横目で確認する。
「あんたの安眠を邪魔する気はない。ゆっくり寝てくれ。オレは帰る……」
「こんな時間にひとりで帰る気か? 道路にワイヤーを張られていても知らないぞ?」
ゆっくり立ち上がり、怜は引きつった顔で笑った。
「ライトは持ってるし、お気遣いは別にいらないんで……何かあったら食堂の方に連絡してもらえば」
怜はすばやく靴を引っ掴むと、後ろ手でドアノブを回す。
バン! という派手な音がして、目の前を太い腕が横切った。そのまま木島の両腕は怜を囲い込み、ドアが引けないように押さえ込む。
「まったく……。君は往生際が悪いな。だが、素直すぎて行動が簡単に読める。よくこれでスパイが務まったものだ」
「オレはスパイなんかやらなかった」
「どうだか。あまりにも間抜けで誰も気がつかなかっただけなんじゃないのか?」
そう言うと、木島はゆっくりと体を近づけてきた。重心をかけて怜を押さえ込み、これ見よがしな仕草で靴を取り上げ、ぽいと放る。
「ベッドに戻れ。こんな時間に外を歩いて、チンケな強盗に殺されるのは困る」
「いや心配してもらわなくても」
「戻れと言っている」
有無を言わさぬ力が言葉にこもった。大きな体に圧し掛かられ、怜は身動きが取れないまま歯を食いしばった。
木島の手が怜の首筋をゆっくりとなぞる。手の平で怜の頭を包みこむと、木島は怜の耳元で囁いた。
「君は何か誤解していないか? 高遠の懐柔に乗るふりをすると私は言ったんだ。君の役目は終わっていない」
それってつまり……。
低い笑い声。
「高遠の御推薦だ。君が権力者たちを夢中にさせる体の持ち主なら、私も夢中にならなければ、高遠は私を疑うだろう?」
「『ふり』って……」
「嘘の中に真実を混ぜないと、人は騙せないんだ。怜。このドアに手をついたまま私に抱かれるのが嫌なら、ベッドに戻れ」
選択の余地はなかった。
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