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第35話 蒲田にて(16)

 バスルームから出てきた木島は、お湯で濡らしたタオルで丁寧に(れん)の体を拭き、服まで着せて布団をかぶせた。  あくまで自分は何もせず、執務デスクに向かう。デスクに座ると、木島はノートパソコンを開いた。仕事をするつもりらしい。  怜は横たわったまま、その背中を眺めた。  結局のところ、この人は謎のままだ。 「……あんたは、どうして高遠を殺したいんだ?」  ぽつんと投げかけた質問に、木島はゆっくりと振り向いた。ノートパソコンをぱたんと閉じ、怜の目を見る。 「君は2年前、高遠の命令で動いていたのか?」  私のことを知りたければ、交換条件だ。  その明確な意志に、怜は溜息をついた。 「オレはあいつに何も命令はされなかった。あいつのために何かをしたわけじゃない。ただ……結果的に、オレはあいつの操り人形だった。それだけだ」 「では、君に南のグループを裏切る意志はなかったと?」  頷いて、怜は掛布団に潜りこんだ。誰も信じるわけがない。すべて崩壊させておいて、そんなつもりはなかったなんて。  掛布団の上に、木島が手を置いた。わずかな重みが怜に伝わる。 「出ておいで。あの時のことを話してみないか」  そっと顔を出し、怜は木島の方を見ないでぼそぼそ話した。 「話せない。オレは、話そうと思っても……話せなくなったんだ。だから、話さない」 「そうか」  木島はそれだけを言うと、手を離した。椅子がきしむ音が聞こえる。彼は背中を向けて仕事に戻るのだ。見ないまま、怜は思った。  最初の時の、あの怖い雰囲気を木島は出してこない。拷問をしてくるわけでもなく、強姦するわけでもない。 「どうして、オレのこと抱かないんだ?」  そっと聞いてみる。木島の答えが返ってくる。 「君は抱かれたいのか?」 「オレ?」  思わず顔を上げる。背を向けたとばかり思っていた木島と目が合う。 「そうだ。君は自分の意志を持っている。だが何もかも諦めて、人に言われた通りにするという結論を選ぶ。父親の糸を切ろうとは思わないのか?」 「……何度もやろうとして、そのたびに失敗した。もう……いいんだ」  静かに目を伏せた怜を、木島は黙って見ていた。しばらくして体を回し、デスクに向かう。ノートパソコンを開きながら、木島が独り言のように呟いた。 「私が高遠を殺したい理由は、奴が私から『最愛の者』を奪ったからだ」  怜が顔を上げる。だがその夜、木島は怜が疲れて眠りに落ちるまで、ついに振り向かなかった。

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