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第34話★蒲田にて(15)
「怜。怜、こっちを向いてごらん」
肌を愛撫するような声で呼ばれている。怜は霞む視界のまま、声の方を向いた。ベッドの横に置かれたソファーに、木島が座っている。彼は横たわる怜にそっと手を伸ばし、怜の腕に触れた。
「言ったろう? 腕を下ろしてはいけない」
力の入らない腕を、怜はやっとの思いで顔の前に持っていく。腹が震えると同時に、さざ波のような快感が全身に広がる。
部屋の中は静かで、怜が息をする音だけが聞こえている。溜息のような喘ぎが時折混じる。ベッドの上で怜が身をよじれば、衣擦れの音がさらりと彩る。
裸の体ひとつ、木島も、怜自身も触れていない。怜に埋め込まれた小さな器具だけが、その体を支配している。
最初の夜から一週間後、木島は言葉通り夜8時きっかりに怜を迎えに来た。メルセデスで自分の部屋に連れてきて、同じように怜を風呂に入れた後、木島はソファーにゆったりと座り、それを怜に見せたのだった。
見たことのない奇妙な形のものを、怜は嫌そうに見た。正直、ろくなことにならないという予感しかない。形からいって、絶対に怜がその味を確かめさせられるに決まっている。
「それどうやって使うんだ」
「ん? 想像はつくだろう?」
そう言うと、木島は含み笑いのまま、丸く波打つ輪郭をなぞった。
「やり方は教える。今日はこれだけだ。上手にイけたら、残り時間は好きに寝ていていい」
立ち上がると、木島はヘッドボードにそれを置いた。ローションのボトルが既にある。
「服を脱げ。私を楽しませろ。それが今夜の君の仕事だ」
溜息をつき、怜はTシャツを脱いだ。
「あんたは見てるだけか……。もしかしてあんた」
「心配無用だ。私にもきちんとモノはついているし、まだ使える。私のことはいい。問題は、君が使い物になるかどうかだ」
やれやれ。威圧的な態度には頭にくるが、正直いうと楽だ。変なシュミに付き合って機嫌を損ねないように立ち回っていれば、そこそこ何とかなるんじゃないか。怜はそんなことを考えながらベッドに上がった。
ゆっくりと木島が覆いかぶさってくる。近づかれると、怜は体を硬くした。男の体温と匂いが怖い。
「力を抜け。リラックスして楽しめばいい」
そんなわけいくかよ。怜は思う。この男は危険すぎるのだ。ベッドの上で木島の体温を感じると、何がなんだかわからなくなる。
「楽しむって……この状況で何を楽しむんだよ」
おや、という顔で木島が怜を見下ろす。
「すべてだよ。私と君との時間だ。他に誰も見ていない」
にっこり笑った木島の顔が下りてくる。首筋にゆったりと口づけられ、怜は顔をそむけた。体から力を抜きたくない。前回噛まれた場所を、再び木島の舌が這う。また噛まれたら。そう思った瞬間、腰がぞくりと震える。
嘘だろ。思い出しただけで体が期待し始める。含み笑いの吐息に鎖骨を撫でられ、温かい手の平に皮膚の感覚が覚まされる。
目をつぶって耐えていると、木島が身を起こした。プラスチックの蓋が開けられる音。とろりとしたものが木島の手で温められる、ぬちゃりとした音。
「緊張しなくていい」
木島の男っぽい指が怜の後腔に触れた。
「挿れるぞ」
「い、いちいち言うなって……」
「今更恥ずかしがるものでもないだろう?」
「いやその、わざとやってるのか?」
「賢いな。わざとだ」
言い返そうと顔を上げた途端、指は侵入した。
「んあっ! い、きなり」
「待っていたら、いつまで経っても君は許可しないだろう?」
「そう、だけど」
ゆっくりとした抜き挿しに意識が持っていかれる。怜自身の呼吸に合わせるように、指が動く。くちゅ、くちゅん、体の中から音がする。粘膜が……ずるりと舐め回され、腰が浮く。
「あ……やだ」
指が増える。感じるしこりに当然のように触れられる。声を上げたくなくて指を噛むと、木島に気づかれ腕を引かれる。
「我慢しなくていい。お前の声を聞かせてくれ」
「んっな、こと、あぅ」
そむけようとする顔を優しく引き寄せられ、怜は震えた。嫌だ。この男があの人と同じ匂いで心に押し入ってくるのは嫌だ。あの人に似た柔らかい眼差しに包まれるのは嫌だ。
「や、やだ……」
大きな手の平が頬を包む。
「怜」
名前を呼ぶな。頭がおかしくなる。
指が、ずっと怜の奥を掻き回す。腹の中が溶けていく。手の平が首の後ろをさすり、親指が耳の輪郭をなぞる。嫌だ、今、この瞬間に名前を呼ばれたら、理性が飛ぶ。
まるで考えを見透かされたように、木島の唇が耳元に寄ってくる。
「だめ、や」
「怜」
あぁ……だめ……。
囁く吐息が耳の奥に侵入する。怖い。いやだ。喉が震える。あの人の名前を叫びそうになる。息がうまく吸えなくなる。肺が痛くて、なのに脚が開き始める。
「やだ、やぁ」
うわごとのような拒絶を、木島の唇が封じ込める。今度こそ、怜は必死で木島の胸を押した。だめだ、味わいたくない。頭が……おかしくなる。
宥めるように抱き締められ、舌が入ってくる。甘やかすようなキス。唾液があふれ、あの人の匂いが満ちる。後腔の指が増やされ渇望が深くなる。絡みついた舌が、怜を誘惑し誘い出す。木島の中へ怜は迎え入れられ、いつの間にか怜は自分から彼を味わい始める。
唇が離れると同時に、後腔の指が引き抜かれた。
「あ……」
視界が霞む。これ以上はだめだ。そう思うのに舌がまだ、木島を求めて物欲しげに出る。だめだ。だめ。腹に力を入れ、残った理性をかき集める。
もがく怜を、木島の手がまたも宥める。後腔にさっきの器具が押しあてられる。
「力を抜いてごらん。……れん」
甘い囁きと同時に、硬いものが怜に押し入った。
「ひ」
腹が動いた途端、感じる場所を突き上げられて怜はのけぞった。必死で息をし、快感を逃がそうともがく。なのに、もがけばもがくほどそれは怜の中をこすり上げる。
「怜。ゆっくり息をするんだ。自分でナカを動かしてごらん。自分で、自分の体をコントロールするんだ」
「あ、あぁあ」
優しい口づけ。ちゅ、と音を立てて唇が離れる。汗で張り付いた髪が掻き上げられ、今度は両手で頬が包まれる。優しい瞳が見ている。崖っぷちにいる怜の理性を見守り、それが快楽に堕とされる瞬間を待っている。
腹がひくんと動くたび、それは怜の一番イイ所を突いてくる。力を抜くとそれは退き、力を入れれば押し入ってくる。
「そう、上手だ。怜。ちゃんとできるはずだ。たとえ快感に溺れていても、君の体は君のものだ」
何を……言っているんだろう。怜はぼやけていく頭でそう思った。体の中で抽挿を繰り返すモノに、すべてが持っていかれそうになっている。
木島は怜を見つめたまま、体を引いた。横のソファーに座り、怜を眺めはじめる。
「あ、あぁ……」
温もりと匂いが遠ざかり、怜は不安になった。さっきまで抵抗していたことも忘れ、怜は無意識に木島の方へ体を向ける。
「手を、上に」
ゆっくりと腕をなぞられ、手首が優しく掴まれる。
「どこにも触れずに、ただ自分の体の奥の感覚だけを追うんだ。自分の意志で理性を手放して、自分で波に乗る。怜、できるはずだ」
「あぅ」
触って。キスして。あなたを……こんな道具じゃなくてあなたを挿れて。
腹が波打つ。体が勝手に快感のリズムを追い始める。息を吐いて、吸って。丸い先端を前立腺が舐め始める。自分から包みこみ、ねっとりと味わう。
怜のペニスは柔らかくうなだれたままだ。触りたくて手を動かせば、木島が穏やかに声をかける。
「触れてはいけない。大丈夫。とても……きれいだ」
その言葉の意味ではなく響きが、頭の中を掻きまわす。砂糖を注がれ、ゆっくりとスプーンで混ぜられる。
「何も心配することなんかない。怜、今この時間は君のためにある。腹一杯、脳が満足するまで君は味わっていいんだ」
誘惑の囁きが、崖にしがみつく理性の指先をそっと撫でる。
「溺れてごらん。自分の意志で」
朦朧と木島を見上げる。快楽が追いだせなくなる。水のようにそれは満ち、内臓を押し上げる。わからなくなる。何もかもわからなくなる。何を我慢していたのか、何に抵抗していたのか。
舌を出し、蕩けた顔で喘ぎながら、怜は身をくねらせる。
あぁ……そこ。ん……。
力を抜いて、入れる。抜いて……あ……。
「気持ちがいい?」
「はぁ……ん……きもちいい……」
木島の指先が脇腹をなぞり上げ、それが最後だった。理性はついに崖から手を離した。
とぶん。
甘い水に脳が堕ちる。体の奥のことしか考えられない。とろとろになった体は緩みきり、快感を与えてくれるものだけが中心になる。それに悦んで奉仕する。締め上げ、緩め、舐めてしゃぶる。
あめだまみたいに、おいしい。
舌を出し、よだれを垂らして怜は感じる。何もかも忘れ、ただ息を吸い、吐く。
きもちいい……ずっと、きもちいい。
奥でだけ感じていると、少しずつ快楽がぐるぐる回り始める。ゆるやかに腰を揺らすたびに、腹の中にもどかしいものが溜まっていく。夢中でそれを追う。
何か純粋な、結晶のような快感が、怜の奥を突き上げ始める。あぁ……我慢できない。もっと……おく、いっぱい……。
腰を揺らしながら、怜はそれが腰から背中、首筋をたどって脳へと上がっていく感覚に溺れた。
おく、突いて……イかせて。
もっと。もっとぉ。もどかしくて、もどかしくて体が震える。お腹にいっぱい、きもちいいのが、おっきくなるの。いっぱいイきたい、イきたい、イきたい……。
腹がびくびく痙攣を始める。それが太ももに伝わり、うねるような快感が、器具をしゃぶる粘膜から一気に広がる。腰がガクガクする。背骨がきしむ。
「あぁぁ」
イきたいイかせて!!
快感が突然膨れ上がり、背骨を駆け上がり、脳を直撃した。全身が痙攣し、歯が鳴る。ひくひくと腰が動き続け、快感はもう一度駆け抜ける。
「あ、あああああ!」
波が、止まらない。のたうつ体が快感に貫かれ、快感が体を支配する。白い爆発が何度も頭の中で弾ける。
「あ……ああ、あふ、あ」
長く続く絶頂の波をやり過ごし、少しずつその波を受け流し、怜の体はやがて動きを収めていった。荒い息をしながら、怜はぐったりとベッドに沈みこむ。
木島はそれを見届けると、怜の頭を撫でた。
「上手にできたじゃないか。怜」
朦朧と見上げる。慈しむような瞳。この人は誰だろう。
あの人じゃない。そのことが無性に悲しかった。
汗で額に貼りついた髪が、そっと持ち上げられる。額に唇が下りてくる。
「力を抜いて」
そっと木島が囁く。手が伸ばされ、怜の中からそれが引き抜かれる。労わるような手が、怜の太ももを撫でていく。
「寝ていていい。体を拭いてあげよう」
木島が身を起こし、バスルームへ姿を消した。その背中を見送りながら、怜は思う。
許される日は来ないのだ。その罪を抱えたまま、生きていくことはできるんだろうか。なんとなく、木島は決して自分を抱きはしない気がした。怜の罪が許され、怜自身が木島の中にあの人の陰を見なくなるまで。
そんな日は来ないんだろう。
怜はシーツに顔をこすりつけた。零れた涙が布地に浸み込み、汗と混じってじわりと消える。誰か……誰かオレを罰してくれ。せめてあの人の代わりに。
諦めるための祈り。死ぬための準備。
それだけを思い、怜は木島がバスルームを出てくるまで、じっとしていた。
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