頭から布袋を取られ、サキは転がされた。フローリングの床が視界に広がる。 　身を起こそうとした時、強引に頭を掴みあげられた。首にヒヤリと硬いものが巻かれ、カチャカチャと金属の音がする。 「悪趣味……」 　サキが呟くと、頭の上で笑い声が響いた。革の首輪をつけ終わると、サキにまたがっていたタカトオは目の前の椅子にどっかり座り、自分の仕事の成果をニヤニヤ見つめた。 　タカトオの斜め後ろの隅では、床に置かれたマットレスにタケとレンが座らされていた。彼らも後ろ手に拘束されている。タケの方はうなだれたまま動かず、レンは無表情なまま、唇を引き結んでいる。レンの頭と腕には包帯が巻かれ、一応の手当ては受けたようだった。 　サキが視線を向けると、レンと目が合った。思いつめたような、何かを言いたそうな必死な目だ。サキは励ますようにちらりと笑って見せてから、タカトオの方へ視線を向けた。 　タカトオの顔は、サキが最後に見た８年前より、さらに年を取っていた。サキの両親とは大学で同期だった男だ。サキが生まれたのは両親が28歳の時だったから、計算上、タカトオは60歳、この地域では「老人」と呼ばれる年齢だった。 　そんな歳になったなら、脂ぎった支配欲なんか薄れていくんじゃないか。サキは正直そう思っていた。だがこうして久しぶりに直接見た限り、枯れた気配はまったくなく、むしろ性格の悪さだけが凝縮され意固地になったような光が目の奥に宿っている。 ──性格悪い奴がボケると始末に負えないな── 　サキは漠然とそう思った。本能と本性に強烈にしがみついている男は、足元に転がった若い宿敵を見下ろし、冷たく嗤っている。 　元々、タカトオは自分の本性を隠すのに長けていた。顔の造形はモデル並みだ。その気になれば女でも男でも思いのままに魅了し操ってきた。だがそうした技術を使わない時のタカトオの顔は、ぞっとするほど硬質な冷たさをもっている。 　サキは後ろ手に手錠をかけられたまま、膝を立てて身を起こした。状況を楽しんでいるタカトオを睨みあげる。視線が合うと、タカトオの口が歪み、他人を見下す笑みがさらに広がった。 「元気そうじゃないか、薫。ようこそ私の城へ」 「……名前を呼ぶな。お前に呼ばれると吐き気がする」 「おやおや、この私に向かって相変わらずの物言いだな。薫」 　マンションの空き部屋だった。パイプ椅子に座り、タカトオは組んだ足の靴先でサキの顎を上げた。 「お前も相応に歳をとったか。いくつになった？　……あぁ、本当にお前は母親そっくりだ。お前の父親を選んだアバズレによく似ている」 　鋭い怒りがサキの全身を走った。 「俺の両親の間に横から入ろうとしたクズはお前の方だろう？　お前こそ、相変わらず自分に都合のいい考え方しかしない」 　タカトオの踵が振り上げられ、サキの横っ面を蹴り飛ばした。ガツンと床に頭を打ち付けられ、サキは強烈な痛みに呻く。タカトオの靴の裏が、ごりごりとサキの頭を押しつぶす。 「ここに、この地位に戻ってくるまで、お前のせいで何年かかったと思っている。戦時中も軍事病院でさんざんお前の両親にはイライラさせられた。戦争が終わったと思えば、今度はお前の告発で中央を追われた。やっとだ。やっとお前に首輪をつけた」 　嘲るようにサキは笑った。 「今時、こんなＳＭシュミの御主人様がいるかよ。メイド喫茶もびっくりだ」 　腹が蹴り上げられ、サキは体を丸めた。首輪の後ろでカチャンと音がし、視線を向けると鎖が見える。部屋の中に登山用のロープが張り巡らされ、自分の首輪から伸びたチェーンがゴツい南京錠で繋がれている。バスルームなどへ自由に行き来はできるが、部屋から出るには一手間かかる。 　犬じゃないんだぞ、こっちは。サキは顔をしかめた。 「……年を取って欲ボケしたか？　それとも戦争で倫理観のタガが外れたのか？　あぁそうか、元からタガなんかない奴だったな。自分以外は全員犬だと思ってやがる」 　サキの挑発に乗らず、タカトオは鎖に手を伸ばした。ジャリ、と嫌な音がして、首が引っ張られる。 「寝起きするのに支障はないようにしておいてやった。薫。そういえばお前のペンダント、やはり偽物だった。用意周到だな。本物は……あそこだ。図書館とは考えたものだな。ろくに字の読めない連中にとって、お前はミノタウロス級の怪物というわけだ。こちらも人員不足でな、テセウスを派遣できなくて残念だった」 「ほざけ。図書館はただの施設だ。ペンダントは江藤が持ってる。あいつとは取り決めをしてある。俺を人質にしたところであいつは交渉には乗らない。諦めるんだな」 「どうだか」 　タカトオの目が細くなった。 「報告を聞く限り、『司書』は書庫を愛していた。隠しても無駄だ。統括ペンダントはお前が書庫で守っていた。中央線南の真の王はお前だろう？」 　奥で、タケとレンの顔が上がった。２人が驚愕の眼差しでサキを見つめる。 　心の中で舌打ちをしながら、サキはタカトオを見返した。 「俺が持っているのはエリアペンダントだ。図書館から俺を引っ張り出して家探ししたって、統括ペンダントは見つからないぞ。まぁ、お前の間抜けな部下たちが運よくペンダントを見つけられたら、あのちっぽけなエリアはくれてやる。江藤が早々に潰してくれるだろうけどな。それにさっき言った通り、統括ペンダントは江藤が持ってる。あいつは俺に構わず、引き続き南を仕切る」 　腹に強烈な一撃。サキはもんどりうって床に転がった。首輪に繋がった鎖に引っ張られ、体がねじれる。息が詰まり、サキは激しく咳き込んだ。 　鎖を引き上げながら、タカトオがねっとりと話す。 「お前らしい。用意周到で賢い男だ。しかし、私を舐めてもらっては困るな。統括ペンダントはどこにある？　私に会う機会に乗って、のこのこ来てくれて助かった。その間に、私の配下が図書館を漁る。お前がここで情報を吐くのが先か、私の配下が統括ペンダントを見つけるのが先か。いずれにしても、私はお前のペンダントを手に入れる」 　苦しげな顔をしながら、サキはせせら笑った。 「そんな考えじゃ、お前が手に入れられる可能性はないんじゃないか？」 　タカトオがじっとサキを見た。駆け引きと腹の探り合い。今の東京で、タカトオと対等にそれができる唯一の男。 　北の王と南の王は、じっと睨み合った。 「薫。お前は私に復讐したくてやって来た。統括ペンダントの管理を江藤に託し、自分は体ひとつで乗り込んできたつもりでいる。そこの２人の人質を解放させ、お前は機を見て私を殺すことを目論んでいる」 「そうだな……当初の目的はお前を殺すことだった。だが両親と弟は、お前を殺しても戻ってこない。その２人は解放しろ。そうすれば、お前を殺さずに一旦引いてもいい」 「あくまでも人質交渉だけで素直に帰るつもりか」 「そうだ」 　サキは息を吸った。エトウとの約束がある。ここでタカトオを殺すことに執着したら、何もかもダメになる。 　諦めろ。諦めることでしか、前は向けない。 「そこの２人を連れて俺は自分の場所に戻る。それで手打ちだ。高遠。時間は俺の味方だ。あと数年したら、お前はもっと老いる。病気になり、寝たきりのワガママジジイとしてベッドに縛り付けられたら、もう一度来てやる。高笑いをしながら、お前のみじめな姿を眺めてやる」 　タカトオの顔が怒りに歪んだ。諦めを武器に変えるとは思っていなかったのだろう。サキは続けた。 「それに、お前の支配欲は満たされない。本当のところ、統括ペンダントは『ない』んだよ。図書館にも江藤のところにも。俺たちはずっと、独占販売権に疑問を持っていた。だからこの間、俺は『政府』に統括ペンダントを返した。もしお前の配下が見つけても、それはダミーだ」 　タカトオの眉が上がる。サキは続けた。 「統括ペンダントはない。俺の統括エリアでは、売りたい奴は誰でも書類一枚でマスクを売れる。そういう状態にしてある。俺が中央線南を仕切っているのは、支援物資の公平な分配と治安維持のためだけだ。俺は幸いなことに、お前より人望があるんでね」 　唇を引き結び、タカトオはしばらくサキの顔を見ていた。さてさて、効き目はどのぐらいだろう。サキはそう思いながら言葉を続ける。 「嘘だと思うなら、『政府』にコンタクトを取ってみろ。……カビの生えた支配権なんか、俺には必要ない。お前みたいに、他人を支配するための象徴も必要ない。三種の神器じゃあるまいし、ペンダントの所有にこだわるなんて、バカのやることだ」 　今度こそ、挑発は効いた。 　鎖が乱暴に掴まれ、首が絞め上げられる。タカトオは力任せにサキを蹴り、顔をぶん殴った。 「いってぇ……」 　口の中が血の味で満たされる。歯が一本ぐらついていた。立て続けに数発。朦朧となった視界の先で、タケとレンが泣きそうな顔をしている。 　とどめの一撃が頭にブチ込まれ、気が遠くなる。それでも、サキは腹に力を入れた。激痛が走る。 「は……殴ること、しか能のない……バカめ、ごほっ」 　血を吐いて転がるサキを無表情に見ていたタカトオは、無言のまま、サキの体を放り出した。そのまま、つかつかとタケとレンに向かっていく。 　タケの左腕が掴まれ、悲鳴が上がった。怪我をしている場所をもろに触られたらしく、タケは脂汗を流してうずくまる。その頭上で、タカトオは冷たく言った。 「お前をひとり解放する。図書館に戻れ。期限は一週間。それまでに本物の統括ペンダントを持ってこい。持ってこなければ、中央線のどこぞの駅ビルの屋上から、南に向かって薫を突き落とす」 　朦朧とした意識の中で、サキは盛大に溜息をついた。ハッタリは効かなかった。統括ペンダントが図書館にあることは、やっぱりバレバレだろう。後はエトウがなんとかしてくれるのを祈るばかりだ。まぁ……なんとかなるとは思うが。 　強張った顔で震えながら、タケはタカトオとサキを交互に見た。サキは顔を上げ、励ますように微笑んでみせた。 「タケ。すまなかった。……ごほっ、俺のことは、気にしなくていい。大丈夫だから。お前は……レンと一緒に、戻って、皆に、げほっ、報告してもらえるか？」 　再び、サキは蹴り上げられた。胸倉を掴みあげられ、重い拳が頬に突き刺さる。 「あ……あの……や、やめてくれ」 　タケが震える声を出した。 「ペンダント持ってきます、だからサキさんに……乱暴は、や、やめてくださ」 　サキはぐったりと床に横たわった。昔より、タカトオの隠されていた暴力性が表に出てきている。おそらくタカトオは独裁者としての素質をこの時代の中で発揮しようとしている。 　ぼんやりとそんなことを考えながら、サキは霞む目でタケとレンを見た。レンと目が合う。さっきから一言も声を出さないレンは、泣きそうな目で震えていた。 「レン、お前も……タケと一緒に、帰るんだ」 　苦しい息の下で、サキは呟いた。 「頼むから皆を」 　ひときわ強く蹴られ、サキはむせこんだ。胃液がせり上がってくる。だめだ。もう意識を保てない。 　せせら笑うタカトオの声が部屋に響く。 「タケと言ったか？　ひとりで帰れ。ペンダントを持ってこい。大活躍の機会を与えてやる」 　その言葉と同時にまたも頭を殴られ、サキの意識はそこで途切れた。