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第51話 【2年前】(28)

 聞くんじゃなかったとレンは思った。  壮絶なサキの人生を作ったのが自分の父親だと、どうやったら言える?  時々黙りこみながら静かに話すサキの横顔を、レンは見つめていた。ずっと、サキは落ち着いている男だと思っていた。それは違う。彼はまだ、感情を見つけられずにいるのだ。時が止まったまま、心に空いた穴に溜まっていく黒い水を、ただ見つめて突っ立っている。  レンたちを守るために境界線を越えたわけじゃない。サキは他にどうしようもないまま、タカトオに向かって這いずっていくしかないのだ。  妙に冷静に、簡単にこちらにサキが入ってきた理由。  膝を抱え込んだまま、レンはじっと座っていた。  夜は続いている。  人は悲しみの池から水を抜くことはできない。その池は水の重みで深くなり、ひたひたと満ちた水面だけを変えずに、地を穿ち続けている。  静かな寝息が聞こえて、レンはサキに意識を戻した。ひとしきり語り終えて、サキは疲れたのだろう。眉間に皺を寄せたまま、サキは眠っていた。頬が腫れ、唇の切り傷が痛々しい。首輪に接した皮膚が赤くなっていて、天井に伸びる鎖は、上階にいるタカトオに否応なく引きずられているサキの運命そのもののように見えた。  この人が強靭に見えたのは、そうあらねばならないからだ。  レンは立ち上がり、壁へ行くと蛍光灯を消し、ほの暗い常夜灯に落とした。それからキッチンへ行き、冷蔵庫から保冷剤を出す。タオルを巻きつけてサキの所へ戻り、頬を冷やす。 「ん……」  サキが苦しそうな声を出した。  どうか。この人が悪夢に悩まされない日が来ますように。  それを祈る資格が自分にあるのかどうか、レンにはわからなかった。  しばらくサキの寝顔を見つめると、レンは立ち上がり、少し離れた場所に座り込んだ。壁に寄りかかって膝を抱える。明日は。明日こそは、この人に背を向けなくては。

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