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第72話★【2年前】(49)
部屋の中はエアコンがきちんと稼働していて涼しかった。
そこはビジネスホテルで、入口の脇には小さなキッチンがあり、冷蔵庫もそれなりにある。食料はひとまず冷蔵庫に入れたりキッチンに積み上げたりしておいて、2人は先にシャワーを浴びることにした。
サキの気配が気恥ずかしく、レンは彼に背を向けベッドに広げた服のタグを取る作業をしていた。人質である間は、タカトオとのやり取りや必要な物の調達など、ほとんど常に気を張っていた。それが緩み、妙に気持ちが高ぶっている。人目を気にする必要もない。サキも同じように油断しているらしく、椅子に座り、のろのろ同じ作業をしていた。
「薫さん、先にシャワー浴びます?」
靴下のタグを切りながら、レンはなんとなく聞いた。
「そうだな~」
それきり、答が戻ってこない。振り向こうとした時、すぐ後ろに熱を感じた。えっと思う間もなく、うなじにサキの唇が当たる。ちゅ、という音がして、温かい息がふわりと首を撫でた。レンは思わず目を閉じた。反則だ。いきなりされたら、感じ過ぎてしまう。
「あ~、ずっとこれをやりたかった」
サキはレンのうなじに唇を当てたまま呟く。
「これって……」
「前から思ってたけど、ほんとに……なんでこんな綺麗な首してるんだ?」
かっと頬に血が上る。
「き、きれいって」
「ずっと我慢してたんだ。頼むから」
「我慢って、こんな汗臭いのに」
「汗臭いのはお互いさまだ。なぁ……一緒に入らないか?」
はっきりと欲望を含んだ声が、レンの耳の後ろでざわめく。膝から崩れそうだ。
サキがゆっくり手を伸ばし、レンの手から靴下を取り上げた。ぽいとベッドに放り出す。Tシャツの下に大きい手が入り込み、脇腹を撫で上げた。手はそのままTシャツをたくし上げていく。
「両手を上げて」
抗えなかった。レンは言われるがまま、ゆっくりと両手を上げる。サキはTシャツを持ち上げて脱がせる。
「ほら、こっちを向いてごらん」
ゆっくりと振り向き、目を伏せる。サキの指が顎を持ち上げてくる。ゆるゆると促され、レンは恥かしさに視線を下げたまま仰向く。
「怜」
艶のある声に名前を呼ばれ、視線を上げる。目が合うと、レンは逸らせなくなった。愛情深い目が、レンを労わり、甘く誘っている。その目が近づき、唇がレンの唇に触れる。
キスを交わしながら、サキの器用な指先がレンのジーンズのボタンを外し、ジッパーを下ろした。レンも手を伸ばしてサキのTシャツをまくる。
顔を離し、サキが両手を上げると、レンはTシャツを脱がせた。段々もどかしくなって、2人はジーンズも下着も靴下もぽいぽい脱ぎ捨てながらバスルームに向かう。
ユニットのバスタブの中でシャワーを出すと、もう歯止めはきかなかった。互いに胸を密着させ、抱き合って唇を貪る。歯列をなぞり、舌を絡ませながら、反り返るほど勃ちあがったモノを互いの腹にこすりつける。
サキが手を伸ばしてボディーソープのポンプを押す。シトラスの香りの泡を手に取ると、サキはレンの体を洗い始めた。同じように、レンもサキを洗う。気が向くままにキスをしながら、首の後ろから肩のラインを手の平で感じ、腕と腕とをすり合わせる。
サキに脇の下へ手を差し込まれ、レンは息を詰めた。くすぐったさが、ざわめくような快感になる。脇腹から背中へ泡を広げた手が、腰を包みこみ、ゆっくりと撫でさする。
「薫さん……」
キスをしながら、サキの手はレンの芯を泡で包む。先端でぬるぬると手の平を回されると、レンは思わずサキにしがみついた。蕩けるような快感で腰が砕ける。
からかうような目が、レンの顔を眺めていた。
「あ、や、やぁ」
「嫌か?」
意地の悪いことを聞く。レンは夢中でサキのモノを探した。泡の中で屹立しているそれを自分も掴み、同じように手の平でぬるぬるとこする。
「んっ、それ……」
サキが息を詰めたのが嬉しくなって、レンは手を動かし続けた。サキもむきになったようにレンを煽る。
温かいシャワーの下で、2人は夢中で快感を与えあった。荒い息のまま何度もキスをし、手を動かし、硬いモノを刺激する。くぐもった呻き声がバスルームに響き、くちゅくちゅという音が切羽詰まった速さになる。
「あっ、く……」
「ん、あふ」
ペニスをしごいていない方の手は、いつの間にか相手を引き寄せていた。胸をこすり合わせ、肌を密着させる。
はぁはぁと荒い息を響かせながら、ただただ、2人は夢中でしごき合った。気持ちが良すぎて止められない。何もかも忘れ、先端を、段差の感じるところを、ひたすら刺激する。
あぁ……気持ちがいい。腰が震える。相手の体を使って自分の肌を愛撫する。全身の感覚が開く。快感のうねりに身を任せる。
「あ、ああ」
「んっ」
ぶる、とサキの体が震えた。あぁ……薫さん、オレの手でイきそうになってる。オレも……イきそ……。
ひときわ大きな波が、ペニスから腰へ抜け、背筋を駆け上がった。溜まっていた精液がどろりと溢れ、泡に混ざってペニスを伝い下りていく。
サキが笑った。
「2人とも、だいぶ溜まってたな」
「ほんと……」
シャワーで泡を洗い流すと、サキはバスタブの栓を入れた。一度抜いたおかげで少し冷静になり、2人は唇を合わせ、ゆったりした気分で互いを味わった。
温かいお湯が、足元に満ちていく。サキはシャンプーのポンプを押した。
「ほら怜。おいで」
バスタブの中にレンを座らせると、サキは両手でレンの頭を洗い始めた。時折、指先でマッサージをしてくれる。誰かに洗ってもらうのなんて、東京に来て初めてのことで、レンはうっとりした。軽く仰向いて目をつぶり、サキの指が泡の音を立てて動くのを感じ取る。
「……薫さん、前も思ったけど、面倒見いいよね」
「そうか?」
「弟さんの面倒みてたから?」
さわさわという音色を聞きながら、レンは言った。サキはちゃんと傷の場所を覚えていて、そこには触れないように洗っている。
「どうだろうな……。弟の場合は、けっこう雑だった」
「オレ自分でやるのに」
「でも誰かに頭を洗ってもらうのって気持ちいいだろ」
「うん」
本当に、溶けそうなほど気持ちがよかった。目をつぶり、髪を掻き回しながら強く弱く頭皮を刺激する指先を感じる。温かいお湯が溜まり、疲れがほどけていく。
サキはシャワーに手を伸ばし、お湯で髪をゆすぎ始めた。途中でチェーンを引っ張ってお湯を抜く。眠くなりながら、レンはされるがままに座っていた。
すっかり綺麗になると、サキは身を屈め、レンのうなじに顔をうずめる。もう汗臭くなくて、今度はレンも気が散らなかった。じっとしていると、サキは鼻をすりつけ、満足したような溜息をついた。くすぐったくて、レンはくすくす笑う。
「薫さん、割とヘンタイっぽいシュミしてる?」
「嫌か?」
「オレは嫌じゃないけど」
「ならいい」
サキはもう一度栓をして、お湯を溜め始めた。次は何する気なんだろと思っていると、サキは洗面台のビニール袋に手を伸ばした。
「爪切りまで買ってきたの?」
「だって爪が伸びてて気分が悪い」
サキは後ろからレンを抱き込むように座ると、レンの手を取った。一本一本、真剣に爪を切る。欠片をつまんでは、洗面台のビニール袋に放り上げる。
「……なんか、変な気分」
素直にそう口にすると、サキはレンの指先を見つめながら言う。
「変って?」
「なんていうか……こういう時って、ドアを閉めた途端にがっついたりしない?」
「がっついた激しいセックスの方が良かったか?」
「う~ん、迷うな……」
「準備もなしにいきなり始めたら、お前に傷がつく」
「だからって爪切りから始める?」
それには答えず、サキは静かにレンの指の爪を切り続ける。全部切ってしまうと、サキは今度は自分の爪を切り始めた。ぱちん、ぱちんという音が部屋に響く。サキはやっぱり欠片を水に落とさないよう、ひとつひとつ外に出す。
「……爪切りって楽しくないか?」
サキの声は眠そうだった。
「楽しいか楽しくないかっていえば楽しいけど」
「俺はできればお前の足の爪も切りたい」
「それは後でもいいんじゃない?」
「だめか……」
大きな体が、レンを包んだまま少し傾く。薫さんって、ものすごく面白い。
「そんなに爪切りしたいの?」
「したいが、まぁ我慢するさ」
自分の爪を切り終わると、サキは爪切りを洗面台に置き、お湯を止めた。ぴったりと肌を合わせたまま、サキは動かなくなった。
「薫さん?」
返事がない。うなじに無精ひげが当たり、ちくちくしていた。厚い胸板が背中に密着し、太ももが絡むようにレンの脚を押さえつけ、しかも両腕がしっかりレンを包み込んでいた。
「か、薫さん」
すうすうという寝息が聞こえ、レンは思わず振り返った。なんとか首を曲げて見ると、サキは爆睡していた。
そうか、薫さんも疲れてる。痛む体で、寝不足のままマンションの5階から飛び降り、数時間ぶっ通しで車を運転してきた。顔にはまだ傷や腫れが残っているし、体は痣だらけだ。
頭を洗ったり爪を切ったり、そうした繊細な仕草が気持ちをリセットするための儀式だったと気づいて、レンは微笑んだ。
身動きができないほどしっかり抱えこまれているのも、なんとなく心地よかった。もしかしたら、自分がタカトオに呼び出されたり、食料を調達したりするために部屋を出るのが、サキには嫌だったのかもしれない。大事な者が目の届かない危険な所へ行くことへの不安。
「薫さん、ここで寝たらふやけちゃう」
そっと言うと、かすかな呻きがレンの首筋を撫でた。後ろに寄りかからず、頭をバスタブの縁に預けて体の力を抜く。
この人が眠る時、自分はそばにいたい。これからもずっと。
自分もこの人も、傷なんてすぐには治らないし、悲しみだってなくならない。でも一緒にいて、この人がリラックスして笑うのを見られたら、多分自分は息をし続けることができる。
サキの腕に自分の手を重ねる。筋肉や血管の質感を楽しみながら、レンは自分も目を閉じた。
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