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第81話 【2年前】(58)

 タカトオの根城は、まさしく城に見えた。  民間の6階建てマンションだったはずなのに、それは周囲の環境を含めて「住宅」には見えない代物になっていた。屋上には見張りが交代するための詰め所が建てられ、武器の類が並んでいる。サキとレンが監禁されていた部屋以外も窓はあらかた塞がれていて、内部は伺いしれない。バルコニーはやはり部屋ごとの仕切りが取り外され、監視カメラが設置されていた。最上階のタカトオの部屋だけはガラスが輝いているが、昼間なので部屋の中はやはり見えなかった。  周囲数十メートルにわたって他の建物は取り壊されており、近づく者は丸見えになる。なかなかの知恵だった。この「城」のエントランスの上、6階の一角は黒ずんで外壁の化粧材がはがれ落ちている。内部の破壊までには至らなかったらしい。言うまでもなく、それはサキたちが脱出する時に陽動で攻撃された跡だ。  反対のバルコニー側の5階には、一か所大穴が開いているはずだ。補修作業に駆り出されたのは何人ぐらいだろうな。サキは漠然とそんなことを考えていた。  いかにも「城」。そして城の存在は、城下町を前提としている。  円形に開けた空間を縁取る周囲には、崩れかけた建物がごちゃごちゃと並んでいた。幹線道路は開けているが、それ以外の部分では日雇い労働者やらなにやら、雑多な人間が生活している。建物の隙間や穴はブルーシートで雑に塞がれ、少し広い道には、露天商がブルーシートに商品を並べている。  食堂らしきところは、建物の外に寄せ集めのテーブルと椅子が並べられ、人々が思い思いに歩き回っている。その傍らには、酔っ払いとも死体とも区別のつかない人間がいくつも転がっていて、全体が荒んだ雰囲気だった。  数百メートル離れた場所にあるビルの上から、サキとレンはそれを観察していた。その辺を舞っていたブルーシートを拾ってきてかぶっている。サキはスマホを腰につけ、ハンズフリーでさっきからヤシマと通話していた。腹心のヤシマはチームを率いて「城下町」に紛れているはずだ。彼が最も得意とするのは隠密行動だった。 「状況は?」 『立川でのトラブルに対処するため、タカトオはやはり出かけるようですね。現在、護衛と運転手が車の爆発物点検をしてます。多分あと10分程度でマンションへタカトオを迎えに出発します』  ヤシマとは昨日からやり取りしている。彼はこちらに入っている者たちに指示し、作戦の準備を進めていた。「トラブル」も偶然ではない。 「ねぐらを襲撃された程度じゃビビらないっていう態度を示さないと、クーデターが起こるからな」 『ですね。それ以外も全員がすでに配置についています』 「さすがだな。いつもお前には世話になってばかりだ」 『いえ。チームのおかげです』  双眼鏡から視線を外し、サキは広い空間にぽつんと建っているマンションを見た。  あの中にはタカトオがいる。護衛のランドクルーザー数台と共に、もうすぐ立川に向けて出発する。  現在、タカトオの配下には大きく3つの派閥があった。『政府』を追われてタカトオと手を組んだ連中、タカトオが最初に埼玉県に現れた時からの古参、そして東京北に勢力を伸ばし始めてから、その地で配下となった新参だ。大まかに東京北の境界線沿いを分け合って仕切っている。立川は新参の有力者──かつて東京北を仕切っていた連中の生き残りがいる場所だ。タカトオにとって一番油断ならない場所である。  それぞれの派閥は仲が悪い。さらに、タカトオのことも別に信用しているわけではない。もしタカトオがいなくなれば、東京北は間違いなくこの3つの派閥が争う構図になる。最悪内戦状態に突入しかねなかった。  サキがタカトオへの私怨を簡単に晴らすことができない原因がここにある。三つ巴の武力闘争になってしまえば、確実に東京南も影響を受ける。  だからこそ、今回サキはタカトオに行動を起こさせようと思ったわけだ。奴がサキとの抗争にうつつを抜かせば、この3つの派閥は自分たちの利害で動こうとする。軋轢が目に見える形になれば、内部分裂なりなんなりで組織は内側から崩壊するのではないか。トップのタカトオがいれば、そうした抗争は陰険な足引っ張りの形を取り、周囲の被害は少ない。  サキの狙いはそこだった。タカトオを殺すのはそれからでいい。  ただ正直なところ、タカトオを撃ち殺したいという感情もある。サキの事情を知っている者たちは、サキが迷わずタカトオを撃って終わりにすると予想しているのもわかっていた。  どうするか。  考えながらスマホで時間を確認する。13時40分を回ったところだ。  サキは腹這いになると、二脚を立てて置いてあるライフルに手を伸ばした。レンズが太陽を反射しないよう、用心しながらスコープ越しにマンションのエントランスを見てみる。  見張りが数人、アサルトライフルを持って立っていた。上階の通路も見張りが常時行ったり来たりしている。実は、今サキとレンがいるこの狙撃ポイントも、本来は見張りがいる場所だ。全員、階下の一室に閉じ込められ伸びているが。  いずれにせよ、見張りが定時連絡をすべき時間まで20分足らず。その前にタカトオが出てきてくれなければ、作戦を変える必要がある。  狙撃のチャンスは一度。エントランスからタカトオが出てきて、専用のアウディに乗り込むまで。  隣でレンが同じように腹這いになり、単眼鏡を覗き込んでいた。  ここに来るまで、移動中にざっと狙撃の手順は教えてある。ぶっつけ本番にはなるが、たかだか300メートル程度だ。天気もよく風がない今日のような日なら、サキひとりでもなんとかなる。  サキがスコープを覗く間も、レンは黙りこくっていた。これから起こることに興奮するでもなく、冷静に父親のいるマンションを見つめている。 「……実は、まだ迷ってる」  サキはぼそりと言った。 「殺すかどうか?」 「あぁ」  タカトオの配下が派閥争いをしていること、安易にタカトオを殺すのは得策とは思えないことは、ここへ来るまでに話した。レンは黙って聞き、サキに任せると答えたのだった。 「実を言えば、殺してから後処理を考えた方が早い気もしている。まずはやってみようっていう精神だ。もしかしたら……俺は怖いのかもしれない」 「怖い?」 「あぁ。あいつを殺さない理由を考えているのは、実際に殺そうとして失敗した時の言い訳を探しているだけなんじゃないかと」  単眼鏡から目を離し、レンはサキの目を見た。 「……薫さんも、そういうこと考えるんだ」 「いつだって考えてるさ。今の東京では、殺したい相手をブチ殺せない奴の方が臆病者と言われる。俺はすでにその考えに馴染んでいて、復讐こそが正義だと思っていないか、と。自分は絶好のチャンスに復讐もできない腑抜けだと思われるのが嫌なだけなんじゃないか」  レンはじっと考えていた。 「オレは……薫さんを臆病者だとは思わない。自分の感情だけで動かないで、東京全体の将来のことを考えてるし。……本当は、誰も他の人を殺す権利なんかない。できるだけ殺さない方向で考えてる薫さんを、オレは尊敬する。オレだったら、その場の怒りにまかせて相手をブチ殺して、後から言い訳を考える」  レンなりのぶっきらぼうな励ましに、サキは微笑んだ。  殺さないことはレンのためにも大事だ。レンがタカトオの息子であることが知れ渡れば、誰かが必ずレンを担ぎ出そうと考える。タカトオの死後にそうしたことに巻き込まれれば、生きている時より大変かもしれない。  いずれにしても、実際にタカトオがエントランスを出て、サキのスコープが確実に奴を捕えなければ、決定的な判断の瞬間は来ない。  2人はそれぞれの考えにふけりながら、じっと腹這いでタカトオを待ち続けた。

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