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第85話 【2年前】(62)

 ヘリコプターの爆音にも、エトウは動じる気配がなかった。腕を組んで待つエトウの前で、ヘリは図書館駐車場の真ん中に下り、サキとレンを降ろすとすぐに飛び立ち、東へ去った。  サキのチーム、エトウのチーム、それに東京南全域から集結した有志たちは、サキとエトウが互いに近づき、言葉を交わすのを遠巻きに見つめている。心待ちにしていた指揮官のド派手な帰還は、明らかに全員を高揚させていた。 「今から20分後に事務室でミーティングをする。各チームのリーダーは集合してくれ」  よく通る声で指示を飛ばすと、サキはエトウと話しながら図書館に入っていく。  レンは、その後ろから荷物を持ってついて行った。ヘリを降りた瞬間から、サキは指揮官の顔をしている。甘い恋人の目は消え失せ、凛々しく鋭い眼差しがすべての者の動きを平等に捉えていた。 「レン」  サキに呼ばれ、レンは顔を上げた。 「荷物は武器庫の担当者に渡してくれ。他の武器と同様の管理に回す」 「了解しました」 「それが終わったら」  サキが立ち止まると、エトウが待つ。 「タケと一緒に事務室の近くにいてくれ。ミーティングの後でミヤギとお前たち2人に話がある。待っててもらえるか」 「わかりました」  プライベートな関係を示すものは一切ない。その切り替えは、レンに否応なく父親との対決を覚悟させた。負けるわけにはいかない。その気迫こそ、レンが焦がれてやまないもの。目的のために戦略を立てて決然と行動できるサキを、レンはひとりの部下としてひたむきに尊敬し続けている。  そうだ。ここでレンを特別扱いするようなら、最初から好きになんかなってない。オレは第3チームのメンバーであって、チームリーダーでもなんでもない。抗争が始まった時に、サキの隣に副官として立つのはエトウであり、作戦を現場で指揮するのはチームリーダーたちだ。組織は完璧に出来上がっており、サキはその頂点にいる。  オレも自分のことばっかり考えてないで、しっかりしなくちゃ。甘い感傷は命取りにしかならない。  狙撃に使った装備を背負い直すと、レンは武器庫へ向かってサキと別れた。 「状況は?」 「中央線のバリケード5か所があと少しで突破される。どこから飛んできた? 思ったより早かったな」  誰もついてきていないのを確認してグループ研修室に入ると、サキとエトウは本題に入った。盗聴器がないのはさっきエトウが確認済だ。ブラインドの隙間に指を突っ込んで外を伺ってから、サキは事務室から持ってきたタブレットを置き、腕を組んでテーブルに腰を預けた。 「タカトオの根城から北に抜けたところにある、学校のグラウンドを拝借した。奴の頭の上を通らないよう遠回りしたから、これでも時間がかかった方だ」 「いや充分早いだろ。田嶋の手際も相変わらずだ」 「あぁ。あいつとお前にはいつも感謝してる」  サキが柔らかく目を細めると、エトウが肩をすくめた。 「おだてても、何も出ないぞ。ただ、派手にヘリで帰還したからには、タカトオの方にも報告は行っているんじゃないか? あいつ、思惑が外れて引き上げるんじゃ」 「どうだろうな。大きく自分の手勢を動かして、向こうは向こうで派手に動いた後だ。今更引っ込みはきかないと思う。こっちは予定通りに迎え撃つだけだ」  エトウは何も答えなかった。そう言うと思っていた、という雰囲気だ。サキは続けた。 「俺がいない間、状況はどうなっていた? ペンダントは?」 「ペンダントはお前が置いて行った場所から1ミリも動いていない。連中は寄ってたかってペンダントの場所を探っていたが、何せ俺が書庫に一歩も入らないもんだから、見当もつかなかったらしい。ただ……」 「ただ?」 「ちょっと引っかかるのが、人質から解放されたタケだ。あいつが一番しつこかった。ペンダントをタカトオの所に持って行かないとお前ともう一人の人質……えぇとレンだっけ? 2人が殺されるって、だいぶ食い下がった。タカトオに何か言われたのか? これは俺の直観だが、タカトオに手綱を握られている感覚がある」  ふ~ん、とサキは顎に手を当てた。 「可能性としてはあるかもしれない。お前の感覚を信じるなら、人質になった2人は最初から選ばれていたことになる」 「選ばれていた?」  サキは顔を上げ、エトウの目を見た。 「そうだ。タカトオ本人が切り札として隠していた事実……。レンはタカトオの隠し子だ」  エトウが目を見開いた。 「そんなのがいたのか?! ……親子って割には、似てる印象がないな……」 「並べてみると顔の造形は確かに似てるところがあるんだが、表情の作り方が全然違うから、俺も最初ピンとこなかった」 「ふ~ん。隠し子ねぇ。じゃあ最初からこの抗争はタカトオに仕組まれていたのか。……レンをまた連れ帰ってくるなんて何考えてる? 薫」  サキは慎重に説明した。 「レンの立場は複雑だ。あいつは父親に常に駒として使われてきた。そのことで父親に怒りを溜め込んでいる。俺が『政府』からタカトオを追い出しただろう? その後タカトオは昔の女、つまりレンの母親のところに転がり込み、レンを虐待していたらしい。奴はその間に金を作り、東京に返り咲いたというわけだ。ついでにレンを東京へ連れてきて、埼玉県で足がかりをつかむときに『政府』にレンを献上し、それがうまくいって味をしめた。つまり、レンが利用されているのは俺にも原因がある」 「いや、ねぇだろ。どこまでもタカトオが悪いんじゃないか」 「まぁそうなんだが、俺としてはレンを育てたい。タカトオの所に置いてきて奴のロボットにするより、俺のところでタカトオに対抗できる力をもつようにできるんじゃないかと」  エトウは椅子を引いて座り、頬杖をついて考えこんだ。 「今回のレンの役割は?」 「俺をたらしこむこと」 「で?」 「別にたらしこまれる前から、レンとはいい関係だ」 「へぁ?」  変な声を出したエトウに、サキはにやりと笑いかけた。エトウは呆れ顔だ。 「ちょっっと待て薫、お前ら」 「タカトオとしては、レンを使って俺を操りたいらしい。あわよくばペンダントの場所を聞き出すか、俺とレンが殺し合いをするか。で、俺としてはレンを甘やかして父親から引き離し、こっちの勢力の一員として育てる、と」 「レンはどう思ってるんだ?」 「俺に惚れてる。そして俺は、あいつのためなら父親の頭をブチ抜くことに躊躇はない」 「……そういうノロケを自信満々に言う男だよ、お前は。」  呆れたように溜息をつくエトウを見ながら、サキは自分も椅子を引いて座った。 「今回の抗争、決着がついたら俺は『政府』に戻る。お前が後処理するか?」 「お前がいない東京は面白くないな……」 「じゃあ決まりだ。レンのことは俺が責任を持つ。後処理をやる人間に南のペンダントは渡るだろう」 「うまくいくのかねぇ」 「知らん。人はその時に一番いいと思った選択をするだけだ」  エトウは微笑んだ。その深い哲学こそ、サキをサキたらしめている。 「北のペンダントは?」 「群馬の合田と話をつけてきた。今回の一件がうまく進めば、北半分から埼玉全域があの人の仕切りになる」 「大丈夫なのか?」 「さぁな。あの人も狸だ。タカトオが負けるとはっきりしない限り、態度は明確にしないはずだ。こっちが負ければ、しれっとタカトオにつくだろうしな。ただ、レンの後見だけは依頼してきた。俺に何かあった場合、レンが父親に再び利用されないよう、裏から手を回すだろう。それは合田自身の地位を守るために必要だからな」 「ふ~ん」  エトウが椅子の背に寄りかかった。 「お前、俺が東京に残る気がないのをわかってて今回の物事を進めてるだろ」 「レンをお前に託したって、お前が興味ないだろ?」 「……ないな。レンもかわいそうに。独占欲の強い男に惚れられて」  その返事に、サキは声をあげて笑った。 「とりあえず、父親を排除しないとな。今回の主な目的は、奴というより、奴の組織の解体に手をつけることだ。今回、タカトオの配下で一番の古参どもは、本拠地を守るために向こうに残っている。そっちの処理は第1……うまくいけば合田が入る。まぁ、今回は主眼じゃない。  で、こっちへ侵入してきている連中で最も多いのは新参と政府上がりだ。新参の扱いだが……」  サキはタブレットで地図を出した。 「この図書館の北に点在する公園の緑地、そこに撤退を装って誘い込む。まず敵全員をまとめて公園に封じ込め、次に公園から出てきた奴を狙い撃ちにすることで、誰も公園から出てこられない状況に持ち込む。その上で、両手を挙げて出てきた奴はすべて、車に積み込んで南の……遊園地の跡地にある宿泊所に輸送する」 「物理的に敵の手勢を減らすってか?」 「そうだ。向こうにはこっちの手勢も大量に入り込んでいる。戦闘意欲のない奴はすべて平等に戦線離脱。扱いに差をつけないことで、誰がこっち側かはバレない。宿泊所に炊き出しと医者を用意して、ぬくぬくさせておく」 「補給線は?」 「バリケードを突破して敵がこっちになだれ込んだ時点で、向こうに残ってる第1が指揮して中央線の下を全部ふさぎ直す。一件が終わるまで、誰も戻れない」 「なるほどね。トラップは出来てるのか?」 「あぁ。破壊されてなければ、出来上がってるはずだ。慎重に行動すればするほど、気づけば公園の緑地の中。これだと新参で戦闘に積極的でない者を殺さずにすむ。政府派はズルく立ち回るだろうから、新参の戦闘員があらかたいなくなったところで公園内部に潜んでいる政府派を狩りに入る」 「フィルターか」 「そういうことだな。結局、普通の人間は銃なんか撃てない。南北戦争しかり、世界大戦しかり。訓練がろくにできていない者を集めて銃を持たせただけの軍ってのは、誰かを殺すのをためらった者の方が圧倒的に多いんだ。それを利用する。両手を挙げて降参すれば、いい扱いが受けられるということは、すでにこっちの手勢が噂として広げている」  エトウは地図をしげしげ見た。図書館からものの百メートル北には、広い緑地が広がっている。普段はテントや段ボールハウス、物売りが並ぶ『住宅地』なのだが、今回の大規模な抗争を前に、住民たちは既に逃げ出していた。 「輸送が相当重要になってくるな」 「それについての人員はアテがある。で、問題のタカトオなんだが」  エトウは頬杖をつき、サキの説明を待った。 「あいつはどこかの時点でこっちの作戦を理解し、単独か少数の手勢を率いて直接図書館に向かうはずだ。何らかの手を使って防衛線を抜いてくる。お前は公園と図書館との間の遊軍として、奴の動線を遮ってほしい」 「了解。お前は?」 「図書館の屋上で、ひたすら近づく奴を撃つ。公園の緑地も見えるから、全軍の指揮も執りやすい」 「ふ~ん」  地図をスクロールしながら、エトウは考え込んでいる。すでにルートを計算しているのが、サキにはわかった。 「……薫。お前の説明だと、二種類の作戦が混在していると考えていいんだな? この……公園を囲い込む防衛線は徹底して敵味方の人的損害を避け、根比べで粘る。防衛線を越えた……俺の担当範囲では、容赦ない殲滅戦を展開する」 「そういうことだ。ペンダントのある、この図書館から俺は動けない。タカトオの動きをブレさせるわけにはいかないからな。一番血生臭い場所にお前を放り込む形になる。頼めるか」  椅子の背に寄りかかり、エトウは手をひらひら振った。 「他に誰ができるんだよ。お前は昔っから、俺を手足としてこき使えるのを前提に作戦を組み立てやがる」 「終わったら晩飯はおごる」 「スパイどもは全員、ぬるい場所で出来レースに参加させておくってか。始まったら、俺の動きは公園側の連中とは別回線を使う。チームリーダー会議でも俺の場所は図書館近辺の防衛とだけ説明しておけ。あと、俺の手勢は俺のチームでいいんだな?」 「あぁ」  エトウはタブレットから目を離し、サキを見た。その目つきは、サキも久しぶりに見るものだ。獰猛に光る虎の目。研ぎ澄まされた視線が、楽しそうに煌めく。 「晩飯は焼肉だ。薫。財布の底を叩く準備しとけよ」  サキも微笑む。そうこなくっちゃな。 「2軒目のラーメンまで、期待しておけ」

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