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第91話 【2年前】(68)
図書館が夜に落ちるまであと30分。
息を詰め、サキは動かずにいた。全身に緊張がみなぎっている。部下たちも皆、指示された通りに警戒を最大級に強めていた。
あと数分で来る。
サキは頭の中でシミュレーションを続けていた。あのビルの中、6階まで階段を上り、ドアを開ける。突き当りの窓を開け、上下左右を確認。斜め向かいの非常外階段に手が伸びる。
それを1階まで下り、建物の外壁に沿って回り込む。次のビルの入り口が見える。中を通り抜ければ……。
「誰か!! そのバン止めろ!!」
唐突に、屋上の反対側で部下の誰かが喚いた。
激しい衝突音と同時にズシンと何かが図書館に当たり、建物全体が揺れた。
南から誰か突っ込んできやがった。この感覚だと、バリケードごと図書館に当たったな。サキはスコープから目を離さないまま舌打ちをし、命令を出した。
「防衛しろ! 下のチームどうなってる?」
「公立マーケット前のバリケードにバンが突っ込みました。ダメです。ガソリンに引火する!」
やられた! ペンダントが書庫にある限り図書館に火をつけることはないと踏んでいたのに、タカトオの野郎!
歯を食いしばりスコープを覗き続ける。絶対にここで仕留めてやる。これで終わりだ!!
息を吸い、吐き、止める。
次の瞬間、ドォンという爆発音と共に図書館全体が大きく揺れた。スコープの中を人影が走る。
タカトオ!!
渾身の一撃を放つ。銃弾が空気を切り裂く。スコープの向こう、奴の顔面にねじこめ!
「くそ!!」
衝撃で図書館が大きく揺れたせいで、狙いはわずかに外れた。かすっただけだ! タカトオはサキのスコープからかろうじて逃げおおせ、図書館の足元に入りこんだ。
サキは狙撃銃を放り出し、跳ねるように立ち上がって屋上の縁から下を覗き込んだ。グロックを撃ちまくる。タカトオは体を丸めて駐車場の車の向こうへ走りこんだ。味方のチームがタカトオを追い始める。歯を食いしばってひとつ唸り声をあげると、サキは屋上の部下に向かって怒鳴った。
「ダメだ! 図書館を捨てる。階段を開け、できる範囲で階下の仲間を救出。全員ロープと縄梯子を使い、西側の外壁から降下する」
「しかし」
「全員退避だ!」
問答無用で命令すると、サキは全チームへの回線を開いた。
「図書館に火をつけられた。全員退避。これは命令だ。絶対に、誰も図書館に入るな!!」
南は、図書館内部にまで深く突っ込まれたわけではないらしい。しかし外壁に沿って炎が吹きあがり、その先端は屋上に達していた。部下たちがロープを何本も西の外壁に下ろし始めている。図書館内部で補給物資や武器の管理をしていたチームが、マスク姿で次々と屋上に出てきていた。怪我をしている者もいる。誰かが点呼を始めた。
「一番体力が残っている者が最初に下りて、後から下りる者を助けろ。退避は怪我人から。輸送チームは何台寄越せる?!」
『現時点で5台です。宿泊所で動けそうな者に総動員をかけます』
ミヤギが即座に応答した。
「よし。繰り返す。絶対に、誰も図書館に入るな。手が空いている者はすべて図書館周辺に集合、タカトオに突破された。奴は図書館の近くに潜んでいる。狩り出せ!!」
「サキさん! ロープの準備できました」
「俺は最後だ!! 行け!」
「でもサキさんが危険です」
腹の底からサキは怒鳴った。
「行け! 俺が最後だ。二度は言わせるな!!」
ひるんだ顔をした部下は、理解したように唇を引き結び、急いで怪我人をロープにくくりつけ始めた。できるだけ早く。サキさんに危険が及ぶ前に全員が下りないと。
サキは自分がタカトオを狙っていたポジションから、狙撃銃を拾って西に戻った。ロープで下りる者が狙い撃ちされないように、警戒する必要がある。
タカトオはすでに身を隠してしまい、辺りを慌ただしくサキのチームが走り回っている。消火器は一応あるが、ガソリン満タンの車に突っ込まれたのでは、ひとたまりもない。
完全にしてやられた。
あの権威主義のタカトオが、ペンダントを犠牲にするとは思っていなかった。サキの両親の指輪を後生大事に撫でまわしているような奴だ。ペンダントを燃やす可能性はほとんどないとサキは読んでいた。
ペンダントがなければ、再発行は理論上できる。だが現状、『政府』内部でタカトオが画策し、再発行を阻止してくる可能性がある。サキもタカトオも統括ペンダントを持っていない状態になれば、タカトオが中央線南の支配の正当性を主張できないのと同じレベルで、サキも正当性を主張できない。縄張り争いは単なる殴り合いになり、勝った方が実効支配を敷く形に持ち込まれる。
奴はペンダントという形のある物にこだわり、そっちへ事態を持っていくことはないだろうと踏んだんだが、思った以上に下衆なことしやがったな。鉄砲玉のバンがどこから現れたのかは、後で考える。まぁ……見当はついてるが。
「くそ」
低く悪態をつきながら、サキは外壁の警戒を続けた。怪我人が順番に下ろされていく。降下地点には輸送チームのバンが次々到着していた。足元を警戒していたチームにも、人員がどんどん補充されている。
レンの奴、来てないだろうな?
いや……たぶん、もうだめだ。
サキは絶望的な気分で思った。
輸送チームの集結を指示したのは他ならぬ自分だ。責任感の強いレンが来ないわけがない。
書庫に入るな。レン。絶対にだ。
空しく思いながらエトウに通信を入れる。
「翔也」
『生きてるか薫?! 状況は!』
「輸送バンにカモフラージュして南から公立マーケットに突っ込まれた。タイミングを合わせてタカトオにまんまと入り込まれた。図書館を捨てる。全員が屋上から降下中。すまん」
『謝るのはまだ早い。お前は屋上か?』
「あぁ……だが屋上から俺が下りた時点で負けが決まる」
『下りなきゃいい。田嶋に連絡して今ヘリを向かわせる。俺もすぐそっちに向かう。図書館を中心にまとまって防衛すると同時に、タカトオを捕獲にかかる』
「死ぬなよ」
『お前がな』
力なく、乾いた苦笑いをしながら通信を切る。
レン。頼むから書庫にだけは入らないでくれ。タカトオの最後の狙い。それがもしペンダントを燃やすことでないのなら、この爆発はお前のために用意された罠だ。
サキはもう、人生を諦めてしまった境地で警戒を続けた。
悪い予感は当たるものだ。いくら願っても、きっとレンの温かい体は俺の腕の中から消える。
太陽は最後の光を残し、東京の奥へ落ちていった。
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