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第117話 蒲田にて(36)

 朝のラッシュが一段落ついたところで、従業員たちは全員集まってきた。商店街の方からも、数人が事情を聞きに来ている。怜はレジの横の椅子に座り、皆の顔を見渡した。 「え~と、金曜日からいなくて、ごめん」 「いや怜さんのせいじゃないでしょ、そんなことより、何がどうなってるんです?」 「えぇと……」  かいつまんで、怜はここまでの事態の流れを説明した。薫が生きていることは言えないし、江藤との対立構造が実は本物ではないというのも言えない。話したのは、江藤が金曜日に仕掛けてくる、その防衛のために、高遠のところに行って中央線南の指揮権を要求してきたこと、高遠配下の奥村と連携を取り、中央線南全体の防衛をすること、『政府』の木島からの援助を受けること、という流れだ。昨日、江藤のところへ直接交渉に赴いたことまでを順に話すと、全員が「へぇ」という顔をした。 「江藤さん、金曜日に実際に仕掛けてくるって?」 「もう一度、今日も午後から交渉に行こうと思う。電話して向こうの予定を聞かないといけないけど。昨日の時点では、武器を持たない者は一切攻撃しない、火を使わないというところで妥協してもらえた。江藤さんは公正な人だ。約束は守ってくれると思う。ただ……まだ全面対決は避けられない状況だから、さらに交渉したいんだ。あの人だって、自分が以前仕切っていた中央線南には愛着がある。めちゃくちゃにするのは避けたいはずなんだ」  次は、交渉というより打ち合わせに近いものになる。薫が生きていることを怜に教えてくれた以上、江藤は全面的に協力してくれるだろうと怜は思っていた。ただ、高遠たちへのパフォーマンスとして交渉の過程は表に見せる必要がある。 「ふ~ん。高遠さんの側は援軍寄越したりとか?」 「それも困るよな」 「今まで上納金とかを要求されてこなかったのって、要するに怜さんが高遠さんの息子だったからってことだろ? それがグループ内での地位を要求したら……えぇと、どうなるんだ?」  皆、色々なことを言っていた。ここは中立地帯として、今まで高遠に何かを要求されることがなかった。ここが権力の空白たりえたのは怜が高遠の息子だったからということがわかり、なんとなく皆は納得した雰囲気だ。それが、ここへきて高遠の勢力下として防衛を要請したりすれば、見返りとして何か要求されるのではないか、というのが住人たちの心配事だった。 「その~、皆に不安に思って欲しくないから、高遠のところで話したことを、皆にも話すよ」  怜は静かに、2年前に佐木から統括ペンダントを引き継いだことをくわしく話した。自分が中央線南を仕切るべき者であり、こちらのやり方を向こうに受け入れさせることはあっても、向こうのやり方を受け入れる気はない。高遠一派には、そうした姿勢で臨むつもりだと。 「でもそうなると、高遠の一派に侵略される危険はまだあるんじゃ……ここでは、ほとんどの人が武装してない」 「うん。だから東京の他のエリアに先駆けて、この街に警察機構を復活させたらどうだろうって考えてるんだ。この間オレを連れ出した『政府』の木島さんなんだけど、あの人は東京全体の警察機関や司法機関を復活させる仕事をしてる。あの人の後ろ盾で、東京以外と同じように戦前の統治機構にもう一度組み込まれた街になれば、ここに住んでいる皆が平穏に生きる権利は保障されて、暴力的なことがあった場合はしっかり押さえてもらえる」  昨日、薫と話していたことを怜は説明した。 「元々、あの人がオレに接触してきたのは、東京全体に警察を復活させるために、オレと手を組んで高遠一派を排除する可能性を探るためだったんだ。こっちはそれに最大限協力することで、公権力による庇護という恩恵を受けられる。今までみたいな自警団じゃなくて、統制のとれた人たちにきちんと対応してもらえるんじゃないかと思うんだ」 「ちゃんと仕事できるんですかね」 「木島さんは、今までの『政府』の在り方に腹を立てていて、かなり強力に物事を変えていこうとしている。オレたちは基本的にこの街の土地の所有権とかは持ってないから、所有者が来れば明け渡さないといけない。将来的に再区画なんかがあればそれに従う。つまり、オレたちも法律に従わないといけないけど、でも、安心して暮らせる街を作っていくには、そういうのも受け入れて、生きられる場所で生きていった方がいいんじゃないかと思う」  様々な意見は出たが、全員、おおむね賛成だった。結局のところ、いつ現れるかわからない地権者を心配するより、差し迫った命の危険をなんとかする方が先だ。  こうして警察の必要性を説きながら、怜は何となく薫のことを考えた。  もしかして、木島の顔のままで大っぴらに蒲田を出入りするために、今回の計画を立てた、とか?  まさかと思いつつ、その可能性も視野に入れて計画を立てていてもおかしくはない。そのうち、金曜日と言わず好き勝手にやってきそうではある。  今住んでる部屋、お風呂が遠いんだよな。  どうでもいいことをふっと考える。薫が自分の部屋を訪れることを想像し、怜は微笑みそうになる顔を引き締めた。こんな緩んだことを考えてる場合じゃない。 「とにかく、オレは引き続き交渉で留守にすることが多いと思う。ここが荒らされないようにオレ頑張るから、皆あんまり不安にならないで協力し合ってほしい」  怜がそうまとめると、全員が了解という顔をした。  皆、オレを信頼してくれている。絶対にやり遂げなくちゃ。  怜はひとまず会合を終わらせると、薫からもらったスマホを取り出した。

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