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第160話 『東京』にて(5)

「おいおい……なんかスピードがバグってねぇか?」  高田の呟きはもっともで、薫は全員が予測していた時間の3分の1で中央線を突破した。高田は今、埼玉県と東京都北部の境界線に近いところにいるのだが、薫は敵を蹴散らし猛スピードでこちらに向かっている。 「新宿や渋谷の近くなんて『風下』だろ? 通って大丈夫なのか?」 『何がだ。もうそっちの影響なんかないだろ。お前こそ、俺が到着するまでに押し戻しておけ』  高田の問いかけに、当の本人はいたって冷静に答えてきた。冷静、というより感情が抜け落ちた声、と言ったほうがいいかもしれない。聞きようによっては冷たいともとれる言い回しに、高田は「しょうがねぇな」という顔をした。 「出遅れはしたが、一応例のトンネルの手前まで押し戻してから合流できるんじゃないかとは考えてる。伝説の男が帰ってきたってのに、手土産のひとつもないんじゃ面目が立たんからな」  モニターの向こうで、薫が物騒な笑いを漏らした。復帰するなり全開というのが佐木らしいと高田は思う。  分析マップには薫の位置が常に表示されていて、その動きに高田の部下たちまで焦り始めている。おっかないボスがこっちに向かって地響きを立てて突進してくるイメージらしい。部隊全体が動きを早め、必死で敵車両を追尾し、確実に戦績を積み重ねている。  こういうところが、かなわないんだよな。  高田は実感していた。劣勢の時に存在感を放ち、問答無用で情勢をひっくり返す力というのは、自分にはない。並外れた才能のあるリーダーとして、薫は異質なのだ。  そもそも、今まで顔を出していなかったのに、現れた途端に全員がボスと認識するなんて、考えたらよくわからん話だ。  なんとなく、高田は面白かった。『政府』内における「東京都直轄機動部長の木島」という男の名前と顔は自衛軍も警察も知っていたし、それが実は死んだはずの佐木薫だったという通達も既に行き渡ってはいる。ただ、だからといって現場がすんなり薫に従うわけはないだろうと高田は思っていたのだ。  そんな高田の考えを吹っ飛ばすかのように怒涛の勢いで東京を縦断する薫は、痛快でもあり、畏敬の念を与えるものでもあった。  しかも薫の迫力がどこから来ているかといえば、さっさと用事を済ませて恋人のところに帰りたいというひどくプライベートなものなのが、さらに面白い。裏事情を知っている高田は、からかってみたくもなる。 「怜の状況は?」 『もうすぐ全滅させてやれそうだと言ってきた。ただ……これで終わりじゃないだろうな』 「何が来る?」 『わからん。高遠本人が来ると怜は読んでるがな』 「いよいよお出ましか」 『そういうことだ。主力部隊はこんなものじゃ済まないだろう。埼玉はさっさと決着をつけたい』 「だな。つうか、お前は蒲田にいなくていいのか?」  わずかな沈黙が流れ、薫が不貞腐れたように言う。 『蒲田にいたら、それこそ高遠の思うつぼだ。なんなら奴にはこっちに来てもらいたいと思ってる』 「怜とお前を分けて、ワンチャンこっちに高遠を誘導する?」 『それができれば楽なんだがな。まぁうまくはいかないだろう。奴は十中八九、蒲田を狙ってる。俺が怜とつるんでいるのを見たら、大喜びで怜を燃やすだろうよ』  薫と高遠、そして怜との因縁を細かいところまでは知らなくても、高遠が薫の目の前で家族を焼いた話は聞いている。薫はそれを思い出しているのだろう。 『だから怜に蒲田から出された。……わかってはいるんだが、それでも、奴が蒲田に乗り込むまでにはなんとか怜のところに戻りたい。怜は嫌がるだろうが』  傍にいるべきかどうかがギリギリの決断であることは、高田にも理解できた。何せこの戦いの鍵は、高遠親子と怜との三角関係だからだ。それはもう、どうしようもないことだった。 「あとどのぐらいで着く?」 『どうだろうな。わからんが、1時間……いや、ちょっと考えてることがある。もっと早いかもしれない。合図があったらすぐ対処できるようにはしておいてくれ』 「了解した」  通信が切れると同時に、今度は宮城から通信が入る。 「おう宮城、そっちは人が足りてるか?」 『高田さん今どうなってます? こっちに回せる車ってありますかね。やっぱりダメです?』 「ん~、千葉からの援軍が到着したら、そっちに割り振れるように編成しなおせるんだが、今のところはまだだな」 『それってあとどのぐらい?』 「道路事情からいくと、あと15分かそこらだ。踏ん張れるか?」 『江藤さんとのバランス考えて囲い込むには足りないんですが……仕方ないか。なんとか調達します』 「すまん。こっちも、成増のトンネル出口で時田が指揮してるっていう情報が入ってきてて、人員を減らせない」  高遠の配下で今や唯一残った時田は、以前とは打って変わって熱心に働いていた。宣戦布告の動画の内容からいくと、高遠がこの国のトップになった暁には大臣にでもなれると思っているのだろう。  野心ってのは操りやすいからな。  お陰様で、こっちはやりにくくてしょうがない。有楽町線のトンネル出口はプレハブなどでごちゃごちゃに封鎖されていて、時田はそこを徹底的に守っていた。明らかにあそこから敵が湧いているのだが、かつて閑静な住宅街だった地区は武装した集団によってガチガチにバリケードが築かれ、容易に攻められない場所と化している。  敵の車両は埼玉県に侵入すると、手あたり次第に火をつけていた。相当武器を積んでいるらしく、こちらが近づくとすごい量の弾幕を張ってくる。怜のアイデアで建築資材やワイヤーなどで足止めをしているのだが、こちらは蒲田のようなピンポイントの標的がいないぶん、連中は散開しては合流し、思いつきで行動していた。  あらかた片付けたが、問題はあの要塞なんだよな。  補給基地と防衛を兼ねたあの場所を攻略するには、千葉からの援軍を待って緻密に作戦を練る必要がある。地下で他の場所と繋がっているなら兵糧攻めもきかないし。  朝霞駐屯地に設置した司令部の屋上から、高田は要塞を見つめた。ここから要塞までは2キロも離れていない。向こうの建物は内側から目張りがされているらしく、灯りは一切漏れてこない。夜空を背景に黒く広がる場所は、今の高田の頭痛の種だ。  考えているうち、ふと足元が慌ただしくなったのに気づいた。車両が数台到着し、中から出てきた者がこちらの見張りと話している。  なんだろうと思っているうちに、連中が上がってきた。 「高田さん、おつかれさまです」 「おう、佐木どうなった?」 「それなんですが」  そいつが口を開くと同時に、とんでもない爆発音で地面が揺れた。全員が咄嗟に伏せる。 「なんだなんだなんだ」 「わあああ報告が間に合わなかったすみません~!」  揺れは激しく、地震かと思うほどだ。高田は最悪のことを想像していた。自分たちの場所に、何が襲ってきたのか。  衝撃波が収まると同時に、高田は立ち上がって周囲を見渡し、要塞の方に顔を向けて唖然とした。  要塞は、半分ほどが吹っ飛んでいた。  呆気にとられてそれを見つめる。灰色の煙がもうもうと立ち上り、火が広がっている。 「報告が間に合わなかったって……もしかして……」  到着したばかりの男は、しょんぼりした顔で伝達を始めた。 「佐木さんが、『そういや副都心線って有楽町線と合流するよな』とか、よくわからないことを言い出して、なんか、その、忘れられてる入口から突入してやるって言いまして」  若い男は、地下鉄の路線図を知らないのだろう。だが薫の驚異の記憶力は、地下鉄がどこで接続し、どこで合流するかをすべて覚えていたわけだ。2本の路線がこちらへ来る途中で1本になる。佐木はそれを利用した。 「考えがあるってことで、あんまダメージ受けてない敵の車両を何台もかっぱらって、それで地下に入ってっちゃったんです。おれ、佐木さんに『合図したらすぐ来るように高田に伝えろ』って言われて急いで来たんすけども」 「待て待て待て、今のが『合図』なんじゃないか?」 「そですね……」  あいつ……やりやがったな……。  高田は薫がやってのけたことを一瞬で理解した。敵の車両で奥から来れば、入口の見張りを騙せると踏んだのだ。それぞれの地下鉄入口はもちろん封鎖されているだろうが、薫はそのひとつを突破し、要塞の中に入り込んだ。挙句、通りすがりに弾薬庫に撃ち込んだか、発煙筒でも投げ込んだか。  呆れかえると同時に、高田は笑い出した。 「あいつ、マジで、バカなんじゃねぇか?」  この切羽詰まった状況でトンネルをスムーズに突破できる可能性はほとんどないというのに、薫はそれを瞬時にやってのけたのだ。  ひとしきりゲラゲラ笑うと、高田は力強く宣言した。 「出るぞ、今行けば、東京で一番バカな奴の顔が見られる」  間違いなく、薫はすべての勝利を強引に引っ掴む男だと、高田は車に乗り込みながら思った。

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