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第164話 『東京』にて(9)

 怜は自衛軍や警察に対して、積極的な攻撃を命じなかった。住民が脱出するまでの時間稼ぎだけを行い、必要以上にやりこめないこと。  敵は最初のうち、周辺に火をつけたり発砲したりしながら進んできたが、街がゴーストタウン化しているのを見てとると、図々しいことに、食堂まで文字通り直進コースをとった。戦車が家を圧し潰しながら進軍してくる。空一杯にバキバキという破壊音が鳴り響き、時折、ゴオンという音もする。戯れのように戦車が主砲を撃っているのだ。  古いビルが壊され、戦車がその中を抜ける。エンジン音が低く響き、その後ろから武装した車両が金魚のフンよろしくついてくる。踏みつけられた食器や椅子が悲鳴のような音を立てる。  連中は重々しく食堂までやってくると、儀式めいた仕草で食堂の前に止まった。食堂を取り囲むように車両が並び、武装した民兵が降りてくる。戦車の主砲は怜に向かっていた。  怜は発煙筒を食堂のすぐ前に置くと、数歩進み出た。  不気味な沈黙が流れる。怜はひとりだった。少し離れた建物の上から、自衛軍や警察の特殊部隊が敵を狙っている。  怜は深呼吸をすると、声を張り上げた。 「高遠! 来てるんだろう? 自分じゃ何ひとつまともにできない無能のくせに、見栄だけはすごいからな。顔ぐらい見せてみろ!」  敵も、味方も、誰も動かなかった。戦車も黙って怜を睨むだけだ。 「オレには、まともに取り合う価値もないって鼻で嗤ってんのか? バカ丸出しだな」  怜はせせら笑って見せた。 「今この場の雰囲気を感じ取れないぐらい、あんたは頭が悪い。いいか、少なくともオレは敵のど真ん中でも、指揮官同士が顔を合わせる場所にちゃんと出てる。下の者に危険なことをやらせて自分は隠れてるなんていう弱っちいことはしない。自分の部下たちにバカにされるぞ、高遠!」  まぁ本来、指揮を執るトップが一番危険なところに出てくることはありえないのだが、怜はわざと高遠を煽ってやった。自分の読みが正しければ、高遠は怜、つまり意志を持たないひ弱な息子に煽られるのだけは我慢ならないはず。冷静さをなくしてくれれば、こっちのものだ。  しばらく待ったが、誰も動かなかった。戦車の主砲も静かなところを見ると、高遠は考えている。  ふん。全員の前に引っ張り出してやる。エリート意識ばっかり強い、口先だけの奴。  実のところ、それは命がけの賭けだ。問答無用で撃たれる覚悟で、怜は立っていた。こんな原始的な戦法が高遠以外には通用しないのもわかっているし、緊迫した状況で誰かが誤射でもしたら終わりだというのもわかっている。  それでも、高遠に顔を出させることは可能だと怜は考えていた。死なば諸共の迫力を出す怜に、高遠は負けるわけにはいかないのだ。  睨み合いは長かった。1分……2分……。突然、声が響いた。 「久しぶりだな。怜。相変わらず無謀で愚かな子供だ」  来た! 怜は笑い出しそうになった。自分だけが賢いと思っている歪んだ性格の男は、やっぱり耐えられなかったのだ。 「そっくりそのまま、あんたに返してやる。頭が悪いクソじじいめ」  怜がそう怒鳴ると、高遠は黙り込んだ。確実に怒っている。  もっと怒れ。あんたは自分でわかってない。なぜ、あんたは見境なくオレを蔑まずにいられないのか。なぜ、あんたは徹底的にオレを無視しておきながら、のこのこ顔を出さずにいられないのか。  あんたが知らないあんた自身を、オレは知ってる。面と向かってオレを殴り、襟首を掴まえてネチネチ言わずにいられない理由を。あんたはオレを他人に殺させることはできない。何がどうあっても自分でオレを足元に転がして、自分の勝ちを確認しなければ、絶対にオレを殺せない。  その確信で、怜は目を光らせていた。深い沼の中でもがいていた時、怜はひとつの結論を見つけていたのだ。それは薫と再会した時に意識に上り、様々なことを思い返すうちに、今この時、ようやくはっきりした形となった。  高遠が、姿を現した。食堂の向かいの店の上だ。地上に並ぶ車両や地面に置いておいたライトで逆光になっていたが、怜はすぐにわかった。顔を上げると、その視線に応じてこちらの手勢がライトを向ける。2階建ての上で照らし出された高遠は、底意地の悪い笑みを浮かべ、怜を見下ろしていた。アサルトライフルを持った部隊が高遠を取り囲み、護衛している。 「バカは高いところが好きって、本当だったんだな」  怜はなおも煽った。高遠の顔が歪む。 「お前たちから狙いにくい位置取りをしたまでだ。お前は自分の立場というものがわかっているのか?」 「立場なんかどうでもいい。オレはあんたを仕留められれば、それで満足だ」 「では死ぬがいい。戦車の前に生身で立つなど、戦略も何もあったものではないな。指揮官がそのように無茶なことをするなど、考えられない」 「そのオレに煽られて屋根の上によじ登るあんたも、オレに何か言えるほど賢くもないだろ」  怜は一歩も引かなかった。以前は言われっぱなしだったのに、今の怜はもう、高遠への恐怖は何もない。  平らな屋上で腕を組み、高遠はわざとらしく笑った。口の端が引きつっている。 「私を嘲るのもいい加減にしろ。お前は私の息子だ。私の土地の片隅でちまちまやっていたくせに、私にたてつくとはな。東京は私のものだ。お前は東京を統一したつもりになっているようだが、元々私が統一したものを、自分が乗っ取っただけだろう?  反抗していた我儘息子が、私の家の中で暴れていても痛くもかゆくもないのだよ。このまま引き下がり、お前の地位を私に返せば、この地は残してやってもかまわないが」  呆れたように溜息をついて、怜は答える。 「あんた、全然学習能力ないな。オレは努力して、あんたから東京を取り返したんだよ。言ったろ? 中央線南の統括ペンダントを佐木さんから引き継いだのはオレなのに、あんたが適当なこと言ってオレから横取りしたんだ。それを、ここで薄っぺらい親子関係を口実にして、また横取りするつもりか? 一度も父親として行動したことなんかないくせに」 「……では、息子として私に赦しを請う気はないということだな?」 「あるわけない」  高遠が一歩前に出た。 「ここでお前が親に反抗すれば、この国がお前に与えるのは汚名だけだぞ」 「いや、だから名誉とかプライドとかどうでもいいんだってば。オレはあんたをブチ殺したいだけ」  うんざりした顔で手を振る。高遠はなおも続けた。 「言うようになったな。だが戦力の差は歴然としている。いいだろう。お前の死体を、その食堂の前に吊るしてやろう。……薫が」  高遠のこめかみから唐突に血が噴き出た。その体が壊れた人形のように飛び、横の護衛に倒れかかる。わずかに遅れて鋭く乾いた銃声が場を貫く。  大混乱になった。護衛が屋根の上から怜を撃ち、地上の民兵が無秩序に発砲する。怜はさっと発煙筒の煙の奥へ身を翻し、食堂の引き戸を蹴破った。 「盾は?!」  中で待機していた小隊が、用意していた盾を入口に並べて防御態勢を整える。食堂の後ろで退路を確保していた小隊が、裏口からこちらを覗きこむ。  銃弾の嵐が緩んだタイミングを逃さず、怜は外に向かって腹の底から怒鳴った。 「全員やめ!」  ふっと音が止む。戦車の主砲を睨みつけながら、怜はもう一度怒鳴る。 「高遠は死んだんですよ! 戦争してどうするんだ。あなたたちは帰って身の振り方を考え直せ。バカみたいな理由で死にたいのか!!」  緊迫した状況の中、怜は様子を伺い盾の上から外へ顔を突き出した。戦車の中から人が出てきている。小隊長らしき者たちが、もそもそ話し合いを始めた。 「帰れ!!」  怜が怒鳴ると、数人の兵が肩をびくりと震わせた。  息詰まる沈黙が流れる。  怜は待った。連中に、弔い合戦をするほどの忠誠心はないはずだ。もし行方不明の人たちから選ばれた者なら、帰りたいという気持ちの方が強いはず。 「オレたちは、普通にここで暮らしてる。定食屋とか、古着屋とか、そういう店で必死に生きてる。あんたたちだって、うちに帰れば普通の暮らしが待ってるんだろ? 撃ち合いなんか無駄なだけだ」  怜がそう言うと、向こうの話し合いの人数が増える。ごにょごにょやっていた連中は、やがて車両に乗り込み、北へ去って行った。護衛の人間たちも、ひとりずつ屋根の向こうへと消えていく。 「高遠の死体は置いていけ! それさえ守れば、こっちはあんたたちを追わないと約束する」  護衛の指揮官らしき者が、じっとこちらを眺めている。怜はそいつを睨んだ。彼はしばし考えた後、足元を指差し怜の方へ手を振った。わかったというジェスチャーだ。  それを合図にしたように、護衛たちは全員屋根からいなくなった。  最後に戦車が、重い音を立てて北へ向きを変える。  怜の手勢は、全員がしばらく動かなかった。やがて、どこからともなく溜息が漏れる。 「まったく……」  竹田が怜の隣で肩をすくめてボヤく。 「あんたら2人とも、どうかしてる」  怜は答えず、食堂から足を踏み出し北西の空を仰いだ。薫さん。あなたはオレのそばにいる。どんな時も。  着弾と銃声の時間差から判断すると、薫はここから1キロほどのところまで戻ってきている。夜間の、しかも護衛たちの隙間を狙う、針の穴を通すような狙撃。怜が発煙筒で食堂の位置を教え、ライトで高遠を照らしたとはいえ、普通の神経ではやり遂げられない。それを薫は即興で成功させた。  そこで起こる混乱を怜が制するだろうという信頼の下で。 「あんたらの執念に付き合うこっちの身にもなってくれ」  竹田の呟きに、怜はにっこり笑った。  東京を駆け抜けた薫は、絶対に居合わせると決めた場に、ついに自分を間に合わせ、怜と共に戦ったのだ。

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