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第2話

 初めて来る出会い系バーの雰囲気は、案外明るくてホッとした。とはいえ新参者は目立つのか、頭の先から爪先まで値踏みするような視線が突き刺さる。  その視線から逃げるようにして、隅っこのボックス席に座った。バーテンによってすぐに用意されたビールのグラス半分を一気飲みする。  緊張はいささかほぐれた気がするが、急に取り込んだアルコールで眩暈がした。やはり馬鹿なことをしているかもしれない。でも、この第一歩を踏み出さないと永遠に機会を逃すかもしれない。  そんなことをグラグラする頭で考えていると、頭上から甘ったるい声をかけられた。 「え……?」  見上げるそこには、明らかにアルファであろう甘いマスクの男が立っていた。声は少し高めだが、その容姿は祥二より幾分か男臭い。 「ごめんね、急に声かけたから驚かせたかな」 「えっ! い、いや!」 「今夜はひとり? よかったらここ、座っていいかな」  あまりの見目の良さに思わず見惚れていると、男にくすりと笑われた。 「あっ、ど、どうぞ! ひとりです!」  てっきり対面に座ると思っていた相手は、まさかの隣に腰を下ろした。驚いてビクッとした俺に男は苦笑するも、更に互いの距離を詰めてくる。美形な男が俺の顔を覗き込んだ。 「初めまして、ボクはトキヤ。君の名前も聞いていいかな?」 「あ、はじめまして! えっと、俺は……」  名前!? 名前……本名? いやいやいや、本名ヤバくね!? え、でもマナー? え?   頭の中でグルグルとしていると男、トキヤが口元を覆いながら声を出して笑った。 「ニックネームでいいんだよ、いきなり本名は危ないからね」 「あ、あざす。……シン……です」 「うん、シンくんね」  可愛い名前、とニッコリしたまま更に近づいて来たトキヤが耳元で囁いた。 ───キミ、とてもいい匂いだね  俺の鼻に、微かに甘い香りが届いた。  目を覚ますと見知らぬ天井が目に入った。どうやら自分はベッドの上に寝かされているらしい。  頭がかち割れそうなほど痛んで、起きあがろうにも起き上がれない。そう思った時漸く異変に気付いた。手が、動かない。 「あ……?」  痛みでモヤのかかった意識の中で見てみると自分の腕は上がっていて、頭上で固定されているようだった。 「え、なに……? なんだ、これ!」  やはり手はしっかりと縛られていて動かそうにもどうにもならない。まだ足は縛られていなかったが、どうしてか下半身は下着一枚になっていた。  上半身は肌着として着ていたTシャツのみ。上に着ていたパーカーは脱がされている。 「なになになに、どうなってる!?」  意識がしっかりしてくると、今度はこの異様な状況に頭がパニックになる。ジタバタともがいていると、いつか聞いた声が耳に入ってきた。 「あれ、もう起きちゃった?」 「あ! アンタ!!」  ベッドの上に縛られた俺に姿を見せたのは、出会い系バーで出会ったアルファの男トキヤだった。 「これなんだよ! どういうつもりだ!」 「いやぁ、あんまり君の匂いが好みでさ」 「はぁ!?」  バーでの出来事を思い返してみる。確かこの男が声をかけて来て、前に座ると思えば隣に座ってきて。  そこから「いい匂いだ」と何度も言われながら過度なスキンシップを受けていると恥ずかしくなって、俺は思わず一度トイレに立ったのだ。そうして少し時間をおいて落ち着いてから席に戻ると、そこには新しく作られた綺麗なオレンジ色のカクテルが用意されていた。 「アンタまさか、あのカクテルに!」 「まあ、常套手段だよね」  何を堂々とそんなこと言ってんだ。そう言おうとして、失敗した。トキヤが俺の体に乗り上げてきたからだ。 「なっ、なに、なにすんっ」 「ん〜おかしいな、まだヒート起こさない? ボクからもかなり発情フェロモン出てると思うんだけどなぁ。目隠しでもして煽ってみようか?」 「は!?」  トキヤにされるがまま、俺は縛られたまま何かの布で目隠しをされた。 「やめろっ、やめろよ!」 「まあまあ、気持ちよくしてあげるから大人しくしてよ。オメガなんだからわかるでしょ? アルファとのセックス、最高だよ? でも変だね〜、服脱がせたら急に君のフェロモン薄くなったね」  そりゃそうだ、俺のはフェロモンじゃなくてフェロモン香水なんだから。しかも肌じゃなくて服にかけてきたから、当然脱げば匂いも薄くなる。 「やめろ!」  抵抗し叫びながら、でも少し考える。本当にやめさせるのか? そもそも俺はこのために香水を買ったんじゃないのか? こうしてオメガとして、アルファに犯されたかったんじゃなかったのか?  ベータである俺ですら、微かにトキヤのフェロモンの熱気を感じた。心臓が早鐘を打つ。 「へぇ、なかなか綺麗な肌してるね」  素肌に冷たい空気が直接触れるのを感じて、Tシャツを捲り上げられたのだと分かった。曝け出されたであろう胸元に、生暖かい何かが滑った。 「ひぁあっ!」  ゾワゾワッ。  感じたのは、紛れもなく嫌悪だった。トキヤの舌が容赦なく胸の粒を舐め上げ、手が太ももをいやらしく滑ったその流れで尻までいって、そのあわいを指で撫で上げた。  まるで、ここに自分を受け入れろと言わんばかりに。 「ヤダぁあーッ!」  あんなにも求めていたシチュエーションなのに。 「やめろっ、やめて! ヤダァ!!」  夢にまでみたことが現実になっているのに。 「ぃやだやめてくれっ、」  あんなにも、あんなにも焦がれて……。 「しょぉじぃぃ、ひっ、たすったすけてぇぇ」  ほんと、新一は馬鹿だよなぁ。そう言って眉を下げて苦笑する祥二が暗闇の中に浮かぶ。もう、耐えられなかった。  ボロボロ、ボロボロと目に涙が湧き上がっては溢れて布に染みる。馬鹿なことをした。本当に馬鹿なことをした。 「ヒッ、ひ……祥二ぃ」  オメガだろうがなんだろうが、犯されて嬉しい人間なんていない。あれはフィクションだから萌えるのであって、現実でやればただのレイプ、犯罪だ。  それでもフェロモンを感じたら何か違うのだと思っていたけど、どうしたって俺はベータでトキヤのフェロモンも感じないし、触れられても快楽よりも嫌悪が上回ってそれどころじゃない。 「うっ、ひっ、」 「……馬鹿なことしたって思ってる?」 「おもっ、思ってるぅ」 「犯されることは怖いことなんだって、ちゃんと分かった?」  痛いほどに痛感した。俺はどうやったってベータで、普通の男で、普通に愛されたいのだと。 「わがっだぁ、うぇっ、もうわがっだがらぁ! もっ、もっ、やめてぇ!」  そう叫んだ俺に、仕方ないなぁ……って。いつもの祥二の苦笑が聞こえた。そう、祥二の。 「え……」 「懲りましたか、お馬鹿さん?」  ぐしょぐしょに濡れた目隠しを外されたその先には、やはり声の持ち主である祥二がいた。 「え、なんっ、なんで」 「もう大丈夫だから落ち着いて」  祥二は優しい笑みを浮かべながら、縛られていた俺の腕を解いてくれた。 「手首、ちょっと痕がついちゃってるね」  来るのが遅くなってごめんね、なんて謝るから。 「うわ、どうしたの新一」  俺は再び込み上げた涙を垂れ流して祥二に抱きついた。 「ごめっ、ごめんなさっ! うぇっ、ごめっなさっ」 「馬鹿だね、新一は」  いつもの台詞を、いつもみたいに困った顔で言って笑う。 「祥二ぃぃ!」  更に強く祥二に抱きついた。途端香る、すっきりと爽快で、しかしどこか微かに甘い匂い。 「あっ、あれ、しょうじ……」 「ん?」 「なんか、良い匂いが」  抱きついていた俺を少しだけ引き剥がすと、サラサラの髪を流して俺の顔を覗き込んだ。 「新一、今日変なものつけたでしょう」  言われて少しだけポカンとするが、すぐに思い当たる。 「あっ!」  そうか俺、オメガのフェロモン香水つけてたんだった!  どこへ行ってしまったか分からないが、先程までここにいたトキヤもこの香水で発情していると言っていた。ということは、同じアルファである祥二に効果が出てもおかしくない。 「ごめん! 祥二ごめん! 俺っ、」  そこまで言って、気付いた時には唇は柔らかいもので塞がれていた。 「ンむっ!? んんっ、あふっ、んう!」  ただ重なっただけのものは、あっと言う間に隙間を割り開き深くまで入ってきた。口の中からぐちゅぐちゅと信じられない音が鳴る。 「ン〜!? んっ、ンンッ!」  口に気を取られていたら、先程舐めらた胸の飾りをつねられた。その瞬間、背筋にゾクゾクと何かが走る。でもそれは、トキヤにされたものとは大きく異なった。  あれほど泣き叫ぶほどに嫌悪を感じたはずの場所を、親友である祥二に触れられても嫌悪を感じるどころか快感が突き抜けた。 「ちょ、なんで」 「ごめんね、あてられちゃった。責任、取って欲しいな」  ゴリ、と硬いものを太ももに押し付けられて思わず赤面した。 「え、えっ!? しょっ、んむっ!」  再び重なった唇に、今度は完全に意識を持っていかれた。なんで親友ととか、そもそも祥二が何でここにいるのかとか、大体あのトキヤという男はどこにいったのか、とか。  考えなければいけないことはたくさんあったのに、まるで俺を愛おしく思っているかのように祥二に触れられて、俺は。  鼻腔に届いた爽やかで微かに甘い香り。  これが祥二のアルファフェロモンなのかと、知れた喜びを感じつつ。今までの自分が感じてきた祥二の、ただの人としての香りの方が好みだな、なんて。  体の奥深くを暴かれる快楽の渦に巻き込まれながら、頭の片隅で考えていた。

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