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7◆針ヶ谷スズハ

 楽屋が好きだ。  うるさくて、みんな好き勝手喋ってて、なんかちょっとぴりぴりしてて、変な匂いするし意味わかんないものいっぱいあるし壁は落書きばっかで汚いけど、あたしは楽屋が好きだ。  ていうかライブが好きだし、ライブハウスが好きだし、歌うことが好きだしギターが好きだしお客さんが好きだし、だから今日のあたしはめっちゃくちゃテンション高くって超! 超元気だぜひゅー! って感じなんだけど。 「……いや、丹サン水飲みすぎじゃね?」  あたしの相方は完全にその真逆みたいだ。  楽屋入りした昼間から、気が付くとペットボトルの水に口をつけている。ていうか他の動作をほぼしない。  たしかに丹サンはメイク必要ないだしろうし、ヘアセットも必要ないだろうけど、そんな事言ったら今日のイベントに出演するバンドはみんなインディーズどころか学生のコピーバンドみたいな輩が多くて、プロのメイクに頼んでいる人なんかほとんどいない。あたしだってさっき自力で顔作った。  今日も黒いTシャツと細いジーンズの丹サンは、メイクもセットもいらないし予習復習なんて必要ないだろうし、手持無沙汰なんだろうけどさー。  いや水飲みすぎだって。  と思って実力行使でペットボトルをていやっと奪い取ると、なんか悲しい顔で『あっ……』って小さく叫んでた。  丹サンは自分のこと無表情で無愛想だって信じてそうだけど、んなわきゃない。二個上のあたしの相棒は、表情豊かで楽しくて面白い。 「ちょ、針……返して……なんか掴んでないと落ちつかねーんだって……」 「水じゃないもん掴んどけよーバンドマンっぽくギターとかさー」 「だめ、ネックが汗で湿る」 「うっそだろぉ~丹サン別にステージ初めてじゃねーだろぉ~なんでだよぉ~」  あたしは丹サンとしかステージ上がったことないし、今日だってまだ三回目のライブだ。  丹サンはあたしと組む前にも、バンド活動をしていた。  丹サンは昔の話したがらないけど、あたしは丹サンがどんな曲を演奏していたか知っている。何を隠そう、あたしと丹サンの出会い(っつーか一方的にあたしがファンになった)は、丹サンのバンドの解散ライブだったからだ。  碓氷丹夏は、吐きそうな顔しながら憂鬱で耳に残る最強なメロディーをぶっこんできた。  三日三晩耳から取れなくて、ライブイベントの主催に聞いて、丹サンの元バンドのボーカルに無理矢理頼み込んで、あの音を作ったのは上手で吐きそうな顔してたギタリストだと知った。  ラッキーじゃん! って思った。だって丹サンはその時もうフリーで、次のバンドも決まってなくて、もうこりゃ口説くしかねえじゃん! って状況だったから。  チョトツモーシン、って言葉、あたしは好きだから悪口だなんて思ってないよ。好きなだけ言っていい。あたしはチョトツモーシンな二十歳で、押して押して押しまくって丹サンっていう最強の相棒を手に入れた。  丹サンが押しに弱くて良かった~と思う。あと押しまくる女を初見でシャットアウトしない広い心の持ち主で良かったよ、ほんと。あたしのことが駄目な人って、だいたい『針は見た目かわいいのにびっくりするくらいウザい』って言うからさ。  でもちょっとくらいは、あたしの歌とかギターとかに魅力感じてくれて、うーんコイツならいっかなーと思ってくれてたらいいなーとは思う。ちょっとね。そんなにうまくないの知ってるけど、あたしは丹サンに追いつきたいし、この先も相棒でいたいから。  ただ、憧れの相棒はどうも、本番前が駄目らしい。 「なんでだろうなぁーステージ出たらわりとそれなりにバンドマンっぽい挙動すんのになぁー丹サン……」 「音楽が耳に入ってくるとなんか、他のこと忘れんだよ……」 「ぶっ飛び系かぁ。バンドマンに多いよな~。余計なこと考えすぎなんじゃねーの? てか他人を気にしすぎっしょーみんな丹サンのことなんかそんな気にしてねーよ?」 「……自意識過剰って言われたことはある……」 「あーあーちげーの! ちげーし! そういう意味じゃねーし!」  いやこのおにーちゃん面倒くせーなうける。面倒くさくて面白くて楽しくなってきちまって、うっはーと笑ってたらデバンデスヨーって呼ばれた。  ほらほらギター抱えてさ、行くよ丹サン、あたしたちの出番だ。 「あー無理……針、ちょっと、水……」 「だめだーっつの。ステージの上でトイレ行きたいって言われたらあたし困んだーっつの。丹サンがいないとドラムの打ち込みもわかんないしギターもなくなっちゃうじゃん! あたしまだベースそんなうまくないし! 歌詞もうろ覚えだし!」 「いや歌詞は全部覚えとけよ。針がメインボーカルじゃんかよ」 「メインボーカルはあたしと丹サンだよ。二人で歌おうっつったじゃん」 「それは、まあ、そうだけどさ。でも俺は新曲、針の声前提で作ったから。やっぱ今日のメインは針だよ」 「…………ん?」 「……なに」 「え。いや、だって、それ初耳だったし」 「…………言わなかったっけか?」  聞いてねーし馬鹿。そういうの先に言えよ馬鹿。そうしたらステージ裏で割と尊敬してるバンドマンに『おまえの声イメージして新曲作ったから』なんてすげーこと言われてぎゃーってなる事もなかったよ。 「だだだだだって丹サン、今回の曲、好きなモンをテーマに書いたって言ってたから、丹サンが歌いたい曲なのかなって……」 「あー……いや、なんか出来上がったらテンションが針だった。それに俺の曲、昔っから女っぽいって言われてたし、男には高いキーだし、針の声にガッとハマるんだよ。……言わなかったかもしんないけど、俺、押されまくったせいで仕方なくバンド組んでるわけじゃねーからな。おまえの声が――」 「ストーーーップダメダメ、ぎゃーってなるじゃん! ぎゃー!」 「もうなってんじゃん」  ふは、と笑う丹サンは、なんか急に肩の力が抜けたみたいでうおおおイケメン(ただし丹サンはあたしの相方であってそういうアレじゃない)って感じだ。  ひとしきり笑って、あわあわして、ぎゃーってして、そのあと二人でせーので深呼吸して、よっしゃいくぜってハイタッチしてステージに出た。  先月から始めたばっかのベースはまだ重い。ギターもそんなにうまくないあたしが、ベースやりながら歌うのは結構キツイけど、丹サンのギターは諦めたくないから仕方ないやるしかない!  もっと練習しなきゃ。もっと頑張んなきゃ。でも、練習も反省もまずはステージの後だ。  ガーっとライトが当たって一瞬目がくらむ。照明のせいでステージの上はちょっとだけあったかい。これから歌えば、もっともっと熱くなる。  小さなライブハウスは半分くらいしか埋まってない。それでも、無名のバンドばっかのイベントだし、上々だ。  前の方にはこの前見に来てくれたおにーさんと彼女さん。女子高生のグループと、ライブハウスの常連っぽいおっさんたち。後ろの方はドリンクもってぼけーって見てる同業っぽい人たちと、青い髪のおにーさんが壁にもたれている。見た事あるなーなんて顔は少ない。あたしたちにはまだ、ファンなんか数えるほどもいない。  これからだ。これから頑張るんだ、丹サンと。二人で声をからして歌うんだ。  ぞくぞくするような興奮の中、見回したフロアはぎゅうぎゅうじゃなかったけど、あたしのテンションを上げるには十分だった。 「こんちはー! あ、こんばんはか! まあいいや、今日は来てくれてありがとう! 何かのついででも大歓迎です、とりあえず楽しく聞いてもらえたらうれしいなって思います! 時間勿体ないからガンガン歌っていきます!」  あたしの適当な口上の後、丹サンはギターの音をかきならす。耳がびりびりする。心臓がぞくそくする。  さあ新曲だ! 正直持ち曲なんかほとんどないから、全部が新曲みたいなもんだけど、正真正銘今日が初お披露目のポップでキュートで最高に可愛い、『丹サンこれどんな顔で作ったの?』って感じの自慢の新曲だ! 「よっしゃじゃあ聞いてください! 『宇宙人、レモン味』!」  タイトル可愛いかよ。いみわかんねーし。でも可愛いし楽しいしすっげーいい曲だから、はやく歌いたい。はやく音にしたい。はやく聞いてほしくて、あたしの身体はばかみたいに跳ねそうだった。  針ヶ谷スズハと碓氷丹夏、異色のツインギターボーカルユニット『炭酸と針』のド定番曲を初めてお披露目した日。  この日、小さなライブハウスの壁際に寄り掛かった宇宙人が、にこにこしながらうちらの音楽を美味しく食べていたことなんか、勿論あたしは知るはずもなかった。 終

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