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6◆碓氷丹夏

「おはようございますタンゲさーん、台風の夜を無事生き延び今日を迎えたことに感謝とともに、個人的にワタシはアナタに伝えたいこの想い、マブルーク!」  なんだか妙なテンションのインド人にどんっ、と出された皿の上には、ケチャップのせチーズトーストが鎮座していた。なんか上に、ハーブみたいな葉っぱも乗っている。よくわからないがスペシャル感は伝わってくる。  檸檬屋敷の朝食は基本的に、『各々都度適当に』法式だ。  珈琲だけはイシャンさんがたっぷり作ってくれるから、後は適当にパンをトースターに突っ込む生活なのだけれど、今日は全員が食堂に揃っていた。  台風後の片づけという名目の、掃除作業をこなすためだ。何より先にベニヤ板をはがさないと、光がまったく入ってこない。  全員、といってもまあ、四人なんだけど。  にこにこしているわりに、なんだか疲れた目をしているイシャンさん。  俺の隣で、口数少なく珈琲啜ってるトクイチさん(ただしトクイチさんは朝に弱いから、午前中にエンカウントした時は大体こんなテンションだ)。  それと、全然寝れなかったから心底だるいけどいまだに夢気分の俺と、珍しいどころか初めて台所に立っている槙枝さん。  檸檬屋敷の、見慣れたいつものメンバーだ。  いつも通りじゃないのは、妙に活発的な槙枝さんと浮かれ切った俺だけだと思っていたのに、なんだかイシャンさんのテンションもおかしい。  つかマブルークって何? 新しい挨拶か何かか? ていうかよく見たらチーズトーストの上のケチャップ、文字みたいにぐねぐねしている。 「え、何、なんでそんなテンション高いんすか……こわ……。このケチャップ……呪いの文字……?」 「マブルーク、お祝いの言葉ですよ!」 「……インドの言葉?」 「いえ、アラビア語です」  なんで。と思った疑問を口にせずとも、イシャンさんはつらつらと言葉を連ねる。  いつも思うけれど、トクイチさんとは別のテンションで煩い人だ。 「ワタシ、文字の方は得意じゃないですし、日本語は繋がってないからケチャップで描くのはハードル高くてですねぇ。適当に画数少なそうなアラビア語でササっと祝福の気持ちを表現いたしました、マブルーク!」 「つーか……なんで俺、朝から祝われてんです?」 「えーだってアナタ、ついに番認定していただいたんでしょ?」  ごふ、とコーヒーを思いっきり噴き出してしまった。  トクイチさんの『うっわぁ』というガチテンション低めの声が、割と本気で心に痛い。珈琲、トクイチさんのパンにかかったかもしれない。申し訳ない。  つかなんでバレてんだ!? と思ったがよくよく考えたら槙枝さんの部屋には監視カメラついてるじゃんって今更気づいて、顔面蒼白どころか今すぐ走って階段を駆け上がり自室の押し入れに引きこもりたい気持ちになった。  忘れていた。忘れちゃいけないんだけど、忘れていた。  槙枝さんは宇宙人で、いやそれはもう結構ちゃんと理解しているけど本人が宇宙人だからどうとかじゃなくて、槙枝さんは宇宙人だから、有事に備えてイシャンさん含めそういう組織に毎日毎秒きっちりとすべて観察されているんだった。  ………………昨日俺、何したっけ。  テンション上がりすぎて、しかも槙枝さんがあんまり嫌がらないから、なんかこう、結構好き勝手触りまくった気がする。勿論、あー……性的な感じの接触はしてないけど。さすがにそこまで浮かれてない、いや、なかったと思いたい。  バクバクする心臓をなだめながらチラッと目の前のインド人を窺えば、容赦なくニッコリとした笑顔が返ってくる。  おなかいたい。帰りたい。いや、帰るとこないし、帰るとこって言って浮かんでくるのは、檸檬屋敷なんだけどさ。 「ふふふふふ、そんなそんなー怯えないでくださいよー昨晩はワタシも自室にいませんでしたし、逐一すべて観察していたわけではないですからね。まあ録画されてますし逐一すべて地球のどこかにいる我が社の人間が観察していますけれど」 「…………内臓口から出そう……」 「わぁスプラッタ。ホラーは苦手ではありませんが血がどばーっとする奴は一人では見たくないですねぇ。大丈夫ですって、本社は超絶祝福ムードですからー。我々は諸手を上げてミスター・ウスイを歓迎し、全身全霊で応援しております」  再度『なんで?』と思ったが、次に口を開いたのはやっと目が開いてきたらしいトクイチさんだった。 「あー……ついに餌から、期待の生贄にランクアップしちまったかぁー……」 「……えさ……?」 「おや、自分たちが餌であった自覚はおありで?」 「そら音を食うイキモノの間近に人間置いとくのは、音を立ててほしいからだろうがよ」  言われてみればその通りだ。  なんとなくこの屋敷、虫篭っぽいなぁとは思っていたけれど、俺達は本当に餌だったのか……うーん、いや、ショックではない。本当だ。  ただ、生贄という言葉には首を傾げてしまう。 「あの、餌はまぁ、わかるんですけど。生贄って何すか?」 「生贄だろうがよー。いまのところ無害だっつっても、槙枝は人間じゃねーんだし、人間襲いませんよーなんつー意思表示だって嘘か本当かオレたちにはわっかんねーわけだし」 「はぁ。まあ、……宇宙人ですからね」 「そ、宇宙人だから、わっかんねーの、槙枝のことなんか誰もわかんねえ。その宇宙人にお気に入りの玩具ができたっつーんなら、それ与えときゃとりあえず今すぐ地球滅ぼします人類死ねーなんてことにゃならんだろ、って話だな」 「玩具って、あー……俺か……」 「イエス、おまえ。碓氷丹夏二十二歳、この夏宇宙人の玩具つまり生贄になるの巻」  なるほど確かに。  今までだって槙枝さんは人類に対して無害だったし、きっとこれからも無害なんだろうと誰もが思っているから、日本でこんなに自由に暮らしているのだろう。でも、保険はいくらかけておいてもいいはずだ。少なくとも、イシャンさんの会社の人はそう思っているに違いない。  そっかー、俺は槙枝さんの餌で、そんでお気に入りの玩具に昇格かー。と思ったら、なんかこう、嬉しくなってきてしまった。  そんな俺をじとーっと眺めたトクイチさんは、何故か楽しそうに笑う。この人の笑い方は、カラッとしていて気持ちいい。 「おまえ、へこまねーのなぁ。餌とか玩具とか言われたら、嫌な気ぃしねーの?」 「え。なんで? 別に、なんてーか、むしろ嬉しいです。だって地球の人間のえーと六十億……?」 「現在の総人口は約七十八億人ですねー」 「あざす。その七十八億人の中から、唯一俺が選ばれたんなら普通に嬉しいし、つか結構マジでガチ片思いしてたんで外野がどーこー言ってても、槙枝さんの言葉の方が強いっす」 「おっまえアレだなぁ……妙なところでテンパるし小心者なのに、一回吹っ切れると急に格好よくなっちゃうのなぁ……」 「いや、格好よくは、その、ない、――」 「丹夏くんはかっこいいよー」  です。と最後まで言わせてもらえなかった俺は、唐突に乱入してきたまったりとした低い声にびくっとしてしまった。  ほら、全然格好よくない。俺はいつだって小心者だ。でも、槙枝さんがかっこいいって言ってくれたから、今日はハッピーだと思う。小心者かつお調子者だ。  手に持った小さなフライパンを鍋敷きの上に置き、菜箸をスプーンに持ち替えた槙枝さんは、さて、と笑うと『丹夏くんお口あけてー』と言う。  今日は戸惑うことばかりだ。なんで、とか、なにが、とかばっかり湧いて出てくるから、なんだか疑問に思うことも面倒になって素直に口を開いてしまった。  フライパンの中身は、スクランブルエッグっぽい。 「熱いかなぁ、大丈夫かなぁ六十度くらいだし。はい、あーん」 「…………ん、ん?」 「どう? たべられる? おれは味見してもわかんないから、イシャンが作った料理の成分数値を参考に再現したんだけど」 「ん……食べられます、けど、なんかレモンの味します……」 「えええ……予想外ー。おれってなんでもかんでもレモンにしちゃう体質なの……?」 「いや、そんなことより槙枝さん、なんで急に料理なんかしてんですか」  槙枝さんは自室から出ない。それは出たくないわけじゃなくて、基本的に他の場所に用事がないからだ。  食べ物を摂取したり、排泄したりしない。汗もかかない。人形が動いてるようなものだと思ってくれていいよ、と笑う彼は、台所にもトイレにも風呂にも用事がない。  それなのになんでスクランブルエッグ作ってんだろう。  そんでなんで俺は絵に描いた新婚夫婦みたいに、あーんなんつって古典的な食わせ方をさせられてんだろう、いや嬉しいけど。  レモン味の卵料理で若干冷静になり、もぐもぐしながら疑問をぶつける。  うーんと唸った宇宙人は、特別照れた様子もなく、いつもどおりのとろりとした笑顔で首を傾げた。 「あのさぁ、ほら、おれはきみの歌をよくねだって食べさせてもらってるじゃない? きみからもらうばかりでよくない、って思ったんだよねぇ。おればっかり餌付けされちゃっててさ。……おれも、きみを餌付けしたい」 「……………………ぐ、ぅ」 「……丹夏くん? だいじょうぶ? え、吐きそう? レモン味のスクランブルエッグ、やっぱり不味かった?」  いや今のは槙枝さんが悪いでしょうどう考えても……。  少し温くなった珈琲でつまりかけた卵を流し込むと、槙枝さんが背中をさすってくれる。槙枝さんはいつもふんわりと優しかったけれど、昨日から急に、やたらと俺に構うようなそぶりを見せた。  好きっていうの本当なんだなーって一々意識しちゃって、逐一にやにやしそうになる。咽そうになるからやめてほしい、なんてのは照れ隠しの建前だ。もっと俺に甘くなってほしい。だって俺は、槙枝さんを独り占めしたいからだ。  きみのうたはおれだけに歌ってほしい。  そんな我儘を真面目な顔で吐き出した宇宙人の可愛さを、俺は昨日から何度も思い出してはにやついている。  感情なんてないはずの宇宙人の独占欲。そんな特別すぎるものに、見合う価値が俺にあるのか、わからないけれど。 「……んだよ。結構ちゃんとカップルじゃねーか。朝っぱらからいちゃつきやがってこんちくしょう、おっさんには刺激がつえーわー」  手を合わせて席を立ったトクイチさんは、裏庭先に出てんぞーと手を振った。 「あああ、ちょっと! トクイチさん! 待って待って、待ってください手ぶらで何しようってんですか! アナタこの前も素手でトンカンしてベニヤの棘にやられて悲しい顔で消毒液を求めてきたじゃないですかー! 人類には軍手という素晴らしい発明品が……タンゲさん、あの人なんで人の話聞かないんです!?」 「トクイチさんだから仕方ないっす」 「もう! 彼はアナタに甘いし、アナタは彼に甘いです! 檸檬屋敷だなんて詐称ですよぅ、砂糖かハチミツがぶっこまれてるに違いないです」 「……そういやなんでこの建物、檸檬屋敷なんて呼んでるんですか? 槙枝さんがレモン育ててるから……じゃない、ですよね」  確か昨日槙枝さんは、檸檬屋敷の名にちなんでレモンを育てた、と言っていた。すっかり宇宙人の趣味からとった名前だと思っていたから、建物の名前が先にあったことに少しだけ驚いた。  さくさくと食器を片付け始めるイシャンさんは、面倒がらずに俺の疑問にきちんと答えてくれる。  なんならこの人だって、俺に十分甘いと思う。 「この建物はですねぇ、まあワタシがとてもとても頑張って宇宙人の隠れ家として目星をつけたわけですが、元々は寮だったわけですよ。掠れて読めなくなる寸前だった表札には『枸櫞舎』という大層なお名前がついておりました」 「くえんしゃ」 「はいそうです、クエン酸のクエンですね。まあ、でっかく言うとレモンのことですよ。というわけでそのまま面倒くさいのでレモンハウスと呼んでいる、というただそれだけの簡単なお話です」 「……割と単純な理由だったんですね」 「何事もそんなもんですよ。難しい理由をあれこれとひねり出したところで、誰が得をするんだって話です。タンゲさんの例の面接の話じゃないですけどねぇ、好きなものにも嫌いなものにも、他人が納得するような大層な理由なんかいりませんよ。好き、以上、説明終了。……アナタだってそうでしょう?」  にっこりと笑ったイシャンさんは、どうぞお二人はごゆっくり、あとその卵サンプルでちょっと取っておいてくださいあとで本社に送るんで、と言ってからトクイチさんの後を追いかけていった。  食堂に残されたのは、スプーンを持った宇宙人と、レモン味の卵料理を咀嚼する俺だけだ。  好きなものを三つ。嫌いなものを三つ。理由をつけてあげるとしたら。  嫌いなものは山ほどある。ぐねぐねした虫。遠くで鳴る雷の音。ティッシュ配りの人の視線。知らない人との相席。理由は『嫌いだから』でいいらしい。  好きなものは、パッと思い浮かばない人生だったけれど。理由なんてなくていいなら三つ、今ならすぐに数えることができる。  音楽と、俺に甘い年上の友人と、そしてレモン味の宇宙人だ。 「みんな行っちゃったねぇ。丹夏くんも行っちゃう?」 「……いや、俺は飯全部食ってから行きます。なんかサンプルとっとけとか言われたし」 「そっか。じゃあもっかいあーんってしていい? なんだかこれ、楽しいね。うきうきするってこういう感じなのかな」 「うきうきしてもらうのは、その、可愛いんですけど、槙枝さん立ったままってのもちょっと、俺が気を遣うっていうか絵面がよくないっつーか」 「あ、そうか。人間は座ってごはん食べるんだもんね。おれも座った方がいいか。じゃあちょっと失礼してー」 「…………………いや、あの、槙枝さん、その、」  なんでこの人俺の膝の上に座ったの……。  大人たちがいなくて良かった。本当に良かった。末代までとは言わずとも、来週末くらいまでは毎日にやにや揶揄われそうだ。嬉しいけど。可愛いけど。  二人きりの生活じゃないんだし、槙枝さんは地球人とか日本人の感覚とか習慣とか基本的にそこまでちゃんと把握してないんだし、舞い上がりすぎないように気を付けようって肝に銘じた。 「え、なにかおかしかった? おれの体重軽すぎる? もうちょっと重くする?」 「体重ってそんなライトに変えられるんすね……」 「宇宙人だからねー」  うはは、と笑った槙枝さんは、なんだか心底楽しそうに見える。  本当に楽しかったらいいな。槙枝さんが、嬉しくて楽しくて笑えるような毎日だったら、いいなと思う。そういう感情全般、彼は持っていないという事実には都合よく蓋をして、今目の前で笑顔を作る人の温かい手を握った。 「丹夏くん、またあったかくなってるね」 「槙枝さんのこと好きだなぁって思うたびにぐわーって体温あがるんです」 「……そういうところ、人間って不便だし大変だけど、可愛いよねーおれも真似しようかなぁ」  好きなものを好きな理由なんて、『好きだから』で十分だ。  それはとても心強くて格好よくて、素晴らしい考えだった。

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