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後悔と喪失

そして3年後、オーベリウスは後悔の中にいた。 マーカスは覚えが早く、授業の内容はもちろん分からないところをオーベリウスがどんなにゆっくり教えてもすぐ身につけてしまう。 オーベリウスのようになりたいと治癒の勉強もしており焦りが募った。治癒の魔術を使うには人体の構造を知る解剖学や医学の知識もないといけないと、半ば勉強を妨げるよう参考書を山のように与えれば恐るべき速度で読破した。 さらりと流し読みしているだけに見えて、本質を理解するスピードが尋常ではないのだとオーベリウスは悟った。 命に関わることだからもっと隅々まで読むよう勧めたり、自分で考えてごらんと突き放すも、すぐ自分で答えを見つけてくる。オーベリウスが思いもよらなかった独自の見解も披露してくることもあった。 大学を卒業する頃には、マーカスは一流魔術師の仲間入りをしていた。 オーベリウスは年々焦りが募った。これでは自分に追いつかれてしまう、宮廷魔術師への道が閉ざされてしまう、と。 マーカスはそんな思惑など知らぬように、オーベリウスを先生と呼び慕っていた。あまつさえ、先生は丁寧に教えてくれるだのとても優しいだのと周りに吹聴する。 挙げ句の果てにはオーベリウスの自宅兼研究室である貸家にも頻繁に足を運び、身の回りの世話を焼く始末だ。 これに関してはオーベリウスにも責がある。マーカスを追い出すために、あれこれ用事を言いつけ続けた結果がこれだ。 オーベリウスは一日のすべてを資金稼ぎのための薬作りや診療、研究に充てている。自分のことで精一杯なのに、マーカスには自分の勉強をしつつも他人を気にかける余裕があるのかと妬ましく思う。 実際に、マーカスの書く論文は頻繁に学会で発表、引用され、彼の描く魔術式や陣は学術的価値が高く芸術的に美しかった。 宮廷魔術師も夢ではないだろうと言う声も高まってくる。オーベリウスは同業者に優秀な弟子を持って羨ましいと言われるたびに、気がおかしくなりそうだった。 オーベリウスの心を折るきっかけとなったうちの一つが、母親の死であった。 その日は今にも雪が降りそうなほど空気が張り詰め冷え込んでいた。 早朝に電報が届き、母親が危篤であることを知ったオーベリウスは街の郊外の療養所へ馬車を飛ばした。冷たい風に斬りつけられながら、オーベリウスは生命力を呼び起こす術式や、体力を回復させる術式を頭の中で組み立てていた。 療養所に着き廊下を早足で突き進む。しかし部屋に通され、息をするのもやっとな母親を見ると構築した術式はすべて消し飛んだ。 駆け寄り手を握り母を呼ぶ。ようやく医師としての目が働き始めたが、もう何もできることはないと、手に入れた知識は告げていた。 残されたのは祈りだけであった。 そして、"魔法の言葉"。それを、恐る恐る唱えた。あの幼き日のように。 微かに、痩せ細った指が光った気がした。 ハッと顔を上げると、母親はオーベリウスを見て微笑んだ。彼と同じ紫の瞳で。そして、ゆっくりと目は閉じられていき、もう二度と開くことはなかった。 オーベリウスはその日から喪失感の中で日々を過ごした。事務的な手続きを淡々とこなし、母親の身辺整理が終わった後はいつも通り薬の調合や診察、研究の日々だ。 マーカスは葬儀の日以来、めっきり姿を見せなくなった。先生、先生、と屈託なく笑いながらまとわりついてきた弟子が煩わしかったが、今はそれが少し恋しい。 音のない夜は恐ろしい。何者かが嗤っている。 とうとう母親を救うことが出来なかったと。そんな者が宮廷魔術師などになれるはずがないと、一晩中耳元で囁き続けるのだ。 自分でかけた呪いが、毎夜悪夢となってオーベリウスを苛んだ。 まだか、これほど智に全てを捧げても、まだ足りぬと言うのか。何が魔術師だ、治癒の魔術式だ、馬鹿馬鹿しい。私が費やしてきた労力や時間は一体なんだったのか。 怨嗟の声が、自身を呪う声が、聞き取れないほど反響しあって正気を殺しにかかる。 「先生、」 その刹那、柔らかな声がすべてを祓った。嗤い声も囁きも一瞬で消え失せる。気がつけば朝日が窓から溢れ、ドアの前に立つマーカスを照らしていた。光の中で微笑むマーカスは天使のようであった。 「おはようございます」 寝台から起き上がったばかりのオーベリウスは、自身がまだ寝巻き姿なのを思い出した。ガウンを上から羽織り、"先生"としての顔とともに纏う。 「どうしたんだい、こんな朝早くから」 「うれしくて、一番に、先生にお知らせしたくて」 マーカスの目にうっすらと水の膜が張る。紫の目が輝いている。手には、王室の紋章が刻まれた封蝋付きの手紙を持っていた。 オーベリウスは冷水を頭から浴びたような心地であった。その場に凍りつくオーベリウスに、マーカスは喜びに満ちた声音を弾ませる。 「ぼく、宮廷魔術師になる試験を受けられることになったんです」

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