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キャンディの世界 #4
そうしてブレッドが案内した先は、ひとつのオーナメントの前だった。
『この中に天使ちゃんが逃げ込んでいったの見たよ』
「……中?」
見上げたのは雪雄の背丈の三倍以上あるキャンディの杖を模したオーナメントだ。横幅も家の玄関扉の倍くらいはあるだろう。
紅白の飴細工がねじれて絡み合い、上部は弓なりに弧を描いたクリスマスお馴染みの形状をしている。
『じゃあ入ろ入ろー』
「いや入るってなんだよ」
『そのまま飛び込めばいいんだよ~。ぶつかったりしないし案外するっと入れるから安心して』
「魔法学校に向かうどこぞの駅かよ」
「ユキ、もう色々諦めた方がいいと思うぞ」
「俺もそう思い始めてきた……」
「怖いなら手でも繋ぐか?」
「いらねえ。実年齢を思い出してくれ」
「……」
黙って五指をわきわき開閉させる一星はさておき、子供二人(とクッキー一個)はキャンディの杖に向かって綿を蹴った。
真っ直ぐ伸びる杖の棒部分にぶち当たったかと思いきや衝撃はなく、むしろ全身が吸い寄せられていく。
風を切る音に、白銀の視界。甘い香りがふわりと鼻腔に触れるのと同時に、四つの小さなスニーカーが地に降り立った。
「って、なんだここ」
見えるのは一面の綿――ではなく、羊の群れだ。
雪の降り積もった白銀の世界に、たっぷり蓄えた毛玉の塊がひしめいていた。
おそらく牧場の一角だろうが羊舎は見当たらず、羊は放牧状態らしい。遠目にはアルプス山脈を思わせる山々が聳え立ち、山頂から山腹にかけて粉砂糖をふりかけたように雪を被っている。
二人が降り立ったのは高原で放し飼いにされた羊の群れのど真ん中のようだった。
これだけ雪が積もっているにも関わらず、不思議と肌寒さを感じない。加えてどういう訳か甘い香りがそこら中に漂っている。
そういやキャンディの杖って羊飼いの杖を表してるんだっけか。
もういちいち突っ込むのは疲れるので止めることにした。
「なあユキ」
「ん……ってうぎゃーッ! 何やってんだアンタ!」
突っ込むのを止めた矢先、突っ込まざるを得ない状況に後退る。
こともあろうか一星は子羊を抱え込んでその毛玉をむしり取っては、口いっぱいに頬張っていた。
んめぇ~~、と気の抜ける声で鳴く子羊は対した抵抗もなく呑気に身を任せている。
『ユッキー大丈夫だよー』
「よく見ろ。これは綿菓子だ」
「へっ」
言われて近くで観察してみると、確かにふわもこ毛玉からは甘い香りが漂っている。
よく見れば体毛以外も簡単な作りで、全てチョコレートでできているようだ。
つぶらな――というかもはやマーブルチョコレートを貼りつけただけの黒い目が不思議そうに雪雄を見つめてくる。
「いや、だからって食うなよ! かわいそうに、食ったケツの部分が禿げて中の丸々としたホワイトチョコ見えてんだろ!」
『嫌がってないから大丈夫だと思うけどね~』
「丸々と言うより、これはむしろツルツルでは」
そんな感じで三者三様にやりあっていると、子羊は一星の腕からぴょんと跳んで逃げ出した。
降り積もった雪原に仰向けでひっくり返ったかと思ったら、尻の部分を重点的にこすりつけ始める。次に子羊が立ち上がった時には、剥げていた部分が元のふわふわボディに戻っていた。
「雪まで綿飴なのかよ」
「この調子だと目に見えるところ全部、菓子でできているみたいだ。適当に食ってたら糖尿病必至だな。うん、ここら辺でやめておくか」
「アンタなんか面白がってない!?」
真面目な顔をしてご機嫌そうな一星は放っておき、雪雄は天使を探し始めた。
だが見渡す限り、羊、羊、羊――。羊という生物にゲシュタルト崩壊を起こしそうで、くらりとする。
こんなだだっ広い雪原で空を飛び回る天使を捕まえなければならないのか。そう頭を抱えた時だった。
『あそこ!』
一星の胸ポケットから乗り出すようにブレッドが示した方向を見ると――いた。
毎年飽きるほど見た美女が、一頭の羊の毛玉を布団にして寝転んでいる。
体は陶器製ではなく人間のような素肌になっているが、あのボリュームたっぷりの金髪に背中で折り畳んだ純白の翼は見間違えようがない。
「ユキ、二手に別れて回り込もう」
「分かった。ブレッド、声だすなよ」
『おくち、チャックだね』
件の羊は二人の位置から少し遠かった。
じりじりと左右の逃げ道を塞ぐように、互いの目線で合図をしながら近づいていく。
天使はまだ起きない。
音を出さないよう、羊たちの間を縫うように進んでいく。一星のいる方は羊の数が多く、このまま行けば雪雄が先に辿りつきそうだ。
ぺろりと唇を舐めて狙いを定める。視界の端に映る一星が一瞬、妙な動きをしたが何かに躓きかけたのかもしれない。
とうとう後二歩というところまで来た。
もう少し、もう少し。
後一歩。
両の指先が、そっと天使の細身に触れ――る寸前、横からの衝撃で吹っ飛んだ。
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