「でも、そのたびにこの光景が頭にチラつくんだ。綺麗で、眩しくて、憎たらしくて、絶対に手に入らないのは分かっているのに。一度でも過ちを犯せば、もう思い出すことすら忘れてしまう気がして……だからいつもギリギリの所で踏みとどまれた。まさか、またこの目で見られるなんて……」 　一片たりとも見逃すまいと、まっすぐ前を向く黒い瞳は新たな涙に濡れていた。 　スノードーム越しに浴びるクリスマスツリーの光が、夜闇のような瞳に星明りを灯していく。 　その金色の光を見て、ああ好きだなと純粋に思った。そしてこの男を好きになった自分を褒めてやりたいと思う。 　だからもう、大丈夫だろう。 　父の顔は忘れてしまっても、またクリスマスになればあの頃の気持ちに会えるのだから。 　皮膚に伝わる一星の手の感触に、口の端がゆるみだす。 「手に入ったんじゃないか？」 　そう言ってやると、夜空の瞳がやっと雪雄を視界に入れた。 　歯を見せて満面の笑顔を浮かべる雪雄は、溢れんばかりの光に包まれていた。一星が父子を初めて見た、あの頃のように。 「ああ……」 　半ば泣き笑いで頷いた一星の目元を、握っている方と反対の手で拭ってやる。涙の雫が一滴落ちて、胸ポケットにいたブレッドの頭を濡らした。 　目の合った雪雄に、アイシングの目と口がにっこり笑みを浮かべる。 「さてはずっと起きていたな」 『バレちゃった』 　笑顔に満たされた二人と一個の目の前に、ひとつの影が舞い降りた。 　靡かせる金の長髪に、一対の翼、ほっそりとした手足。 「天使……」 『ふふ。毎年毎年、辛気臭い顔でこっちを見上げてくるんだから溜まったもんじゃないわよね。思い出してくれた？　あなたのクリスマスが大好きだった時の気持ち』 「悔しいけどな。でも、どうやって分かったんだ？　ツリーの上から見てただけじゃ子供の頃、俺が好きだったものまでは把握できないだろ」 『……陶器製でも、わたしは天使だもの。あなたのことも何だってお見通しよ』 　純白の羽をはためかせた美女は腰に手をあて、仕方なさそうにそう笑う。 　正直、ツリーの中に入れられてからこの天使には言いたい文句が山ほどあった。けれど今言いたいことは決まっている。 「ありがとう。お陰で大事なことを思い出せた」 「俺からも礼を言う。いいものを見せて貰った。最高のクリスマスだ」 『ふふ……もう大丈夫そうね』 　二人とも上向きに両手を出して足場を作って頂戴、と言われて雪雄と一星が指示されたように従う。 　降りる前に、天使はブレッドに顔を向けた。 『ブレッド、この二人と過ごしてどうだった？』 『すっごくたのしかった！　ユッキーもイッセーも、ぼくのお手てを食べてくれたんだよ。すごいでしょ』 『良かったわね。本当に……本当に、良かった』 『うん。でもお別れなんだよね』 　そう言うとブレッドが一星の胸ポケットを飛び出した。ててて、と一星の腕の上を渡り、上向きの手のひらに向かってぴょんと着地する。 『二人とも。いっしょに遊べてぼく、嬉しかったよ』 「ブレッド」 『ぼくね、ほんとは誰にも食べて貰えなかったクッキーなの。でももうまんぞく。二人とも、ありがとう！』 　だから食べるかとやたら聞いてきたのかと苦笑いする。 「クッキーの幽霊ってか？」 『うーん。そんなかんじ？』 「疑問形だなあ」 　雪雄と一星は頷き合うと、笑みを浮かべて小さな友人に別れを告げる。 「ありがとうなブレッド。お前の案内でここまで来られた」 「ああ、ブレッドがいなかったら俺たちはまだツリーの下の方だ」 『へへ。どういたしまして～』 　ブレッドが手の欠けた腕でカリカリ頭をかくと、天使が近くまで降りてきた。頃合いのようだ。 「じゃあなブレッド」 「お前に会えて良かった」 『ばいばい二人とも』 　小枝のように細い足が、ふわりと手のひらについた。 『もうツリーの下で変な顔しないでよね。クリスマスは笑顔が一番なんだから。それからツリーの葉っぱは引っ張らないでよ』 『じゃあね～！　ユッキー、最後のぼくも食べてくれてありがとう～！』 　最後のぼくも？ 　ブレッドの言葉を頭で噛み砕く前に、シャン！と鈴の音が鳴った。 「……さて、身体の方はどうかね」 『まだ疲れはありますが、なんとか』 　止まった時間の中、ツリーの下の二人を見下ろした天使が、眠気眼で力なく笑う。 　光の粒を放ちながらツリーの頂上近くで宙に浮いたサンタクロースもまた笑顔を浮かべている。が、その豊かな白髪の眉毛は少々下がり気味だった。 「ずいぶん無茶したようじゃの」 『そうですね。途中で何度も力尽きてしまいました。ヒイラギの所まで持たなかったのが悔やまれます。お孫さんたちにもご迷惑をおかけしてしまいました』 「ホッホッホ。気にするでない。あの子らが丁度ウチのキャビンでパーティーを開いておったからの。ワシはちょいと世界を繋げただけじゃ。むしろニックとリジィは喜んでおったぞ。アメリカ仕込みのダンスを魔法つきで人間に披露できたとな」 『素晴らしいパフォーマンスでした。あの子もなんだかんだ楽しんで踊っていましたし。幼稚園の頃お遊戯会でも、しかめっ面しながら真面目に踊っていたのを思い出しましたよ。お孫さんたちにお礼をお伝え頂けませんか』 　私からは伺えそうもありませんので、と付け加えるとサンタは快く了承した。 「彼には伝えなくて良かったのかね？」 『ふふ。死んだと思ったら、こんな可愛い陶器の付喪神になっていただなんて、あの子に言えませんよ。まあずいぶん多くの人に愛された像ですから、世界をいくつか作り出せるくらい神力があったのはありがたかったです』 　それももう終わりですけどね、とおかしそうに微笑む天使の足先は、ピシピシと音を立てながら陶器に変わっていく。