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彼の思うところ

 近くの駐車場に車を止め、タキと共に甘味処の看板が出ている店に入った。和モダンな店内は、甘くほろ苦い香りが立ち込めていて、ざわついていた伊織の心を落ち着かせてくれた。  緑と深い赤が基調の壁に、テーブル席を区切るのは大きな|簾《すだれ》。奥の方には小さく座敷の空間が仕切られている。柊一郎がよく来るようで、彼がいればその一角を貸切るようだが、伊織とタキの二人ではそうもいかない。  柊一郎の運転手としてタキは店の人と面識があり、一般人丸出しの伊織が彼の一歩前にいることに訝しんだようだが深追いはせず、座敷に近いテーブルへと案内してくれた。店側の好意に伊織は小さく頭を下げる。  壁側に立てかけられていたメニュー表を広げ、タキが伊織の方へ押し出す。 「好きなもの頼んでください。さっきの失敗の謝罪分として」 「……春人さんから、お小遣い貰いました?」 「俺の金ですよ!」  兄貴たちに似てきましたね……と、タキを揶揄する伊織をジトっと見つめた。  思い通りの反応を返す彼が可笑しくて、くすくすと肩を震わせながら、伊織は片手を振ってみせる。 「自分で払うからいいよ。気にしないで」 「いえ、若に顔向けできませんから。……なので、このことは秘密にしてください」  両手を合わせて南無と拝むタキに、そういうことならばと伊織は頷いた。  春人に会った際、変わった出来事はなかったかと確認されるのをタキも知っているので、その時に今日の失敗の話はしないでほしいということなのだろう。それであれば、大人しく買収されるのも悪い話ではない。  彼の提案に乗っかり、伊織はメニューに視線を落とす。  数種類の団子に、あんみつ、ぜんざい、みつ豆、わらび餅など通常の和菓子もあれば、パフェやクレープ、パンケーキなんかも置いてある。目移りしてしまいそうなほどに並んだ美味しそうな甘味の数々に、伊織は顎に軽く曲げた指を置いてじっくりと考え込んでしまう。  反対側では、タキも同じように真剣な表情でメニューを睨んでいた。普段の仕事のときより必死そうだと言ったら怒るだろうか。  またしても、からかいを口にしそうになった伊織は、口を引き結んで目だけで笑う。  それからしばらく、伊織は抹茶のアイスクリームが入った白玉あんみつ、タキはグラスが半分ほどになっている少し小さめの抹茶パフェを注文。  その後ウェイトレスが運んでくれたパフェを見て、伊織は目を丸くする。全長二十センチはあろうかというほどで、半分でこの大きさなら通常のサイズはどれくらいなのか。注文した張本人のタキはといえば、変わりない表情で「いただきます」と手を合わせたので知っていたのだろう。  呆気にとられた伊織は、手を雑に合わせただけで食べ始めてしまう。 「それ食べても、夕飯は食べれるの?」  おやつにしては遅めの時間。帰れば夕飯の支度か、買い物かで別れて準備をする予定だ。気分を悪くしたりしないだろうかと心配したが、タキは浅く首を傾けてアイスクリームとホイップクリームを崩す。 「全然問題ないです。むしろ、伊織さん足りなくないのかなーって俺が思ってるくらいですよ」 「俺も充分だよ。……ありがとう」 「……いいえ?」  何に対してのありがとうなのかよくわからずも、タキはぺこりと頭を下げた。  冷たいアイスクリームは優しい甘さが口の中に広がっていくのに、本格的な抹茶の苦みが舌先を刺激していく。それと同時に先程の佐伯とのやり取りが思い出されるのだ。  けれど、タキと話していればその思い出に捕らわれずに済んでいた。  寄り道に誘った伊織の方が暗い顔をしていることに気が付いていたタキは、手は止めることなく、なんてことないように言う。 「俺、伊織さんみたいに普通の生活したことないんですよ」  ガシャリとコーンフレークとアイスクリームを混ぜながら、タキは遠くを見る目つきでグラスの中を眺めている。 「父さんはヤク中で、俺を守る母さんにキツく当たってたんです。言葉じゃ生易しいけど、伊織さんなら殴る蹴るの怖さをよくご存じだと思いますが」 「……うん」  今でも、あの画面越しの光景は忘れていない。忘れられない。  懺悔する悲痛な声も、男たちの怒鳴る大声も。  寒さの為ではない震えが体中を走った。  タキの苦笑が小さく聞こえる。 「アイツらよりか酷くはなかったですけどね。それでも、普通の家族は俺にとってはそれだったんです。父さんに歯向かうように俺はグレ始めて、母さんは学生のときに死んで、家にいる意味なんてないなーって思って高校も行かずにフラフラしてたら、サツに捕まりそうになって」  制服を着ていなくとも、見た目で気がつかれてしまったのだろう。平日の昼間から堂々と道を歩くタキを、警察が補導しようとしたときに現れたのが柊一郎だった。  伊織と出会ったときと同じく一人で、自分の孫が面倒かけたと頭を下げてタキを引っ張っていったと言う。初めは驚いたタキも、警察から守ってくれるならと大人しく話を合わせて切り抜け、家と学校への通報を免れた。  それから、行く場所がないなら組にいればいいという柊一郎の言葉の元、タキの今に至る。  懐かしむ表情はあたたかく、実の家族の話をしているかのように、はにかんでいた。タキにとっては紛れもなく時崎組のみんなが家族なのだろう。  わざわざ嫌な思い出を蒸し返すこともないだろうと、伊織は彼の両親について深く問い詰めるのはやめておいた。せっかくの美味しいものも、味がしなくなってしまう。それは悲しい。  重苦しくなってしまった空気を晴らすかの如く、タキが少しばかり調子を取り戻した声で続ける。 「でも、ご友人を守りたい気持ちだったり、巻き込みたくない気持ちはよくわかります。俺も、母さんに対しては感じてたことなんで……」  カチャリ、と伊織の持つスプーンが器に当たって音を立てた。 「相手を守りたいなら、伊織さんの思うように動いて大丈夫だと思いますよ。自分が痛かろうが、苦しかろうが、つらかろうが、相手の為を思うのであれば己の中の最善を尽くした方がいいです」 「俺の、最善」  そう言って俯いてしまった伊織を前にして、タキは慌てて背筋を伸ばす。 「そんな難しく考えないで下さい! 素のままの、いつもどぉーりの伊織さんでいればいいんです! 俺なんかより、人の気持ちを汲むのはずっと上手だと思うので」  笑い、柔らかくふやけてしまったコーンフレークを掬って口へ運ぶタキ。  彼には自分がどんなふうに見えているのだろうかと、恐れ多くなる。なんの特徴もない普通の大学生だったのだ。今は時崎組で世話になってはいるが、周りの人間を巻き込ませないようにするには、遠ざけることしか考えられない。上手いことなど、できはしない。  元々、親しい友人の数も多い方ではなかったので、伊織自ら距離を置いても追いかけてくるような物好きは、そういない。佐伯が珍しい部類に入るくらいで、逆に言えば彼以外にはいないだろう。  物珍しさに寄ってくる人も居るにはいたけれど。  真っ黒の車にスモークが張られていれば、車種は何であれ気になるのは当たり前でもあるが……。  止まっていた手を動かして、伊織は器の中身をスプーンで弄る。  溶けだしたアイスクリームが鮮やかに中身を緑に染め上げていく。  友人を遠ざけるのは仕方のないことなのだ。やりたくてやっているわけではない。自分と同じような目に合わせるわけにも、巻き込ませるわけにもいかない。これは相手を守るためなのだ。  伊織は、そう思うことにした。  ぱくりと一口。  冷たいスプーンが舌先に当たる。

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