1 / 53

第1話 袖振りの縁

 闇の中、いきなり左手を握られた。  同時にすとん、と誰かの頭が左肩に落ちてくる。  刹那、森宮碧(もりみやみどり)は映画館のシートに預けていた身体を強張らせた。  我に返ってみると、上映から一時間を過ぎた頃だった。碧がスクリーンに釘付けだった視線を引き剥がし、見ず知らずの左隣りを静かに顧みると、粗相をやらかした男性は起きる素振りもなく、すうすうと寝息を立てていた。  足元には重そうな鞄。髪は短く刈り上げられており、香水の類は付けていない。グレーのサマースーツを着た、碧と同年代ぐらいの青年だということが、明滅するスクリーンの明かりの反射でわかった。  館内で映画を鑑賞中の男性客の、寝落ちの瞬間に巻き込まれたのだと理解した碧は、試しに重ねられた手を、ゆっくり上へ向けてみた。  すると、目覚めるどころか、ぎゅ、と指を交差させる形で握られてしまう。 (っ……)  骨格から、碧よりも大柄な人物だと推定できたが、まるで赤子のような反応だった。 (相当、疲れているのかな……?)  薄暗い中でもわかるほど、やつれている頬の影。碧がレイトショーでリバイバル上映中の、この映画を観るのは今夜で三度目だ。スクリーン上で次に何が起こるのか把握済みだった碧は、心地よく眠り続ける青年に苦笑を漏らした。 (終わるまで、寝かせておくか)  この大音量の中、居眠りできるぐらいだ。さぞ心地よい夢を見ているのかもしれない。たとえば、この映画のような。  たまには赤の他人に親切にするのも悪い気はしないし、考えてもみなかったハプニングへの自分の反応が、可笑しくもあった。  秋に二十七歳を迎えようとしている碧は、少しばかり「お人好し」と称される気質の人間だった。

ともだちにシェアしよう!