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第7話 背中の痕 其の一
唾液に含まれる神気が濃くなったのか、森の木々にも似た神気の香りが鼻腔を掠めれば、それだけで背筋をぞくりとしたものが駆け上がる。
同時に。
再び、ぐうるりと。
そしてどくりと、蠢く腹の奥。
直接、神気を取り込んだわけではない。ただ舐められただけだというのに、最奥の残滓が神気に反応して、身体が熱くなる。
「……知ってる……よ」
この切なくも感じる熱さに、灼かれ続けたいと思ってしまう。
「でもね……とっても痛そうだから……」
だから治したい。
背中にくっきりと付いた八本の引っ掻き傷。下へいくほど、皮膚が抉 れたようになってしまった傷を、治したかった。
竜紅人 の唇が、耳元から離れる。
欲の孕む伽羅色が、とても近い。
ふっ、と息を吐くように、彼が笑う。
熱い吐息が唇にかかるほどの近いところで、紡がれる言葉。
「この傷は痛みを感じる度に、お前を思い出すから……堪んねぇんだけどなぁ」
「──……っ!」
「言い出したら聞かないもんな、お前は」
いつの間にか顔に手を添えられて、重なる唇。
「……んっ」
深く深く合わさりながら、やがて口腔内に、甘水 のような唾液が送られてくる。
それは今までのどれよりも、濃厚な神気を含んだ唾液だった。
きゅう、と腹の奥が反応して締め付けられる。香彩 は無意識の内に、臍部の下辺りを押さえた。
卑猥な水音を立てて唇が離れる。
口の端から含み切れなかったものが、顎から首筋に伝うが、香彩は構うことなく、与えられた甘いものを飲み込まないように気を付ける。
竜紅人が背中を向けた。
目の前に現れた、生々しい八本の引っ掻き傷に、どきりとする。
使いすぎてふるりと揺れる、内股の震えに耐えながら香彩は、竜紅人の背中の前に座った。
おずおずと、背中に触れる。
ぴくりと竜紅人が動いた気がした。
丁度、肩甲骨の辺りだろうか。
与えられた神気を含んだ唾液を、塗り付けるようにして、香彩は引っ掻き傷の一本を、ゆっくりと舐め上げた。
舌に残る真竜の血液の味は、人形 を執っているからだろうか。人と同じような味がした。
ただ違うのは。
「──……っ、はぁ……っ」
真竜の体液には、催淫の効果があることだ。
それは血液も同様だった。
幸いにも引っ掻き傷の一本は、綺麗に消えていた。だが神気を取り込んだことで、最奥に潜む竜紅人の熱が反応して、腹の奥は畝 るような動きが増すようだった。
腹の蠢 きの所為なのだろうか。
どぷ、と音を立てて、後孔から熱が溢れ出してくる。
その音すら、竜紅人は聞こえているのかもしれない。考えるだけで恥ずかしくて、身体は嫌でも熱くなる。
(……これを……あと、七回……)
言い出したのは自分だ。
痛そうな引っ掻き傷を、治したいと思ったのも本当だ。
だが果たして、全ての傷を治し終えた後に、自分がどんな風になっているのか、全く想像が付かなかった。先程の交わりの途中を、あまり覚えていないことが悔やまれる。
竜紅人が何かを聞いていた。それに対して自分が何を口走ったのか、本当に記憶にない。
それほどまでに、乱れてしまったのだ。
(……竜紅人に、すごく迷惑をかけてしまうかもしれない)
傷を治したいと言い出したのは、自分だと言うのに。
湯殿に一緒に入る為に、背中の引っ掻き傷を治していたけれども、やはり運んで貰うだけにしようと香彩は思った。
湯殿で色々と洗い流して、自身を慰め鎮めれば治まるはずだ。
本人を目の前にして、快楽のあまりに縋って、何を口走ってしまうか分からない。もう一度求めてしまうかもしれない。
香彩は小さく息を付いて、引っ掻き傷に少し掛かっている竜紅人の伽羅色の髪を、手でそっとよける。
少し湿っているような気がした。
あれっと香彩が口に出せば、竜紅人が納得したように、ああと呟いた。
「さっきな少し、水を浴びた」
「水? どうして?」
「……ちょっとな。まぁ、無駄だったけど」
「?」
香彩がきょとんとした表情を浮かべる。
自分の身体を拭く為の湯を取りに行った時に、どうして水を浴びる必要があったのか、分からなかったのだ。汗を流すにしろ、身体を清めるにしろ、湯殿があるのなら、湯に浸かった方が気持ち良いだろうにと、香彩は心の中でそう思う。
そんな心情が香彩の表情にでも、現れていたのだろうか。竜紅人は面白そうに、くつくつ笑いながら背中越しに振り返り、香彩の頭を撫でる。
「──熱を鎮めるには、手っ取り早いだろう?」
「熱って……──!」
そう言葉にした途端、竜紅人の言っている意味が分かってしまって、香彩は再び顔に朱を走らせた。
熱の意味も、無駄だと言った意味も。
何故なら面白そうに笑う彼の、細めた伽羅色の目の奥は先程から、ぎら、と揺れているのだ。
劣情の熱に。
(……ああ、やっぱり)
足りなかったのかと香彩は思った。満足出来てなかったのだと心内で思いながら、香彩は竜紅人の伽羅色を見つめていた。
水を浴びなければいけない程、熱を持て余していたのだと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「……か~さい」
香彩の表情と声の内にある翳りを見破られたのか、竜紅人は小さくため息を付いた。
軽く額を指で弾かれて、痛いと香彩が呻く。
「ま~た変な風に考えてるだろう、お前」
「だって……」
「だってじゃねぇよ」
そう言いながら竜紅人が、香彩の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「……お前に無理をさせたくないんだ。これからはずっと共にいられるんだから、ゆっくり行こうって──……まあ、さっきまではそう、思ってたんだけどなぁ」
「……えっ……?」
「言っただろう? 無駄だったって」
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