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第34話 春冬の長雨 其の二

 身の内の奥深い所に感じる、自身の甚大な神気の無力さを、これでもかと痛感していたところだった。紫雨(むらさめ)のその言葉は、知らず知らずの内に、沈んでいた(りょう)の心を救い上げる。  優しいのだ、紫雨は。  あまり表に出すことはないが、ふとした瞬間に感じるその優しさと愛情を、一身に受けて育った香彩(かさい)は、少しひねくれているがとても素直だ。  その素直な心を、話を聞くことで少しでも救えるのならと、療は思う。 「……何故か香彩、オイラには素直なんだよねぇ」 「お前には懐いているからな。羨ましい限りだ」  紫雨が療に向かって男くさい笑みを見せる。その姿に真っ直ぐな瞳で、自分を見て笑う香彩の姿を、何故かいま思い出した。 (……やっぱり似てるんだなぁ)  普段あまり感じることはないが、ふとした仕草や雰囲気、そしてその瞳がやはり似ていると。  改めてしみじみと思う。  そして唐突に療は、理解する。  自分が誰を通して、誰を見ていたのか。 「──紫雨。竜ちゃんと香彩は、蒼竜屋敷だよ。気配がそちらの方向にある。落ち着いて話をするのなら、そこしかないと思うから」  全ての感情に蓋をして、療は紫雨に告げる。  激情興奮冷め止らぬ竜紅人(りゅこうと)が、竜形のまま飛び込むとすれば、まさに最適の場所だ。 「どうやら『落ち着いて話をする』だけでは、済まなかったようだがな」 「……そりゃあ、ねぇ……」  だからね紫雨、と療は話をしながら部屋の中に必ずあるはずの、ある物を探し始める。  あ、と療が声を上げた。  それは桜香(おうか)の衣着をしまう為の衣装櫃(いしょうひつ)だ。中を開ければ、綺羅びやかな装飾の施された衣着が目に入る。  療はその中からなるべく地味めの生地のものを、何着か取り出して綺麗に畳み始めた。  同じく衣装櫃(いしょうひつ)の中で見つけた大きめの膝掛けを、風呂敷代わりにして衣着を包む。 「今から行くんなら、これ持っていって紫雨。必要なかったら捨ててもいいし。多分必要だと思うけど」 「……なんだこれは」 「女物だけど体型華奢な方だし、多分大丈夫だと思うんだ。城に取りに帰るよりは早くていいかなって思って」 「だから……なんだこれは」 「え、何って……──香彩の着替え」    はい、と療は綺麗に包んだ衣着を、紫雨の前に突き出した。反射的に受け取る紫雨の顔には、珍しく戸惑いの表情が見て取れる。 「だって……嫉妬に駆られて竜形のまま、香彩掴んで飛んでいっちゃったんだよ。竜形ってより本能に近いっていうか、忠実になるし。興奮冷め止らぬ竜ちゃんが、わざわざ人形に戻って、ご丁寧に服、脱がしてるわけないじゃない。きっと爪でもう着れないくらい、びりっびりにしてると思うよオイラ」 「──……一層のこと奴を沈めるか」 「うーん、ぼそっと怖いこと言ってる~。身近で犯罪者は出てほしくないかなーオイラは」  そう言って療は深いため息をついた。 「けどきっとそういった竜ちゃんからくれるもの、結局全部許しちゃってるの香彩だから、もうどうしようもないよねぇ」 「……」   竜紅人と心を通わせる前から、悩みながら泣きながらも、竜紅人のすることを受け入れていた香彩だ。想いが通じ合った今、果たしてどこまで『竜紅人のすること』を受け入れいるのか、想像に難くない。  あまりよくない傾向なのかもしれないが、度が過ぎれば想い人でもあり、育て親でもある竜紅人本人が、少しずつ抑制していくだろう。  そこに友人はおろか、親ですら入る隙間などない。  入りたくもないけどと、療が心の中で毒付く。そう思っているのに気付けばきっと、渦中のふたり直々に、隙間に放り込まれるのだろう。  療は再び深く嘆息した。 「それじゃオイラ、楼主と紅麗の(とう)に挨拶してから城に戻るし、それよろしく……あ! あと竜ちゃんにこれも伝えて欲しいんだ。──罰は中枢楼閣四神の門をくぐった時点で発動するって」 「罰?」 「うん。桜香を生み出した罰。真竜の中では禁忌の類いだからね。他の真竜の手前、けじめを付ける感じで一定期間、人形を封じるって竜ちゃんに言っておいて紫雨」 「そんな大事なことを、ついでのように俺から伝えても大丈夫なのか?」 「竜ちゃんも桜香を生み出した時点で、何らかの覚悟はしてたと思うから大丈夫だよ。それに今回オイラ竜ちゃんのこと、言葉で縛っちゃったし、その残韻がまだあるかもしれないから。お互いに嫌な思いはしたくないしね」  だから今しばらくは竜紅人に会いたくないのだ、と療は言う。  特に竜形は隷属本能に忠実になる。自分の言葉ひとつで傀儡になる竜紅人など、療は見たくなかった。 「……竜紅人は分かっているだろう。言葉で縛った必要性を」 「うん……だけどオイラ友人でいたいからさ。線引きは大事なんだよ」    療の言葉に、何とも言えない表情を紫雨は浮かべる。それに応えるように療は、にっこりと微笑んだのだ。  

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