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第57話 湯船 其の一

 ちゃぷん、と。  水音が聞こえて、香彩(かさい)はゆっくりと瞳を開けた。  見覚えがあるような、もしくはないような、そんな景色をぼぉうとした頭で見つめる。  白くてまろい空間が目の前に広がっていた。 (これは……霧? それとも……)  その向こうには、神桜が誇らしげに綺麗な薄紫色の花を咲かせている。  また自我の中の別の世界にでも『呼ばれた』のだろうか。  気付けば神桜の樹の下にいた、桜香(おうか)達の姿がない。 (……泣いてた……桜香)  彼女は涙を流しながらも、必死に何かを話していた。だがあの白い世界は、聞かせたくないのだとばかりに、彼女の声を遮断した。  彼女達に近付きたくても、自分の領域だというのに壁があって、どうすることも出来なかった。  あの世界は、どちらかと言えば抽象的だ。明確な答えを示してくれるわけではないことは、経験から香彩はよく分かっていた。だからあの世界で見たことを糸口に、自分で答えを探し出さなければならない。  それが夢床(ゆめどの)であり、縛魔師(ばくまし)の夢なのだと教えてくれたのは、師であり父である紫雨(むらさめ)だった。 (……きっと全てが関係してる)   桜香が泣いた理由も。  彼女に寄り添う、少女と男の姿を執った真竜も。  その場所へ香彩を導いた銀狐(ぎんこ)も。  あの透明な壁も。 (──それにあの世界で思い出した、あの噂も)  竜紅人(りゅこうと)の想い人の噂によって、自分の中から掻き消されていたものが、白い世界に思い出せとばかりに記憶を見せ付けられたのだ。  未だに信じられずに、まさかと香彩は思う。  成人の儀の『力』の継承方法に。 (……竜紅人は、多分知ってる)   あの噂が本当なのかどうか。 (全部、どんな風に関係しているのか、全く分からないけれど……いま、できることは)  真実を知ることだ。  真実を知って、自分の心がどうなってしまうのか、分からない。だが何も関係のない竜紅人を、巻き込むわけにはいかないと思う気持ちもあった。  夢床(ゆめどの)に降りて良かったと香彩は思う。  銀狐(ぎんこ)に助けられたが、あの思考の深みという名の泥濘(ぬかるみ)に、ほんの少しだけ感情を置いて来れたようで、不思議ともう心の悲鳴は聞こえて来なかった。  再び、ちゃぷんとした水音が聞こえる。  そういえば本当にここはどこなんだろうと、ぼぉうとした心地のまま香彩は思った。  何だか身体全体がすごく温かくて気持ち良くて、そして軽い。  感じるままに、ほぉうと息を付けば、背後からくすくすと笑い声が聞こえて、香彩の意識は、はっきりとしてくる。 「……目が覚めたか?」 「……──えっ、りゅ、ここ……!」  思わず手を激しく動かしてしまって、ばしゃばしゃと大きな水音がした。  そんな香彩を落ち着かせようと、背中から胸の前で交差するように優しく抱き締める、逞しい腕があった。 「……そんなに慌てるな。湯殿だ。覚えてないか? ほら最後……お前の顔に掛けただろう?」  何を、と未だにぼぉうとする頭で、そんなことを思った香彩だったが、次第に思い出されていく情事に、顔を赤らめる。  熱を吐き出しては掻き出されてを繰り返していたのは、初めの何度かだけだった。次第に胎内(なか)から竜紅人の雄が抜かれないまま、熱を最奥で受け止める。雄が栓の役割も果たしたのか、外へ溢れ出す熱はほんの少しで、ほとんどが胎内(なか)に留まった。  熱くて苦しくて堪らないのに、欲しがったのがいけなかったのか。  僅かに腹が膨らむほど、胎内(なか)に幾度も出されて、もう駄目だと、苦しいから胎内(なか)に出さないでほしいと泣きながら懇願すれば、激しい律動の後、竜紅人の選んだ果てる場所は、香彩の顔と唇だった。  濃厚な森の香りがして、やがて唇から滴り落ちる白濁とした熱をこくりと飲む。神気の塊であるそれに、身体が灼かれそうだと思った刹那。最後まで味わえとばかりに、雄の先端が口の中に入ってきた。唇と舌を使って軽く吸えば、滴り落ちてきたものよりも、より濃厚な神気の塊が口腔内を満たす。身体はそれを欲しがっていたのか。咄嗟に飲んでしまえば身体はより灼かれ、余韻で香彩もまた熱を吐き出した。  覚えているのは、そこまでだった。  そのあとどうしたのか、香彩は全く思い出すことが出来なかった。  悦楽で朦朧とした意識の断片で、あのまま口淫に移り、喉奥を突かれたような気がしたが、終わる頃にはもう意識を失っていたのだろう。 「……お前の髪にまで飛んでいたし、それにお互いに結構体液でぐちゃぐちゃだったからなぁ。拭くよりは手っ取り早いと思って、湯殿(ここ)へ連れてきた。髪も身体もちゃんと洗ったから心配すんな」  そう言うと竜紅人が、にっと笑う。  この状況に似合わず、爽やかな笑顔を見せる竜紅人に、香彩は唖然として彼を見た。  ん? と優しく聞き返す竜紅人と、先程まで自分の身体を責め立てていた竜紅人が、あまりにも違い過ぎて、香彩は少し戸惑いながらも納得する。  あれだけ一緒にいたというのに、まだまだ知らない顔があるのだと。 (……だって隠れ遊びと、かくしごとは)  昔から竜紅人の方が、上手だったのだ。  自分の知らない一面がある、知らない顔があること事態が当たり前なのだと、香彩は思った。香彩が幼い頃から共にいた竜紅人だったが、深く付き合うのは初めてであり、これからが始まりなのだ。

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