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第120話 発情 其の二

 (りょう)の言葉に香彩(かさい)は、ようやく自身の身体の変化の意味を知った。森の木々のような香りだった竜紅人(りゅこうと)の神気が、甘い濃厚な芳香を放つ春花のような香りへと変わった。その匂いを嗅いだ途端に、身体の一番奥にある蕾が解れ、蜜が溢れ出すような気配がしたのだ。 「発情期の情交で、雄竜は新たな真竜の『元』となる『核』を、熱と共に御手付(みてつ)きの身体の奥に吐き出す。『核』が宿れば浄化された『(こん)の光』が引き寄せられて、『核』と『(こん)の光』が混ざることによって、その身に新たな真竜が宿るんだ」  香彩(かさい)は半ば無意識の内に、自身の薄い腹に触れながら、まさかと思った。  (りょう)の『中』から飛び出した、ふたつの『(こん)の光』は、迷うことなく真っ直ぐに香彩(かさい)に向かってきた。その腹に入り込もうとしていた。光玉に僅かだが腹に触れられただけで、力が抜けた。  その、意味は。 「……竜ちゃんが紫雨(むらさめ)に対する嫉妬で、発情期に似た状態だったってさっき言ったよね。本来なら発情期にならないと出来ない『核』の放出を、竜ちゃん、無意識の内に嫉妬のままに、今の蜜月期の間に放出しちゃったんだ。香彩(かさい)胎内(なか)に」 「……」 「憶測だけど、多分みっつ。『核』に『(こん)の光』が引き寄せられることを、『(えにし)が繋がる』って言うんだけど……縁の繋がった真竜がもう、いる」  香彩(かさい)は蒼竜から視線を外し、(りょう)を見る。  (りょう)もまた香彩(かさい)を見た。  何とも言い難い複雑な感情を乗せ、揺れる紫闇の瞳と、直向きなまでのその毅い視線に捕らえられて、香彩(かさい)は息を呑む。  これ以上もう何を言うのだろう。  そんな気持ちが湧いて出た。 「えに……し……?」  縁の繋がった真竜がいる。それは将来、その真竜達をこの身に宿すということだ。 「うん、縁。縁の繋がった真竜は桜香(おうか)と、雨神(あまがみ)のあの様子を見る限り……」  壌竜(じょうりゅう)と紅竜。 「──!」 「初めは桜香(おうか)だけだったんだけどね。いつの間に増えたのかなぁ『核』」  すでに考えることを放置し始めた頭の中は、色んな感情が渦を巻いては消えていく。  あの時、竜紅人(りゅこうと)が話そうとしていたのはこのことだったのだという思いと同時に、いつか自分が真竜を、竜紅人(りゅこうと)の仔を孕むのだという事実を聞かされて、心の中に戸惑いが生まれる。やがてふつふつと湧いたのは怒りだった。どうしてもっとこんな大事なことを、早く話してくれなかったのかという怒りだった。  だが今こうやって怒りの感情を顕にしても仕方がないのだ。怒りをぶつける対象は、今は言葉が届かないのだと(りょう)に言われたばかりだ。  縛魔師の修学で、真竜の生態はある程度は知っているつもりだった。  彼らは遥か(いにしえ)に、原因は分からないが絶滅の危機に瀕する程、個体数を減らしたことがある。彼らは個体を増やす為に、自ら身体を作り変えた。雄竜と雌竜という性的分類はあるが、どちらも子種を宿し孕めるという竜体へ。そして異種であっても仔を成すことができる竜体へと。  学んだ当初は、まさか我が身に振り掛けることだと思ってもみなかった為か、記憶の隅に引っ掛かる程度にしか覚えていなかった。  竜紅人(りゅこうと)御手付(みてつ)きとなり、身体を繋げていれば、いずれはそうなるのだと、考えなければいけなかったというのに。 (……それに)     香彩(かさい)はあの時のことを思い出す。  済まないと彼は、今にも泣きそうな、引き攣れるような声を上げて、こう言ったのだ。  ──全て俺の所為だ。全て……俺の嫉妬が……俺の心が招いたことだ……!  ──済まない。俺が、お前の胎内(なか)に……──!  竜紅人(りゅこうと)は決して、香彩(かさい)に隠そうとしているわけではなかった。何度も話そうとしていた。  時には力加減を忘れる程に、抱き締められて。  また時には、鋭爪の擦れる音が聞こえるほどに、震えながら。  済まない、と彼は言ったのだ。  その心内は、勝手に『核』を埋め込んだと責められ、『核』の存在そのものを、そして己自身を拒絶されることへの恐ろしさだろうか。 (……だとしたら僕は……)  竜紅人(りゅこうと)に対して、とても大きな選択肢を、間違えてしまったのではないだろうか。  香彩(かさい)自身知る機会がなかったとはいえ、『核』を埋め込んだことを、いつか知られると。知られた後でどんな反応が返ってくるのかと、常に不安に襲われていただろう彼を、自分は別の理由であれ拒絶をしたのだ。  思わず後ろを向いてしまいそうになる心を、香彩(かさい)は己で叱咤する。いま考えてもどうにもならない後悔の念に、心が捕らわれてしまっては動くことが出来なくなることを、経験上よく知っていた。  事態はすでに動き出してしまっている。  一番話をしたかった、話を聞きたかった相手は、ある程度熱を発散させないことには、もう言葉が届かない。  ある意味、蜜月期から発情期を迎えた真竜としては、極々自然な姿だ。   (──答えなんて、たったひとつだよ。竜紅人(りゅこうと))  困惑しなかったといえば嘘になる。  どんなに戸惑いが生まれても、竜紅人(りゅこうと)に対する怒りが湧いても、『核』が胎内(なか)にあると聞かされて、しかも繋がった縁のことを知ってしまったのなら。  答えなど、本当にたったひとつだ。  

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