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第127話 紫雨 其の四
「……ふっ、んん……っ……!」
口腔内を紫雨 の舌が蹂躙する。
歯列を割り悪戯に上顎の襞を舐められれば、かくんと身体の力が抜けるようだった。舌先を突かれ、遠慮なく絡みに来る熱い舌に、一瞬溺れそうになる。
だが即座に今の状況を思い出した香彩 は、身体の向きを変え、両手で紫雨 を押し返そうとするが、紫雨 の身体はびくとも動かなかった。
目の前には蒼竜と黄竜が……竜紅人 と療 がいるというのに。
接吻 をされながら、香彩 は薄っすらと目を開けた。色を乗せた深い翠水とぶっかって、気まずさに咄嗟に視線を逸らす。
その先は……蒼竜の、自分や紫雨 と同じ深翠の眼があった。
先程まで悲しげだった瞳は、今はもう見る影もない。
人を突き刺すような怒気を含んだ鋭い眼が、紫雨 とそして香彩 に向けられていた。
(……望んでいたのは、これだ)
確かに香彩 は恐れていた。
自分に対して憎いと言わんばかりの眼光を、蒼竜に向けられることを。
(だけど……紫雨 だけを……悪者にしたくない)
そして竜紅人 に、自分の所為で『成人の儀』が早まり、長い心の拵 えを作る期間を奪ってしまったと、罪悪感を持って欲しくない。
だから自分が望んだことだ。
自分が望んで『成人の儀』を……紫雨 に抱かれることを選んだのだ。
つきりと心の何処かが痛む。
やがてそれは臓腑を鷲掴みにされたかのような痛みに変わった。
その痛みに思うのは、懐かしさだ。
以前もこんな痛みに襲われた。
(……あれはまだ竜紅人 と心を通わせる前)
彼に想い人がいるのだと、思い込んでいたあの時に感じたものと、よく似た痛みだ。
だがあの時以上に、そして今の自分以上に痛いのは、目の前にいる蒼竜と。
そして黄竜だ。
(……だから)
中途半端なことは出来ない。
香彩 は抵抗を止めた。
紫雨 の身体を押し返そうとしていた力を抜いた途端、ふるりと震える手。それを隠すように香彩 は、紫雨 の胸元の衣着をぐっと握り締める。
細やかな抵抗を止めたのだと、彼には伝わったのだろうか。
くく、と、吐息混じりの笑声が、離された唇に当たる。
「……ん、はぁ……、ぁっ、ん……」
角度を変え、再び唇を求められる頃には、まるで地の底から這い出て来るかのような、蒼竜の唸り声が聞こえてきた。
頂点補食者としてのそれは、香彩 に原始的な恐れを呼び起こす。その声を聞くだけで、自分が喰われる側なのだと感じ、全身が怖気立つような気がした。
だがそれを塗り替えるように、再び口腔内を蹂躙し始めた紫雨 の熱い舌によって、香彩 の背筋を先程とは違ったものが、ぞくぞくと背筋を駆け上がる。
大宰 私室での一度目の接吻 の時に、弱い所を悟られたのか。上顎の襞を執拗に舌先で刺激するように舐められて、香彩 は喉奥からくぐもった声を上げた。
本能的な恐れから来る、ぞくりとしたものと。
甘い刺激に尾骶を疼かせる、ぞくりとしたもの。
同時に背筋を駆け上がるそれが、何故か酷く堪らない気持ちにさせる。
蒼竜を見ていた翠水の瞳を、うっとりと閉じさせるほどに。
刹那。
蒼竜がこれまでになく、凄まじい咆哮を上げた。
「──……っ!」
張られていた結界が、ぱり……と、まるで玻璃に罅 でも入った様な音を立てる。
驚いて目を開ければ、蒼竜の怒りに満ちた獰猛な眼が、香彩 だけを見据えていた。
(……そう、それでいい)
その怒りを自分に向けてくれたら、もうそれでいい。
先程まで黄竜の神気によって、ぐったりとしていた蒼い竜体が、瞬時に動き出した。
密着する香彩 と紫雨 の身体を引き離さんとばかりに、前肢の鋭爪をふたりに向かって振り下ろす。
香彩 は咄嗟に紫雨 から離れようとした。
だがいつの間にか、後頭部を鷲掴むようにして回された手が、香彩 の動きを止める。
蒼竜が目の前に迫って来ているというのに、紫雨 は焦りも恐れも見せなかった。平然と香彩 の唇を堪能しながらも、足りないのだとばかりに舌を絡め取り、吸い上げる。
だが紫雨 の深翠の視線が自分から外れ、蒼竜に向けられたその時だ。
唇が離れる。
荒々しく熱い息を吐きながら、力の入らなくなった香彩 が、紫雨 に寄り掛かる。
そんな香彩 の身体を支えるのと同時に、紫雨 は片手を前に突き出し、『力ある言葉』を放った。
突如生まれた障壁に、蒼竜の振り下ろした前肢が当たる。
散るのは蒼白い火花。
障壁を破ろうとしていた蒼竜だったが、やがてその竜体は、初めの時のように弾き飛ばされた。
「──療 」
何かを命ずるような低い口調で、紫雨 が療 の名前を呼ぶ。側にいる香彩 にしか、聞こえない程の声量だ。
だが黄竜の聴覚は、その真意も含めて正 確 に 、紫雨 の声を捉えていた。
『……はいはい』
やれやれといった風情で、療 の声が直接頭に響く。
黄竜はその巨体で先程と同様に、蒼竜の竜体を難なくと受け止めた。そして同じ箇所は可哀想だとでも思ったのか。反対側の蒼竜の太い首筋に食らい付く。
黄竜の鋭牙が深々と刺さり、蒼竜からは先程よりも痛そうな高い鳴き声が上がった。
「そのまま銜 えて運べ。療 」
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