253 / 409

第253話 夢月狂 其の七

 本来なら術力を消滅させてしまうはずの男児は、巫女の持つ『力』と、父親の持つ『力』の大半を吸い取るようにして誕生したという。  だが生まれた当初は、何の『力』の片鱗も見せることはなかった。引き継いだ『力』の甚大さ故に、心の奥底にある夢床(ゆめどの)に眠らせていたと知ったのは、随分後になってからだ。  男児の『力』は通例ならば目覚めることはなかった。『力』の持たない一般の庶民として、逃亡先の麗国の中枢楼閣で、父親とともに暮らすはずだった。  男児が生命の危険に晒されたりしなければ。 (……なんという皮肉なんだろう) (何の『力』も受け継がなかった男児を産んで、『河南(かなん)』の刺客から追われたというのに)  (母は自分達を助ける為に囮となって亡くなって) (その逃亡先で父親に殺されかけて)  『力』が目覚めるだなんて。  招影(しょうよう)は執拗だった。  これがお前の罪悪感であり、後悔なのだろうと言わんばかりに、その光景を何度も視せ付けてくる。  覆い被され、見下ろされたその体勢。  聞こえてくる、男児と己自身を否定する、怨嗟の声。  首に掛けられた手の、異様な熱さ。  泣き叫ぶ赤ん坊の、思わず耳を塞ぎたくなるような引き攣った声。  その声は弱まり、ついに聞こえなくなる。  何かが、自分の中から消えていった。  それは灯火のようなもの。 (……何が、消えた?) (何が無くなった?) (──ああ) 『力』だ。  あのまま殺されるはずだった自分が生き永らえ、生かされたのは、存在価値とも云える『力』があったからだ。  それを失った今、自分に何があるのだろう。  何が遺されているのだろう。  招影(しょうよう)香彩(かさい)が自身に問いかけるものに、答えを見せるかのように、場面を変える。  香彩は今度こそ、言葉を失った。 「──っ!」  息が上手く出来なくて、喉の奥に詰まるかのようだった。荒々しい息遣いを何とかしたくて、ぐっと奥歯を噛み締めてみても、歯の根が震えてかたかたと音を立てる。  駄目だと、声にならない声で訴えてみても、招影(しょうよう)は嘲笑うかのように続きを()せてくる。  香彩は心の何処かで、やはりそうかと思った。招影(しょうよう)は必ずこれを()せてくると。これで夢床(ゆめどの)にいる自分に(とど)めを刺してくると。  招影(しょうよう)にとって、罪悪感や後悔からくる人の負の感情は、立派な養分だ。  普段は川に投げ込まれる負の感情だけを喰らって生きているだけに、呼ばれて生の感情に有り付けるとあって、長く味わいたいのか、じわりじわりと責めてくる。  そんな招影(しょうよう)(とど)めを出したのは、もう腹が膨れたのか、それともなかなか堕ちない心に焦れたのか。  招影(しょうよう)に堕ちてしまえば、彼らにとってそれは苗床と同じであり、負の感情の生産地となる。  そうして出来上がるのは心の色を失くし、人の形だけを保った脱け殻だ。

ともだちにシェアしよう!