270 / 409

第270話 偽りなき真実 其の五

 厭魘艶嫣(えんえんえんえん)と。  怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)と。  招影(しょうよう)の啼き声が、一段と強く聞こえた気がした。闇もまた粘り気を増したのか、側にいるはずの竜紅人(りゅこうと)の姿が再び見えなくなる。  だが互いに指を絡め合う手の温もりだけは、ずっと感じていた。きゅっと握れば、握り返してくれる力強さに愛しさが募り、励まされる。    厭魘艶嫣(えんえんえんえん)と。  怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)と。  招影(しょうよう)の啼声が合図であったかのように、大舞台の幕がゆっくりと開くかの如く、ある光景が現れる。  目の前で繰り広げられるそれは、思念体の竜紅人が消えた後の、気を失った香彩(かさい)紫雨(むらさめ)との情交だった。 「──今だけだ。許せ……竜紅人」  そして、香彩よ。  欲に掠れた肉声と荒い吐息、卑猥な水音が耳を打つ。香彩の熱く纏わり吸い付くような胎内(なか)で育てた熱楔を、これでもかと打ち付けて最奥に熱を放つ。胎内(なか)は熱の刺激に応え、きゅうと、絞り取るような動きを見せれば、それが再び雄を扱き上げ育てる。  紫雨は熱楔を香彩から抜くことなく、これが最後だと言わんばかりに、荒々しく腰を動かしていた。やがて胎内(なか)から溢れて白く泡立つ熱に構うことなく、より奥に向かって腰を進めて熱を吐き出す。  本来であれば香彩が知る術もなかったこの情交を、招影(しょうよう)が見せるのは香彩を堕とす為か、それとも香彩の身体が微かにこの情交を覚えていたのか。  真竜の熱に含まれる媚薬の効果と滋養の効果は、確かに紫雨にも現れていた。萎えることも疲れることも知らないその身体は、欲望のままに、そして名残惜しむように香彩を蹂躙する。  激しく腰を打ち付けながらも、香彩の色付いた唇に接吻を落とし、首筋を、肩を食む。  荒々しい紫雨の、吐息混じりの声が室内に響いた。 「……っ、かさい……お前は……っ、生まれて来なかった方が、幸せだった」  ──ウマレテコナケレバ……ヨカッタ。 「──っ!」  自分の存在を否定する言葉を言われることは、先程の闇の中で知っていたはずだった。それなのにどうしてこんなに胸が痛むのか。  何故自分を否定するのに、こんなにも求められているのか、香彩にはどうしても分からない。 (……僕は)  貴方にとって、一体何だったのか。  枷でしかなかったのか。  闇に呑まれた心が、その言葉が、自らの精神に刃を立てる。  まさに刹那。  高らかに吠ゆる蒼竜の、厄を払う啼声が聞こえてきたのだ。  ──忘れるでないよ、蒼竜の咆哮を。お前を守り、導くものえ。恐れず闇を見りゃ。闇を暴き、偽りなき真実を視せる、厄を払う啼声を忘れるでないよ。  不意に雨神(あまがみ)の声が、頭の中を過る。  闇を暴き。  偽りなき真実を視せる。  厄を払う啼声。  紫雨が荒々しい息遣いのまま、香彩を組み敷き、見下ろす。欲のままに振るう乱暴な腰使いが緩やかになり、やがて止まった。  節榑立(ふしくれだ)った指が、汗ばんだ香彩の藤瑠璃色の髪を優しく(くしけず)る。  大きく熱い手はそのままゆっくりと下がり、香彩の頬の柔らかな線を確かめるかのように、何度も撫でた。  

ともだちにシェアしよう!